ロケットスタートディスティニー/take:X

杉林重工

ロケットスタートディスティニー/take:X

『ふたご座のあなた! あなたの今日の運勢は最高です! 特別な出会いが盛り沢山な一日になるでしょう! 何かが『スタート』する素敵な一日になりそうです!』


 次賀キタルの今日この朝は、最強のロケットスタートを決めた。端毬田高校の制服に袖を通し、家を出る直前。母がつけっぱなしにしていたテレビから、あまりにも景気のいい最高の話題が飛び出た。


 そもそもこの日、朝食の目玉焼きが双子だったし、湯飲みには茶柱が堂々屹立していた。そんな朝だった。


『ラッキーアイテムは〈明日〉!』


「なんだよそれ」


 思わずキタルは笑ってしまった。意味が分からない。そのまま居間を後にする。


「キタル、今日はともかく、明日は早く帰ってきなさい!」


 玄関先で靴に足を突っ込む彼に、母が速足で寄って来る。


「なんで?」キタルは振り向かずに訊ねる。


「おじいちゃんが、見せたいものあるから、対怪獣撃滅専用人型巨大ロボット研究所に来てほしいってさ。何かが『スタート』するって。だから、今日できることは今日すること!」


「なにそれ? わかった!」


「じゃあ行ってらっしゃい! あ、ブレザーに糸くずついてる!」母の言葉を背にキタルは家を出る。


『次のニュースです。昨晩発生した原因不明の流星群について、専門家は未知の宇宙怪獣の可能性を示唆し……』


 テレビから聞こえる、なにやら怪しいニュースの情報は、当然キタルの耳に届かない。


「そっか、トワ子は今日から朝錬か」外に出た次賀キタルは、つい左右を見回してしまう。昨晩、突然スマートフォンに着信したメッセージを思い出した。


『大事なことが『スタート』するから、明日は一緒に行けない。でも寝坊しちゃだめだからね』


 鬼殴トワ子。次賀キタルの幼馴染であり、同じ高校に通う腐れ縁である。家は隣なので、普段は一緒に登校しているのだ。キタルは鬼殴家の大屋敷を覗き込む。この山奥にある小さな町において、大怪鬼爆殺神社の巫女の一族である鬼殴トワ子は、相応の巨大な邸宅に住んでいる。心なしか彼女の家の上にだけ暗雲が立ち込め稲光が走っているような気もするが、そんなことはないだろう。


 空を見上げていたキタルだったが、急に何かが手の中の鞄を攫って行った。それは天高く舞い上がり、風に乗って彼の前を飛んでいく。


「コウモリ?」


 驚いた。青空に穴でも開いたかのように黒々としたコウモリが、彼の鞄を咥えて空を飛ぶ。何が最高な一日か! 慌てて彼は走り出した。足には元々自信がある。だが、全く距離は縮まらない。


『スタート!』


 あざ笑うように鳴くその声は、不思議と人語に聞こえた。丁度、長い長い鬼殴家の邸宅が途切れ、この住宅のブロックが終わる角。そこでコウモリが大きく急降下した。どう見てもチャンスだ。キタルは全身を伸ばすようにして指先を張る。後、もう少しで鞄に手が届くかというその瞬間、彼の体に右側から衝撃が走った。そのままごろんと地面に倒れ込む。


「いったあ……」


 キタルが声を出すより先に、苦痛に唸る声がある。はっとして右を向き、自分に衝突した相手を認めると、見たことのない白いセーラー服の少女が倒れていた。


「ちょっと、ちゃんと気をつけなさいよ!」彼女は大声を出す。キタルのことを睨みつけ、両手を上げて抗議している。


「ご、ごめん。怪我はない?」キタルは急いで駆け寄ろうとする。しかし彼女は、


「ないから! 最悪!」と怒鳴り、キタルを睨む。そしてそのまま立ち上がり、埃を払った。スマートフォンで時間を確認する。


「職員室、早めに行かなきゃいけないのに……」


 そう呟いて、凄い勢いで駆けだしていく。そういえば、この辺りでは見ない少女だった。ふと、最近家の裏のおじいさんが、お孫さんを家で預かるという、そんな話をしていたような、違うような。


 コウモリが持って行った鞄は地面に落ちていた。それを拾い上げていつも通り学校への道に戻る。


 今日の校門はなんとなく、賑やかな気がした。と、鞄の片面に、泥が派手についていることに気が付いた。落とそうと思い、鞄を持ち上げた時、鞄からぼん、と何かが跳ねるような音がした。


