あるライン引きの男の人生

たかぱし かげる

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 ゴールラインを引きたい人生だった。


 それは幼い頃からの憧れだった。


 絶対に自分はゴールラインを引く人になるのだと、信じて疑わない子供だった。


 夢に対していつもまっすぐだった。

 脇目もふらずに勉強した。

 ライン引き技能士一級も取得した。

 トレーニングを怠らなかった。


 誰よりも能力があると宣って憚らなかった。事実だったから。


 迷わず大手企業を志望した。

 俺よりゴールラインを引く人に相応しい人間がいるはずがない。

 そんな思いを抱いて採用面接に臨んだ。


 しかし邪魔は思わぬところから入った。


 面接で隣になった男。

 なんかチャラそうで、どうせ大したライン引きの技術もないだろうに、面接官に向かって爽やかな白い歯を見せながら、ぺらぺらぺらぺらと語っていた、あいつ。


『私は学生時代、さまざまなゴールを見てきました』?


『多くの方にとってゴールとは次の始まりです』?


『揺るがないゴールを旧弊にとらわれず形作ることができます』?


 これっぽっちの中身もないおためごかしにいちいち面接官が頷くから腹立たしい。

 大手企業のくせに見る目がまったくない。

 最後にはとうとう『ゴールに相応しい華のある人材』などと評価される始末。


 俺はといえば、かろうじて役員の一人が『君も成績優秀だね』と言ってくれた。

 俺よりゴールラインを引く人に相応しい人間などいるわけもないのに。


 結局、ゴールラインを引く人に採用されたのはあのチャラ男だった。

 俺の内定通知はスタートラインを引く人だった。


 なぜ俺がスタートラインを引く人なのだ。

 毎日スタートラインを引く仕事をしながら不満が溜まる。


 それでも仕事に一切の手抜きはしなかった。

 するわけなかった。

 いつか俺のラインの素晴らしさが正当に評価されて、ゴールラインを引く人に転属されるはずだと思った。

 毎日毎日まっすぐで歪みもなく一寸のズレもないスタートラインを引き続けた。


 しかしスタートラインは長く注目されるということがない。

 どれだけ立派なスタートラインを引いたとしても、スタートが切られた瞬間に踏みにじられてめちゃくちゃにされる。それで終わり。

 後は見向きもされない。


 誰もいなくなった場所へ俺はまたスタートラインを引く。その繰り返しだ。


 やはりゴールラインだ。

 ゴールラインこそが花形だ。

 トップがゴールする前から、みながゴールに注目する。

 そしてトップのゴール。そこから最後の一人がゴールするまでずっと耳目を独占する。

 ゴールし終わってもみながゴールに留まるから、ゴールはずっとずっと注目されるのだ。


 チャラ男のゴールラインは、どうみても曲がっていて、ズレていて、まったく美しくなかった。

 あんなゴールが歓声を浴びるなど、少しも理解できない。


 俺がゴールラインを引く人になるべきだった。


 俺の転属願いはなかなか通らなかった。

 代わりに昇進の話がくるようになった。

 もちろん断った。

 俺は課長や部長になりたいのではない。ゴールラインを引く人になりたいのだ。

 チャラ男はさっさと昇進していったようだが、空いたゴールラインを引く人のポジションが俺に回ってくることもなかった。新人が配属された。おかしい。


 現場に居続ける俺を後輩たちは胡乱な目で見ているようだが、俺は気にしなかった。

 ゴールラインを引く人になるまで退く気はなかった。


 頑固に何年もスタートラインを引き続けた。

 ある日、どこかの偉そうなやつがやって来た。

 会社のお偉いさんかどこかの政治家か、そんなことは知らない。


 お偉いさんは俺に金を握らせた。


『きみ、うちの息子のスタートラインをすこし前に出してはくれないかね』


 冗談じゃない。俺は迷わず突っぱねた。

 この男は誇り高いライン引きの仕事をなんだと思っているのだ。

 ムカついたので、そのお偉いさんの息子とやらのスタートラインをずっと後ろに下げてやった。


 お偉いさんが激怒した。

『お前なぞ辞めさせてやる』

 怖くともなんともなかった。はなからスタートラインを引く仕事になど執着していない。

 ご自由にどうぞ。俺はお偉いさんが握らせようとした金とお願いの証拠をばらまいてやると答えた。


