異世界でカードショップを始めることにするお話。

山下東海

異世界でカードショップを始めることにするお話。

 新型コロナに感染したかのように高熱を出していたトレカブームは、どうやら平熱にまで戻ってきたようだ。

 それはつまり、こんな街角の寂れたトレカショップにとっては死活問題である。

「ただいま。どうだ?」

 店長にそう聞かれ、店番していた俺は首を横に振った。

「もう無理っすよ、今月も前年割れ間違いないっす」

「まぁそうだろう。今日は雨だし尚更な。無論、晴れていても変わらなかっただろうが」

 店長はそうぼやくように言いながら、タオルでコートについた雨滴を拭っている。傘を持ちたがらないのはいっそ構わないのだが、できれば店に入ってくる前に水を払い落としておいてほしい。

 俺がカウンターに落ちた水滴をティッシュで拭っていると、タオルを肩にかけた店長は「仕方ない」と言い、腕を組んだ。

「この店は、もう畳むことにする」

「え?」

 俺は店長の顔をまじまじと見てしまった。彫りの深い四角顔に無精ひげ、ほおを縦に走る古傷。目元が厳めしいのは現状を嘆いているのではない、デフォルトなのだ。

「ここで商売をしても、もう無理だろう。客足は引き、単価は下がる。投機熱が再燃してまた右肩上がりなんて、俺が期待しない」

「それは、そうかもしれないっすけど……。じゃぁ、ここにある在庫はどうするんすか?」

 俺は店内を目で示しながら訊いた。数々のカードがショーケースやプラスチックケースに並んで収まっている。それに裏の金庫には超高額で買い取ったものの下落傾向にあるトレカもあるのだ。