 驚いて顔を上げ、辺りを見回すと、大柄でジャージ姿の生徒がこちらを見ていた。


「お前、やるな」


 彼はそう言って深く頷いた。何のことやらわからない。と、足に何かがこつんとぶつかる感触があったので目を下す。野球ボールが落ちていた。どうやらこれが鞄に当たったらしい。


「その反射神経、素晴らしい! 野球部を『スタート』しないか!」


 もしかして、鞄で野球ボールを受け止めたと勘違いしたのだろうか。勘違いのまま、彼はのっしのっしと歩いて来る。まるで横幅のある電信柱のような大男であった。さっぱりとしたスポーツ刈りで、まるで運動以外のすべてを捨て去っているように見えた。


「俺の名前は逆煮アツシ! 俺達野球部は廃部寸前だが、今年こそ甲子園に行き、優勝旗を校長室に飾ってそれを防ごうと思っている! ともにこの偉業を成し遂げないか!」


 逆煮アツシの異様に大きい声は、すぐさま周囲の視線を集めた。


「いえ、興味ないです」キタルは正直に告げる。


「そういうな! 一度見学に来てくれ!」


 彼はばんばん、とキタルの背を叩く。彼の後ろから、きっとマネージャーと思しき女子生徒が現れる。横跳ねした茶髪が溌剌とした印象を与える。


「と、いうわけで、野球部、よろしくね!」


 彼女はアツシに負けない明るい声でそういうと、一枚の紙を手渡してきた。『野球部熱烈歓迎!』と書かれたその紙には部室の場所が書いている。気になって横目でアツシを伺うと、彼は恐るべきことに、次の生徒に向けて野球ボールを投げようとしていた。どうやら無差別に球を投げつけ、その反応を見て声をかけているようだ。なにかの漫画の真似にしてもあまりに危ない。


 マネージャーの女子生徒は、アツシがこちらを見ていない事を横目でちらと確認する。そして彼女は、彼の肩に手を置いて、ぎゅっと体を密着させ、耳元で囁いた。突然耳殻に吹き込んだ甘い吐息に、思わずキタルは全身が緊張した。


「ごめんね、ウチの兄貴強引で。悪気はないんだ。無理しなくていいけど、野球部、良かったら来て。きっと君、才能あるよ。何か『スタート』しちゃうかも」


 そういって、スキップしながら消えていった。なぜか心臓が鳴りやまない。明日、キタルが所属している部活は休みだ。見に行くだけ行ってみようか、そう思った――おじいちゃんの約束に間に合うように。


