リスタート 『ミッドナイト竹田の明日はいい日』
いとうみこと
ラジオが繋ぐ人と人
「はい、では次が最後の方ですね。山田あんこさん……あんこ……和菓子屋さんで働いてるんですかね?」
竹田はクスッと笑い声を漏らしてから声を張った。
「こんばんは、あんこさん、聞こえますか?」
やや間があって、匿名化のための変換された声が電波に乗った。
「はい、聞こえます。和菓子屋じゃありません」
「あ、それは失礼しました。気を悪くしたらすみませんね」
すぐさま否定されて竹田のほうが少し慌てた様子だ。
「いえ、とんでもない。ちょっと緊張してしまって、質問でもないのに答えてしまいました。すみません」
「いやいや、謝る必要はないですよ、あんこさん。改めて身バレしない程度に自己紹介をお願いします」
「はい」
あんこはラジオ越しでもわかる深呼吸をしてから再び話し始めた。
「はじめまして。私は山田あんこと言います。三十代後半の主婦で、夫と子どもの三人で暮らしています。今日は夫婦関係について聞いてもらいたくて応募しました」
「おお、深夜にはぴったりのテーマですね。では思いの丈を電波に乗せて全国にばら撒いちゃってください。どうぞっ!」
あんこがすうっと息を吸った。
「夫とは周りが呆れるくらい長い期間付き合って結婚しました。私は子どもが好きで早く結婚したかったんですけど、遠距離だったのもあってなかなか結婚話が進みませんでした。やっと一緒に暮らせるようになって式も挙げて、あとは子どもを授かれたらと思ったんですけど、不育症とかでうまくいかなくて……」
「ああ、子どもが育ちにくいという……それはお辛かったですね。あ、でもお子さんがいらっしゃるって言いましたよね?」
「ええ、お陰さまでやっと授かることができたんです。でも……」
「でも?」
少し間をあけてから、あんこは意を決したように大きな声で言った。
「先月、夫の浮気を知ってしまって、しかも、その相手が共通の友人で……」
「うわ、いちばんやっちゃいけないヤツだ。それはショックだったでしょう?」
「……はい、今でも思い出すだけで体が震えます」
「それで、あんこさんがその事実を掴んだことをご主人には伝えたんですか?」
「いえ、まだ……でも、私の態度で気づいたかもしれません」
「うーむ、それはないとは言えませんね……おっと、お話を聞くだけのはずがついつい深堀りしてしまいました。あくまでもひとり語りという番組の趣旨から逸れてしまいましたね、失礼しました。でも、黙っていられないのは僕だけじゃないみたいですよ。リスナーの皆さんからのコメントが既にかなり届いてるみたいです。ひと言言いたいそこのあなた、コメントは番組ホームページから送ることができますよ。皆さんの声の紹介はもう少し後にして、お待たせしました、あんこさん、続きをどうぞ」
いつにも増してハイテンションな竹田の声に押されて、あんこが再び話し始めた。
「夫の浮気がわかってからというもの、声を聞くのも嫌になりました。ましてや触れられるなんて到底我慢できません。夫には子供の夜泣きを理由に寝室を別にしてもらいました。義理の両親は私にとてもよくしてくれていて、とてもじゃないけど夫の浮気の話なんてできません。両親は高齢で心配をかけたくはないし、ひとりっ子なので頼れる身内もいません。親友と呼べるような友だちもいないし、夫とは共通の友人が多いので下手に相談もできません。毎日悶々としていたら、最近子どもまで元気がなくなったみたいで、もう私、どうしたらいいのか……」
そこまで話すと、あんこはぴたりと黙ってしまった。竹田が落ち着いた口調で助け舟を出す。
「あんこさん、既に二百件以上のコメントが届いているので少し皆さんの声を聞いてみましょう。いいですか?」
「はい……」
泣いていたのか、少しくぐもった返事が返ってきた。
「ちなみに、今日ダンナさんは同じ家にいらっしゃるんですか?」
「いえ、多分彼女のところじゃないかと……」
「おっと、そうですか。それではリスナーの声をご紹介しますね。スタッフによると、大半はダンナさんへの怒りのメッセージだそうです。そりゃそうでしょうね。それから、一部は奥さんにも非があるんじゃないかとのことですが、私見になって申し訳ないんですけどね、どんな理由があっても不倫はダメでしょ。ましてや近場の人間関係とか、僕には信じられないですね。それから……」
