生誕の前日譚

涼風すずらん

第1話生誕の前日譚


「よぉ兄貴。本当に行くのか? まだ時期尚早だと思うんだが」

「そんなことはない。無駄口叩くな。早く準備しろ」


 兄貴はいつになく機敏な動きでリュックサックに必要な道具を詰めている。ロープ、毛布、炊事セット、揺り籠、哺乳瓶――どれも必須用品だがすでにリュックははち切れそうなほど膨らんでいる。


「兄貴、これ以上は入らないよ。途中で落としたらやつらにバレるかもしれん」

「む……なら揺り籠は置いて毛布に包んで運ぼう」


 目的地は近くの洞窟を抜けた先にある毒の沼地のさらに奥の森。森にはかつて神殿だった廃墟がある。その地下に”あの方”が眠っている。

 俺達の敵は森周辺を徘徊している。先日偵察に向かったら列をなして森へ向かっているのを見た。見つかるのは時間の問題だろう。やつらは賢く、目ざとい。少しでも違和感があったら徹底的に調べ尽くし、封印が行く手を阻もうが何らかの手段を用いて突破してしまう。前々回は宝玉、前回はペンダントだった。おかげでキラキラしているものが苦手になった。


「おい手を動かせ」

「俺の準備はとっくに終わってる。兄貴が遅すぎるんだ」

「そんなことはない。支度は済んだ。出発するぞ」

「わかったよ」



 今日は新月で助かった。敵はあまり夜目が利かない。出歩く数も大幅に減少する。動くなら夜中が一番だ。しかし目が利かなくなった分、音に敏感になる。枯れ葉一つ踏んだだけで音がした方向を見て、警戒しながら近づいてくるか仲間を呼ぶ。足元は特に注意しなければならない。


「見張りがいる」


 兄貴が小声で話しかけてきた。洞窟の入り口には見張りが二体。簡素な鎧を身に着けて槍を持っている。あれはきっと下っ端だ。


「姿を消す術をかけよう。兄貴、絶対に物音を立てるんじゃないぞ」

「そんなヘマはしない」


 俺の得意技は姿を完全に消すことだ。ただし音は消せない。未熟だった頃は足音で気づかれて攻撃されたこともあった。それから修行を重ねて自分以外も消せるようになり、音を立てずに移動できるようにもなった。


 自分と兄貴の姿を消す。敵はあくびをしていて完全に油断している。そろりそろりと意識をつま先へと集中させる。


 そろ……そろ……スッ……スッ……。


 地面の様子が少しでも変わったら足の感触は大きく変化する。歩き方を変えなくはならない。草地から土へは一目瞭然で、この先は気をつけようと集中できる。厄介なのは小石だ。踏んだら音が鳴り、酷いときはバランスを崩して転倒してしまう。

 俺は慣れているから小石によるアクシデントの対処はできるが兄貴はどうだろう。前を歩く兄貴の足取りは安定している。どうやら問題はなさそうだ。


 いよいよ敵の横を通り過ぎる。ここが最も緊張し、最も安心できる。真に気をつけなければならないのは抜けた後だ。緊張の後の安心感はいつも取り返しのつかないミスにつながる。

 兄貴はわかっているだろうか。背中に視線を送るとギチギチと音が鳴りそうなほどゆっくり振り返って『わかってる』と口だけが動いた。



 第一関門突破。洞窟に入ってしまえば抜けるまで大きな音を立てなければ安全だ。洞窟には俺達しか知らないルートがたくさんある。時を経ていくつか敵に見つかってしまったがまだまだ残っている。


「今回は三番目に短いルートだ」

「俺も同じルートを考えてたよ」


 どうやら兄貴も三番目のルートが適切だと考えていたらしい。二番目に短いルートは敵に見つかっており、最短ルートはその二番目と近い位置にある。三番目はそれらとは離れているので安全を考慮してこのルートを採用することにしたのだ。


 ピチョンピチョンと水の滴る音が木霊する。洞窟は音が響きやすい。動物の羽音、敵の足音、生き物の息遣い……もちろん俺達が出す音も大きく響く。

 数は少ないが洞窟内にも敵はいる。しかしこちらも入口にいたやつら同様油断しきっているから異常に大きな音を出さなければ見つからないはずだ。敵は松明を持っている。火の明かりが見えたら様子を窺いながら進むのが最善だろう。


「…………」

「……………………」

 

 洞窟を抜けるまでの間、俺と兄貴は無言を貫いた。ひそひそ話をするような大きさであっても響くからだ。こんな狭い場所で荷物を持った状態で戦闘にでもなったら勝ち目は薄い。次の沼地は完全な安全地帯なのだからここで一度集中力を使い果たしてしまおう。



 洞窟も無事抜け、休憩ポイントである毒の沼地に到着した。敵は毒にめっぽう弱い。一応対策はしているようだが毒素が強い地点にまでは入ってこれない。


「母体は無事だろうか……」


 スープを飲んで一息つくと母体が心配になってきた。母体に少しでも亀裂が入ると生まれてくる赤子の健康が損なわれてしまう。育てるのが大変だし過保護にもなり、結果的にあまり強くならない。これでは簡単に敵に倒されてしまう。


「無事だ。きっと。今度こそ」


 先代は母体が事故で傷つき、生死の境を彷徨った。なんとか一命を取り留めたものの、無理はさせられなかったのだ。まともに訓練できたのは年に数回程度だった。その代わり頭は良かったので幾度も敵の攻撃を退けてきた。