 教室に行き、友達に挨拶したり雑談したり。そしてホームルームが始まった。担任の先生は、生徒用の机と椅子を担いで教室に乗り込んできたので面食らった。


「先生、皆に言うのをすっかり忘れていたんだが、実はこの滅茶苦茶変なタイミングで転校生が来る! っていうか来た」


 担任の鱈品イヨ先生はいつも適当だ。ちなみに次賀キタルの従姉妹にあたる。元気で奔放、そしてずぼら、豪快な性格のお姉さんである。


「さあ、転校生、自己紹介『スタート』だ! さあ拍手!」


 先生の呼び声に合わせ、教室に転校生が入って来る。


「前空青美です。禅然全瀬高校から転校してきましたああああ! ってあんた、今朝のヤツ!」


 転校生は急に大声を上げ、キタルを指した。キタルも思わず跳び上がる。前空歩美こそ、今朝キタルがぶつかった真っ白セーラー服の少女だ。


「あんたのせいでわたしは……」


「おや、知り合いか! じゃあキタルの隣にしてやろう。片想井、席空けてやんな。そのかわり一番後ろの席にしてやろう」


 先生は明るく言い放ち、持ってきた机と椅子をえっさほいさと教室の一番後ろに配置し、ばん、と天面を叩く。


「えっ、でも」


 その様に、片想井怨愛は愕然として、何故かキタルの方を見た。


「わたし、次賀君の隣が……」


 いつもは声も小さく口数の少ない彼女だが、このときばかりは不思議と大声だった。


「大丈夫。こんな人にぶつかっといて平気で学校に来るやつの隣、わたしが代わってあげるから。そうしたら安心でしょ」


 前空青美はあくまで同情するようにそういうと、片想井怨愛に移動するように促す。しぶしぶ彼女は、先生が立った今用意した教室隅の席に着く。


「呪い殺してやる。クソ女。楽しい学園生活の『スタート』だ」


 そんなことを去り際に言っていたように聞こえたが、空耳だろう。


「あんたの隣なんて最悪。こんな地獄みたいな『スタート』になるなんて思わなかった」


 前空青美はまるで昔から知っているような口を利く。次賀キタルは溜息をついた。


「本当に申し訳ないって思ってるし、謝ったじゃないですか」


 キタルは丁寧に指摘する。すると、ますます彼女の顔が歪んだ。


「もしかして、本当にわたしのこと、覚えてないの?」


「今朝ぶつかったのは覚えてますよ。あの時は鞄をでかいコウモリに取られて……」


「なにそれ。最低……わたしだけだったんだ、指輪のこと覚えてたの……」


 彼女の声はどんどん尻すぼみ。結局最後の方は何と言ったのかわからなかった。ただ、隣に座る彼女の顔が見るからに沈んでいて、少し気がかりだ。何せ、多分ご近所さんなのだ……もしかしたら昔、遊んだことがあるかもしれないし、歳が幼ければうっかり結婚の約束だってしていたかもしれない。


「そんなわけないか」


 しょうもない妄想を、頭を振って消し跳ばす。すぐに一限目の授業が始まる。


 英語の授業は最悪だった。


「アイ・ラブ・ユー」

「プリーズ・マリード・トゥー・ミー・メアリー・ナウ」

「レッツ・ハッピー・ファミリー・プロジェクト・トゥギャザー」


 運悪く英語の担当、メアリー・クビタッケ先生が指す黒板に書かれた英単語を、キタルは読み上げさせられる羽目になった。残念なことにキタルは英語の成績が壊滅的なので、どういう意味の英語を読まされたかもわからない。


「オゥ、マイ・ライフ・イズ・『スタート』……」


 本来なら殺気立って然るべき所だがしかし、贔屓目に見てもメアリー先生はシンプルにエロい先生だった。おっぱいもでっかく、跳び出たまま、それを隠すことのないシャツ姿。タイトなスカートから突き出る強烈な網タイツを纏った両足は、男子生徒に色々と良くない。赤縁メガネの似合うブロンドのエロの権化。B級ホラー映画のヒロインのような見た目特化の怪物が自分の英語の発音に嬉しそうな反応をしてくれるのに、悪い気はしない。


「ゴー・トゥー・マイ・ホーム・トゥモロー・オゥ・イエス・レッツ・シシソンソン……」


 意味はさっぱり分からなかった。


「おい、キタル、忘れてないだろうな、肝試し!」


 休み時間に、友達の祠割祟が声を掛けてきた。何のことか覚えていない。それが表情に出ていたのか、祟はすぐに言葉を続ける。


「言っただろ、明日、裏山の十億人血祭魔王封印之祠に順番で行って、一人一つ、全部で八つの極悪邪霊絶対封印石灯篭を壊して回るって」

 

 そういえばそんなこと約束をした覚えがあった。


「ごめん、忘れてた。何時だっけ?」


「夜の八時。斧とかハンマー忘れるなよ」


「わかってる。だけどあれ、壊したらまずくないか?」


 約束したのに文句を言うのもよくないが、あれを壊すのは少し気分が悪い。なにせ、極悪邪霊絶対封印石灯篭には、『壊すと世界が滅ぶから絶対にダメ』と日独英の三か国語で刻み付けられている。天暦五年に書かれたものらしい。


「大丈夫だって。なんかあった時の為に産寺千恵子を呼んである」


 その声に、他ならぬ千恵子が反応した。がたり、と席を立つ。


「安心して。実家の名に懸けて、わたしが次賀キタル君のことだけは守るから。護衛任務はもう『スタート』している」


 なんとなく陰気な女子生徒だが、この時ばかりはなぜか心強いとキタルは思った。夜ならおじいちゃんの用事も済んでいるだろう。約束は守れるはずだ。


 昼休み、弁当片手に廊下に出たとき、微かに楽しげなメロディーが聞こえてきた。音を辿ると、屋上からだと分かる。施錠されているはずのドアが少し開いている。誰かがこっそり開けたらしい。