 これを全部手放したとなっては、大損することは丸見えだろう。

「まぁ、それは後で考える」と店長。「それよりも、ちょっとついてきてくれ」

 そう言って店長は店の奥に入ろうとする。

「待ってください、どこに行くんすか?」

「この店は無理だが、昔馴染みのつてで、良いところに空き家を借りれたんだ」

「良いとこの空き家? 駅前とか、大通り沿いっすか?」

 俺の回答は間違っていた。店長が答えた。

「異世界だ」


 店の裏庭に古井戸があるとは知らなかった。錆だらけの鉄の蓋をどけてのぞき込むと、縄ばしごがはるか下の暗闇まで続いている。

「いくつの時だったか忘れたが」と店長は先に井戸を下りながら語る。「この井戸に落ちてな。運良く助かったと思ったら、そこが異世界だった」

「いや、そんなマンガみたいなことあるんすか?」

 俺も店長に続いて、縄ばしごを慎重に下っていく。ぐらぐら揺れて安定しない。

「実際あったんだ。それにマンガという決めつけは良くない。村上春樹だって書いていることだぞ」

 あいにく俺は村上春樹を知らない。むしろ、教科書に載っていた芥川龍之介が浮かぶ。蜘蛛の糸にぶら下がるカンダタの気分だ。

 と、足下が明るんでいるのが知れた。さらに降りていくと、明らかにそこは平らになっていて、一方から光が差し込んでいるのだ。

 店長が先に降り立ち、続いて俺も足をつけた。開口部から出ると、板張りの一室だった。踏みしめるたびにギシリと鳴る。振り向くと、俺たちが出てきたのは暖炉のようだった。

 言葉も出ない俺に構わず、店長は部屋の一角にあるドアを出る。あわてて後を追い、軋みを上げる階段を降りて別の部屋に入る。

「ぬわっ!」

 途端、店長の硬い背中にぶつかり、俺は尻餅をついた。店長が振り向き、「すまんすまん」と手を差し出す。

 それに捕まって立ち上がると、店長の前に女性が立っていた。俺より頭一つは大きく、金色の髪を背に流したその女性は、どこからともなく一枚のカードを差し出してきた。

 いや、確かにそれはカードと言うべきものだと、俺は二度見してしまった。厚めの紙でできているようだし、二つの人影が向き合うようなイラストも描かれている。

「それを受け取れ」と店長が言う。「それで、額にかざすんだ」

 俺は言われたとおりにした。それを見て、カードを差し出した女性が口角を緩める。

「ようこそカルテの街へ、わたしはエーファ。あなたが彼の新しいパートナーね?」

 次は耳を疑う番だ。言語そのものは聴き慣れない、なのになぜかすっと理解することができた。まるで耳と脳の間に自動翻訳機ができたようなものだ。

「思った通りの反応ね」とエーファが続ける。「初めて会ったときのリュウといっしょ」

 リュウと呼ばれた店長――店長の本名が隆造だというのを思い出した――は、まんざらでもなさそうに肩をすくめる。

「そのカードにはな」と店長。「翻訳の魔法が入っている。この世界では魔法やモンスターをカードに封印して、自由に使ったり使役したりすることができるんだ」

「でも、気をつけて」とエーファ。「それを使うには、風の元素がコストとしてかかるわ。要はちょっとずつ部屋の空気が薄くなっていくの。だから換気をちゃんとするか、屋外で使ってね」

「わかりました」と俺は答える。「でも、それってまるでトレカじゃないっすか。コストを払ってカードの効果を使うって」

「そうだ、だから連れてきたんだ」

 店長は腕組みしてうなずく。

「俺はここで、カードショップを始める。おまえには、あっちの店と同じように周辺の競合店を回って価格や市場を探ってほしい。おまえのフットワークの軽さに期待してるぞ」

 俺はうなずく、胸が高鳴るのを覚えた。

 だが、一つだけ気になることがある。

「あの、俺はずっとこの間抜けな格好をしてなきゃいけないんですか?」

 額にカードを掲げたまま訊ねると、エーファが悪戯っぽくウインクした。

「それはリュウのジョークよ」


 それから数日、俺は古井戸を往復して異世界に通っては、エーファに連れられてカルテの街中を巡った。

 平原の直中にあるこの街は、街道の結節点になっており、交易が盛んである。故に様々な文化が混じりあい、多岐にわたる種類のカードたちがこの街に集うのだという。

「どうかしら、この街は?」

 エーファが小首を傾げて訊ねてくる。場所は広場近くのカフェのテラス席。彼女お気に入りの紅茶がかぐわしい。

「きれいな街っすね」と俺は答えた。「木組みの家々にも街路にも、汚れやゴミがまるでなくって。皆さんがこの街を大切にされているのがわかります。カードショップもそれぞれに個性があって、おもしろかったっす」