『次の母体は絶対に傷つけてはならぬ』


 ふと先代の力強い言葉が蘇る。森の神殿の地下を選んだのは先代で、洞窟の複数ルート、森に仕掛けた罠、神殿の地下への行き方など、先代は次代のために出来うる限りの対策を行った。それが実を結んでいると信じたい。



 休憩を終えた俺達は神殿が佇む森へと入っていった。ここは夜でも敵がうろついている。洞窟にいた油断しているやつらとは違う。ここには精鋭が集まっているのだ。

 敵の気配が森を満たしている。俺達はすでに包囲されているのではないかと錯覚する。殺意は感じ取れないから見つかっていない――そう思わないと逃げ出してしまいそうだ。


「……! こっちだ」

「あ? そっちの方には敵がいるぞ。迂回して神殿の裏手から行った方がいいんじゃないか?」

「俺の直感が外れたことがあったか?」

「……いいや、ない」


 兄貴の直感は頼りになる。俺たち兄弟がここまで生き残ってこられたのも兄貴の直感によるものが大きい。俺が敵を翻弄させて兄貴が直感に任せて攻撃をする。これが戦いの基本スタイルだ。

 兄貴の直感はピンチになる直前に発動することが多い。先々代の時代に仲間と一緒に戦っていた時のことだ。戦闘中に兄貴が「ここは引くぞ」と言って撤退を指示したことがあった。戦闘はこちら側が優勢だった。このまま押せば勝てる。こんな絶好のチャンスに撤退するなんて何を考えているんだ! みんな口々に叫んだ。

 仲間は一人も兄貴に従わなかった。仕方なく俺達は二人だけで戦場から離脱した。兄貴の言葉を信用しないなんてバカな連中だ――あのときの俺はそう悪態をついていたと思う。撤退してから数秒後、仲間は空からの攻撃で全員死滅した。

 そんな兄貴の直感だ。この先に敵がいる可能性は高いが……俺は兄貴の直感を信じることにした。


 思った通り敵がいた。立派な鎧だ。殴ってもびくともしないだろう。立派な剣を携えて警戒態勢を崩さない。たしかあれは騎士という職業だったはず。身なりの立派さから身分の高い者の護衛だろうか。


「兄貴」

「ああ。きっと相当な身分のヤローがいる」

「神殿へ行く道を塞いでいるな。地下は……まだ見つかっていないようだ」


 地下が見つかったのなら今頃大騒ぎになっているはずだ。敵の野営地は静けさを保っている。


「あっ、あれは……」

「罠を仕掛けているな」


 神殿の周りでは作業をしている騎士が複数いる。普通なら寝ている時間だろうにご苦労なことだ。


「裏から近づいていたら……」

「危なかったな」

「ああ、やっぱり兄貴の直感はすごい」

「当たり前だ」

「突っ切るしかないか。姿を消すぞ」

「頼む」


 姿を消して神殿へ近づく。ここから地下へ行くには騎士どもが邪魔すぎる。それにまだ地下への行き方も見つかっていない。

 俺と兄貴は静かに神殿の周りを調査したが何も見つけられなかった。先代はどんな仕掛けを施したのだろう。まだ母体が見つかっていないという安心感は得られたが、地下へ行けなければ赤子を保護することができない。


 俺達はいったん神殿から離れ、敵のいない毒の沼地の近くへと戻ることにした。


「兄貴、先代から地下への行き方教えてもらったか?」

「いや」

「神殿の地下へ行く前……何か……ヒントはなかっただろうか」


 先代が地下へ母体を連れていく前はたしか……「そういえば古い神殿があったな」と呟いていた。帰ってきた後は「安全な地下に連れて行った」とだけ。


「あっ神殿については「そういえば」と言っていた。神殿はそもそも候補じゃなかったんじゃないか?」

「神殿は、関係ない?」

「その可能性はある。神殿周りには近づかず別の場所を探してみないか」

「ああ。どこから行く?」

「沼地周辺からにしよう」


 沼地に近いほど敵はいない。地下への道を隠すなら敵が近づかない場所にするだろう。


 そう当たりをつけて毒素が濃い箇所を中心に怪しい部分がないか探索をした。ようやくここは! と思ったところを見つけた頃には夜が明けようとしていた。急がなければ敵が増える。


「兄貴! このスイッチ!」

「押すぞ」


 兄貴は先代の印がついたスイッチを躊躇いなく押した。すると一部の草の色が微妙に変化した。パッと見ではわからない僅かな違いだが、先代の力を強く感じる。これは我々にしかわからない力だ。

 色の変わった草の下には階段があった。この先から先代に似た強い力を感じる。兄貴が先頭に立って降りていく。

 長い長い階段を下りてついに地下室へ到着した。赤子を守る結界はヒビ一つ入っていない。結界の近くには先代が連れてきた母体だったものが転がっていた。体は完全に朽ち果て、骨、服、装飾品しか残っていない。


 結界は少しずつ膨張していっている。


 しばらく見守っているとピシッ、ピシッと音を立ててボロボロと崩れ落ちていく。いよいよ誕生する。


 俺と兄貴は同じタイミングで口を開いた。



「ご生誕おめでとうございます。魔王様」

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