〽あー 学校なんてくだらねえ

 文字を追い ノートをみても 残らねえ

 昨日 今日と 明日も 忘れ忘れ見えない社会


 あー 屋上来ても変わらねえ

 遠い空 手を伸ばしても 届かない

 過去も 今も 未来 何故か何故かぼやけるこの手

 

 屋上を跳ねるアコースティックギターの音色と、それを撫でるような優しい歌声。歌詞と反して繊細な声に、キタルは思わず聞き入った。


「あ? お前、いつからいたんだ!」


 やがて、歌い終わった彼女は、顔を真っ赤にして立ち上がった。急いでギターを背に隠すが、余りにも遅い。


「なんで、どうして屋上に!」


 それはキタルの台詞でもあったが、言わないことにした。その代わり、


「素敵な歌でした。僕も屋上は好きです。ここに来ると、本当に独りになった気持ちになるんです」


「ちげえよ! 一緒にすんな! 馬鹿か!」


 タイの色から、上級生であることが分かる。そんな先輩が大声で怒鳴るものだから、キタルはもっときちんと感想を伝えねばと決心した。


「軽音部の先輩ですか? 先輩の歌、もっと聴きたいです。いつもより、空が近く思えたんです」


「なっ……」


 先輩は言葉を詰まらせ、しばし黙り込んだ後、


「……明日、駅前で、歌う。一人だけど」と、言った。


「本当ですか? 行きます!」


 キタルはつい勢いでそう言ってしまった。まあ、肝試しの後でも十分だろう。


「別に来なくていいからな! 『スタート』の時間もだいぶ遅いし」


「大丈夫です。行きます」


 キタルはもう一度念を押す。さらに、折角だからアンコールでもしようかと思ったところ、チャイムが鳴った。聴き入りすぎて弁当も食べ損ねてしまったようだ。


「わたしと違って、ちゃんと勉強しろよ。早く帰れ」


 先輩に言われるまま、キタルは屋上を後にした。


 放課後は部活だ。部室のドアを開けると、


「べんとらべんとらすぺーすぴーぷる、えろいむえっさいむえろいむえっさいむ」


 濃厚な何かのお香の匂いと、呪文を唱える声がする。本来なら異常事態だが、この部活『人類滅亡悪魔降臨交霊部』では日常茶飯事だ。真っ暗な部屋に、いくつもの蝋燭、不思議な幾何学模様が書かれた絵が床に敷かれ、血生臭いトマトソースが散乱している。


「あ、先輩、お疲れ様です」


 諸世百詩はキタルへ向けて会釈した。本来なら今年廃部だったはずなのだが、彼女が入ってくれたおかげで存続している。


「お疲れ。また模様替えしたの?」


 彼女はいつも熱心に呪文を唱え、分厚い本を読み、部室をインテリアで飾ったり、ジュースを零したりして過ごしている。何をしているかさっぱり分からない。キタルは趣味の詰将棋をするためにこの部屋を使っているだけであるので、彼女の活動に興味はない。


「違いますよ、悪魔を召喚してこの腐った世界を……あれ? 先輩の家に悪魔、来ませんでしたか?」


「まさか」


 キタルはつい、笑ってしまった。


「ですが、先輩の後ろに……」


 何事かと振り返ったが、今朝のでかい蝙蝠が廊下を横切っていくだけだった。何も起こってはいない。


「先輩!」


 何もないはずなのに、何故か百詩はキタルを部室に引き込み、ドアを閉めた。掴まれた手首がすごく痛い。キタルは眉間にしわを寄せた。彼女は一体何に怯えているのだろうか。震えながら人間の手の形の皺が寄った大きな本を捲る彼女を見つめる。