 待てど暮らせど解雇通知は来なかった。

 ついでにぱたりと昇進の話も来なくなって、断る面倒もなくなった。

 たくさんの新人が入ってきては数年で出世して消えていく。俺は少しも気にしなかった。


 後はゴールラインを引く人への転属を待つだけだ。

 俺はまっすぐで美しく素晴らしいスタートラインを引き続けた。

 これがゴールラインだったらと思わない日はなかった。


 それでもとうとうゴールラインを引く人への移動の声はかからなかった。


 定年で雇用延長はしない、という通知が会社からなされ、俺はスタートラインを引く人のまま定年を迎えることになった。


 最後の仕事の日、なぜかスタートに知った顔が集まっていた。

 今では出世して現場にいるはずもない後輩たちが揃っている。

 俺の新しい門出のスタートラインを引かせて欲しいとかなんとか言われた。馬鹿か。断った。


 一本の美しいスタートラインを引いて、それがスタートと同時にめちゃくちゃになるのを見届けて、俺は息をついた。

 ああ、これが俺の人生がたどり着いたゴールラインだったんだな。みたいな感慨は一ミリも浮かばなかった。やっぱりスタートラインを引く仕事はクソだな、と思った。


 俺はゴールラインが引きたかった。


 退職して暇になった。

 それまでは休日だけの趣味だったゴールライン巡りに精を出すことにした。

 各地へ行って、ゴールラインを視察して、カメラに撮影し、ホームページへアップして、このゴールラインはああでもないこうでもない、と批評する。


 ネットでは長年仕事に従事したゴールラインを引く人を騙った。

 実際にラインを引く仕事をしていたのだから、そこまで嘘ではない。

 ちょっとした手違いでゴールラインを引く人にはなれなかった、それだけだ。

 たとえ架空の世界でもゴールラインを引く人としてちやほやされるのはいい気分だった。


 さらに年を取り、体の自由がきかなくなったころ、姪っ子に施設へ放り込まれた。

 最初は頭にきたが、施設もそう悪いところではなかった。

 他の入所者に自分がゴールラインを引く人だったことを自慢し、撮りためたゴールラインの写真を見せびらかし、ホームページを披露した。


『長年ゴールラインを引く仕事に従事してらしたのですか!?』


 みな一様に感服し、感心し、ゴールラインを引く人だった俺を尊敬した。


『え、ゴールラインを引く人?』


 一人だけ様子の違う女がいた。

 彼女はまだ若いヘルパーだった。


『私のときゴールはもうテープでしたー』


 そう言ってけらけら笑う。

 なんだ、ゴールがテープだったって。ゴールがラインではないなど、正気ではない。

 ゴールラインを引く人の仕事を知らないのか。誰もが憧れ羨む夢の職業だぞ。

 俺はこの女が嫌いだ。


 それ以来、俺はそのヘルパーの女は避けて、他の皆にだけ写真を見せて自慢を続けた。


 それほど悪い余生ではなかったと思う。

 それだけに前半生で本当のゴールラインを引く人になれなかったことが悔やまれた。

 スタートラインを引く人だったことが恥ずかしかった。


 穏やかな最期が近づいてきた。

 ゴールラインを引く人だった男だと思われながら逝くことができそうだった。


 朦朧とする意識をふいに引き戻したのは、あのヘルパーの女の存在だった。


 彼女を見るのはずいぶん久しぶりに思う。


 俺が気づいたことに気づいた彼女は静かに微笑んだ。


 その顔を見ているうちに言葉が口からまろび出た。


 君のゴールはテープだったんだよな、と。


 一瞬きょとんとした彼女は、すぐにそれを優しい笑みで隠した。


『そですよーテープでしたー』


 歌い聞かせるような『そういえばゴールお好きでしたねー』なんて言葉はどうでも良かった。


 むせるように尋ねていた。


 スタートもテープだったのか、と。


『まさか。スタートはラインを引くにきまってるじゃないですか』


 彼女の満面の笑みにつられて俺の顔も笑ったのだと思う。



 そして男の人生は幕を閉じた。

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あるライン引きの男の人生 たかぱし かげる @takapashied

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