ほんの数秒、音声が途絶えた。
「おっと、すみません。同じような体験をされた方たちからのメッセージが続々と手元のモニターに届いてます。男性もいるみたいですね。こりゃ凄い! 僕のリスナーさんたちはこんなにサれちゃってるんですか? 一部を紹介しますね。えっと、ももりんごさんから『私も同じ体験をしました。浮気の相手は私の親友で、里帰り出産から戻ったその日に浮気を知りました』おっと、これは強烈ですね! パンダ目さんもですね……えっ、これはまさかな展開ですよ! 『私は夫を妹に寝取られました。その後、妹が妊娠したことで両親から夫を妹に譲るように言われ、家族とは絶縁しました』こんなドラマみたいなことが現実にあるんですね! 他にもたくさんのメッセージがありますが、ざっと見たところ、別れた方がいいという意見と様子を見た方がいいという意見は半々くらいでしょうかね。こんなところですが、あんこさん、いかがですか?」
「ありがとうございます。すいませんでした、少し落ち着きました。私だけじゃないんですね……こんな言い方変ですけど何だかホッとしました。私が住んでいるところは田舎で、離婚なんて珍しくて、なんで私ばっかりって思ってたんで」
「今時、浮気も離婚も珍しくないですよ。今時じゃないですけど、かく言う僕も同じような理由で片親で育ちましたからね」
「そうなんですか。私だけじゃないんですね……夫の浮気を知った時、私、あの人しか知らなくて、あの人は私の人生の大半を占めてて、あの人も同じだって思い込んでたんです。だから、違うんだって、私とは違う思いで生きてたんだって初めて知って、それがすごいショックで……冷静に考えたらそんなはずないんですけど信じたかったんですね、きっと……やっと目が覚めました」
「そうですか……えっと、こんなこと聞いてはいけないかもしれませんが、リスナーの皆さんも気になってると思うので一応……これからどうするつもりですか?」
「そうですね、すぐには結論が出ないと思います。今でも怒りはありますし、夫が気持ち悪いと思えてしまいます。でも、あの人の優しさと強さに支えられてきたのは事実だし、何より子どもが生まれたばかりなので」
「そうですよね、長い人生ですから、よく考えて今考えられるベストな選択をしてください。良かったらまた番組に投稿してくださいね。今日はお電話ありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました。お体に気をつけて、これからも頑張ってください」
「ありがとうございます。あんこさんもお元気で……」
数秒の静寂の後、竹田の息を吸う音が電波に乗った。
「なかなか聞き応えのあるお話でしたね。番組ではこのように自分語りをしてくださる方を募集しています。ライトな話からヘビーな話まで受け付けておりますので、詳しくは番組ホームページをご覧ください……ん? ああ……最後にひとつリスナーからのメッセージをご紹介しましょう。あんこさん、まだ聞いてるかな?」
竹田は軽く咳払いをした。
「『あんこさん、私は数十年前に同じような状況で離婚をしました。親には頼れない状況だったので、息子には随分と寂しい思いをさせてしまって申し訳なく思っていましたが、大人になった息子から『俺、母さんの子で良かった』と言われた時にすべてが報われた気がしました。お世辞かもしれませんけどね(笑)。私の経験上、どんな選択をしても必ずどこかで後悔します。だからこそ恐れないで、あなた自身の覚悟で未来を決めてほしい。あなたの人生はあなたのものなのですから。間違ったと思ったら軌道修正すればいい、再出発は自分のタイミングで決めていいんです』ということです。確かにね、人生のリスタートはいつでも切れると僕も思います。ラジオネーム“ミッドナイト母”さんからでした……意外とタイピング速いな……さあ、皆さん、どんな今日も既に過去、明日はもっといい日にいたしましょう。『ミッドナイト竹田の明日はいい日』また来週!」
リスタート 『ミッドナイト竹田の明日はいい日』 いとうみこと @Ito-Mikoto
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