「明日、丁度新月なので、学校に来てください」百詩は、今までにない険しい顔をしている。


「そりゃ、風邪ひいてなければ登校するに決まってるじゃん」


「違います、夜の二時です。この時間に『スタート』しなくちゃいけないんです」


「なんで? 寝てるけど」


「駄目なんです。とにかく来てください。その悪魔は■■■■事件を引き起こした■■■■の■■■■なんです。でも、わたしが祓って見せます」


 なるほど、とキタルは理解した。


「わかった。部活ね。まあ、夜の学校ってわくわくするよね」


 つい、妹に接するようにキタルは言った。深夜なら野球部の見学にもおじいちゃんの呼び出しにも肝試しにも先輩の路上ライブにも被らない。


「違います! これはもっと大きな、■■■■の陰謀なんです! わたしはただ、先輩と二人っきりの世界を作りたいだけなのに……」


「はいはいわかったわかった」


 キタルは適当にあしらうと、椅子に座って詰将棋の雑誌を開く。百詩はツノウサギの生き血を取ってくる、などと言って出て行った。多分、お花を摘んでくる、と同義だろう。


 そうしている内に夕暮れになったので下校する。真っ赤な夕日は山間に沈み、濃紺の夜空が広がっている。キタルはそんな色の空が好きだった。と、その暗がりを切り裂く光が見えた。流れ星か、そう思った時、背後で一際何かが光る。振り向くと、まるでまさに星のように輝く何かがあった。顔を手で覆い光から守っていると、それは急にその一部を裂いた。同時に輝きは失せ、それがただの車のフロントライトだと知れた。なんとなくキタルはがっかりした。裂けたと思ったところは車のドアだった。当然、そこから人が出てくる。


「ここは今、西暦何年で、何月何日の、何時何分だい!」


 ぼろぼろで、かつ油汚れの目立つつなぎを着た女の人が出て来た。大学生ぐらいだろうか。大きなゴーグルを脱ぎ捨てながら、掴みかかる勢いでキタルに迫る。


「二千二十四年一月十二日の十八時二十一分です」


 キタルはスマートフォンを取り出して見せてやる。すると、彼女は目を丸くして大声を出した。


「まさか! すごい! 本当に成功したんだ!」


 もしかしたら、カーレースでもしていたのかもしれない。きっと、新記録を出したのだ。そうでないとこの喜びようは理解できない。


「君の、君の名前は?」


 興奮気味につなぎの彼女は言う。多分、自分が彼女の記録の証言をする必要があるのだろう。


「次賀キタルです」


「次賀、キタル?」


 名前を言った瞬間、彼女は口をあんぐりと開け、しばし硬直した。


「そんな、まさか、こんなところで出会えるなんて。じゃあ、もう、すでに計画は『スタート』していたんだ……」


 そして、急にしゃべったと思ったら神妙な面持ちでそう言った。


「ねえ、明日もここ通る?」


「はい。通学路なので」


「そう。必ず通ってね。じゃないと、歴史が変わっちゃうから」


 多分、明日またここで会い、彼女の記録周りの話をするのかもしれない。連絡先を教えるよりは安全だろう。


「大丈夫ですよ。多分またこれくらいの時間に帰りますから」ここは住宅街なので、攫われても誰かの目には留まるはず。安全だ。


「そうだよ。絶対そうしてね」


 そういって彼女は車に戻った。ふと視線を離した時、車は轟音を上げた。視線を戻すとそこに車はなく、代わりに天高く飛んで行く一条の光を見た。まさか空を飛ぶ車なんてありはしないだろうから、この道をまっすぐ、レースカーとして猛烈な勢いで走り去っていったのだろう。空飛ぶ車があったら、まるでバックトゥザフューチャーだ。


「歴史、か」


 もしも彼女が歴史に名を残すような大記録を成していたなら、大変誇らしい。足取り軽く家の前まで来たとき、


「ねえ、無視?」というきつい言葉が蟀谷に刺さった。


「えっと、前空さん?」


 キタルは足を止め、声の方を見る。間違いなく、転校生の前空青美だった。


「ねえ、キタ君。聞いて。あの、本当に忘れちゃってるならそれでいい。でも、やっぱりわたし、諦めきれない。わたしだけずっと引きずってたなんて考えたくない。だから、絶対に思い出させてやるって決めたから!」


 急によく分からない宣言を青美はした。なんと返したらいいのやら、キタルは目を泳がせる。その様子を見、そして青美は唇を噛んで、すぱっと頭を下げた。


「だから、今日は、クラスのみんなの前で怒鳴って、ごめんなさい。明日、ちゃんとクラスの皆にも事情は説明するから安心して」


 最初は随分大雑把な性格だと思ったが、意外にしっかりしているらしい。


「いや、大丈夫です。気にしないでください。僕は大丈夫ですから。平気ですよ」


 慌ててキタルはそう言った。すると、青美は顔を上げた。しかし、顔を両手で覆っているので表情は伺い知れない。


「ほんと、キタ君って、いつもそう言うんだね」


 少し鼻声で青美は言った。しばらく目をこすった彼女はそして、


「また、明日、学校で!」


 と言って走り去ってしまった。何が何だか分からなかった。だが、安心して学校に行けそうなのは助かった。


「いえーい、先にやってるぜ!」


 家に帰ったキタルを出迎えたのは、鱈品イヨ、クラスの担任であり従姉妹だった。時々こうして、叔母の家、即ち次賀家に遊びに来るのだ。いつも通り、次賀家の今を占領している。