「ふふ、ありがとう。領主様に伝えたら喜びそうね」

 そう答え、エーファは目を細めて紅茶をすする。彼女は領主側近の内縁という微妙な立場をあえて利用して、領主と市井のつなぎ役をしているらしい。

「それに街のあちこちでカードが使われているんすね。それも個人的には驚きです」

 俺はテーブルに置かれたカードを少しずらした。頭上にあるが目に見えないパラソルが少し傾いで、エーファの金髪を照らす光量が減る。紅茶の水面に反射する光もやわらぐ。

 ただ彼女の「ありがとう」との言葉は、屋内席から響いてきた歓声でかき消された。

 そちらを見やると、大の男たちがテーブルを挟んで盛り上がっている。赤ら顔なところを見るに早くも酒が入っているらしい。

 さらに、テーブルの上には小型のモンスターが召喚され、咆哮を上げている。傍らには、腹を上にして動かないモンスターもいる。

「どうやらカードバトルの決着がついたようね」とエーファが言う。「どれくらいの賭け金が動くのかしら」

 俺は視線をそらした。真っ昼間から見るべき光景ではない。だが、この街を巡る中で何度となく見てきた。

 この世界におけるカードとは、生活必需品であると同時に、格好の娯楽、もとい弱い相手から金を巻き上げる道具なのだ。

 ふと、戸口にいる子どもの姿が目に入ってきた。向こうの世界で言えば小学生低学年くらいの背格好で、小さな体を伸ばして中をのぞき込んでいる。

 だが、直後にカフェの店員が現れ、子どもを追い払った。その子はその場を離れ、何度も振り向きながら去って行った。

 これもまた、何度と見た姿だ。この街にカードショップは数あるものの、子どもの姿は少なかった。

 俺の視線の先に気づいたのか、エーファも後ろを振り返った。その子の様子に微苦笑を浮かべる。

「仕方ないわ。こういう場所は危険だもの」

「危険?」

「金は飛び交うし、粗野な言葉ばかりだし。何よりモンスターの召喚は適切に行わないとケガの元よ」

 エーファ曰く、店長のほおの傷は誤って強大なモンスターを現わしてしまったことが原因らしい。そのときはまだこの世界に来た直後で、適切なカードの使い方は知らなかった。

「どんなにわたしが治癒魔法をかけても、あれ以上は治らなかったのよ。わたしもまだ幼くて、未熟だったのもあるけれど」

 エーファはそうつぶやいて、一方でどこか懐かしむように遠くを見る。俺はもう一度その向こうに目を向けた。子どもの姿はさすがにわからなくなっていた。

「エーファさん」と俺は言った。「良い考えが浮かんだっす」


 帰ってから早速、店長にも俺の考えを告げた。店長はすでに什器の買い付けを済ませていたようだが、もう一度交渉してくると言ってすぐに飛び出していった。

 それから数日は瞬く間に過ぎた。まずゴミのような低価格カードを買い占めた。中には、金などいらぬから好きなだけ持ってけという店主もいた。

 その後には、卸から届いた什器を店内に並べる重労働が待っていた。さすがにこれには堪えたが、どんどんイメージ通りの店になっていくのがわかって気持ちよかった。

 概ねの形ができあがった頃、エーファが領主の商い許可状を持ってやってきた。

「あら、テーブルがいっぱいね。カフェでも始めるのかしら?」

「いや、カードショップっすよ。ただし、売るのはカードよりも経験値っすね」

 そう俺は応じて、傍らのテーブルをたたいた。全部で八卓、狭い店舗の半分をいわばデュエルスペースが埋めている。

「カードやモンスターが危険なのは、子どもたちがちゃんとその扱いを経験できていないのが問題。なら、そんな経験を気軽にできる場があれば良いんです」

 だから、この店はカードをプレーするのがメインの店とする。扱うのは安物カードが多いが、それでユーザーの裾野が広がればいい。

「言われてみればその通りね」とエーファがほおに手を当てる。「どうしてこんな簡単なことが浮かばなかったのかしら」

「でも」と続ける。「そういった扱いを学ぶだけじゃなく、ここではルールやマナーを知ること、他の人とのコミュニケーション、相手を尊重する心なんかも築いていけると思うっす」

 それは実際、俺がトレカを通じて学んだことだった。あちこちの大会やイベントに参加する中で自然と培ってきたものだ。

 トレカは投機やコらレクションやら以上に、本来遊ぶものなのだ。そして、遊びの中にこそ人生に大切な学びが少なからずある。

「たいそうなことを言ってるが」と後ろから店長の声。「要はおまえも遊びたいだけだろう?」

「……そ、そんなことないっすよ?」

「否定するなら、せめて俺の目を見てしろよ」

 店長が俺の隣に来る。そしてテーブルにカードの束を二つ置いた。

「俺が簡単なデッキを作ってやった。初心者のおまえでも簡単に扱える奴らだ。ただ、安物だからと侮るな。店のオープンまでにおまえもちゃんと扱い方を憶えるんだぞ」

 店長がテーブルの反対側に回り、イスを引く。俺も席についた。

 すると、エーファが「精が出るわね」と店長の背中をたたいた。

「こっちに来た直後は、何もわからずに泣いていたのに」

「……泣いてなんかなかったぞ」

「否定するなら、こっちを見てしたら?」

 俺は思わず吹き出した。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界でカードショップを始めることにするお話。 山下東海 @TohmiYA

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