「青春かい? 青春かい?」


「酒臭いよ」


 呆れながら、キタルは鞄を廊下に放り、居間の床に散らばったアタリメを拾った。イヨは酔っぱらうと食べ物を床に放置する癖がある。早めに拾わないとあとで自分が踏む羽目になる。


「何の話してるの、イヨ姉」


 ゴミ箱にアタリメを捨てるタイミングで、キタルの妹、次賀マツが居間にやって来た。マツはまじめな性格で、イヨとは対極の性格だが、何故か二人はとても仲がいい。今日も何やら楽しく雑談でもしに来たのだろう。


「えーっとね、キタの彼女の話」


「え? どういうこと?」


 マツの顔面から表情が剥がれ落ちた。確かにモテないが、そんなに驚かなくてもいいだろう、内心キタルは傷ついた。


「何のことだよ。いねえよ」キタルは語気を強く否定する。


「えー? だって、仲良しだったじゃん、前空さんと」


 楽しそうにイヨは言う。なるほど、酷い勘違いだ。


「違う。朝たまたま顔を合わせただけだって」笑って否定する。


「どういうこと? 前空さんっていなくなったんじゃ?」


 しかして、マツの反応は違った。まるで知っているような口ぶりだった。


「あれ? 知ってるの?」イヨも首を傾げた。

 

 それに対し、マツは大いに首を振り、


「そんな馬鹿な。だってあの子は最大のライバル……排除しないと……」と何かをぼそぼそ言った後、


「ごめん、イヨ姉。ちょっと今日は考え事する。明日から前倒しで計画を『スタート』しなきゃ」


 と言って部屋に戻ってしまった。


「なんだったんだろ。わかんないね」


 キタルはイヨに同意を求める。しかし、イヨの表情も硬かった。


「マツも警戒するレベルか。ちょっと明日からの対応考えなきゃな」


 なぜかイヨの顔も神妙だった。なんとなくハブられた気がしてつまらない。結局その日の晩は早々に寝ることにした。しかし、いつもより少し早いためか、あまり眠くない。なんとなく窓を開けて外を見ると、珍しく星が克明に見える。まるで今にも降ってきそうだった。


 ――星。星占い。


 ふと、今朝の占いを思い出した。


『ふたご座のあなた! あなたの今日の運勢は最高です! 特別な出会いが盛り沢山な一日になるでしょう! 何かが『スタート』する素敵な一日になりそうです!』


 今思うと、笑ってしまう。


「結局今日は、滅茶苦茶普通だったな」


 普通に登校して、普通に友達としゃべって、普通に授業を受けて、普通に部活に行って、普通に帰って、普通に家で過ごした。それだけだ。やっぱり占いは当てにならない。今朝のちょっと浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。


 一方で、もう一つ思い出した。


『ラッキーアイテムは〈明日〉!』


「明日、か」


 星がこんなに目の前に迫っているように見える夜。少しは明日に希望を持っていいだろう。なんとなく、勝手にそう思った。そうだ、明日は学校に行ったら、少しはましな態度の青美がいたり、放課後は野球部の見学をしたり、おじいちゃんに会ったり、肝試しをしたり、路上ライブを聞きに行って、深夜の部活をするのだ。明日の方がはるかに楽しそうではないか。


「そうか、そういうことか」


 漸く次賀キタルは全てを理解し、胸が温かくなる気がした。確かに今日は最高の一日だったに違いない。なにせ、こんなにたくさんの楽しみを用意できたのだ。きっと、自分が気付いていないだけで、もっと他にも、明日にはわくわくする出来事が詰まっているかもしれない。


 否、今までも、実はそうだったのではないか。自分が見逃しているだけだったのではないか。そんな気もする。


「いや、それはないか」


 キタルは首を振って、窓を閉めてカーテンを降ろし布団に入った。そんな都合のいいことあるわけがない。


 そう、明日こそ、きっと最高な一日がスタートするはず!


 そう思うと、彼はあっさりと眠りについた。


 ***


 未読/一件/26:10/鬼殴トワ子

『明日は家から出ないで。キタル君には、死んでほしくない。お願い。『スタート』させるわけにはいかないの』


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