第3話 潔く咲く
青年の笑った顔は、無邪気で、向日葵のようだと男は例えた。
「貴方は、桜のようです」
男は、青年から月に目を移した。
「覚悟はしている」
月の光は青年を照らしている。男は月の光を浴びて輝く青年の頰に触れ、目を閉じた。
「誠の為に生きる貴方は、とても立派な人ですし」
青年は男の手に自分の手を重ねた。
「自分の意思で、大切な人を守り通し続けているじゃないですか」
男が瞬き、目を開けると、青年は今までで一番美しい笑顔を見せた。男は目を見開く。
「今の顔を見て、確信した。機械じゃない。貴様は、機械人間になる前は、普通の幸せを求めて、居場所を作ろうとしたんだろう。ただの人だよ」
男は、青年が一番欲していた言葉を言った。
「そうですね」
男は、青年から手を離し、青年は手ぬぐいを返す。男は、小さく幸せに笑っていた青年の頭を優しく撫でた。青年は自分の頰に涙が伝うのを感じ、必死で涙を拭おうとするが、とめどなく流れる涙は止まることはなかった。
「機械人間になるまでの経緯を話せばきりがないから」
機械で動く心臓を持った青年でも、心は脆い。
「罪人になってから、ようやく周りが見れるようになった気がします」
男は、青年の頭を撫でながら小さく頷いた。
「俺も、今では逆賊だ」
吹っ切れたように笑う男。かつては京にあがり不逞浪士の取り締まりをするために結成されたグループの一員であった。
「そうみたいですね。でも、貴方はとてもかっこいいです」
「そうか?」
男は照れ臭そうに頭をかく。青年は、その様子を見て笑いながら続けた。
「仲間を想って必死で働いてる姿、美しいです」
「そうだな」
二人の間に静寂が流れる。今までになかった穏やかな空気だった。
しばらくして、男が口を開いた。
「機械人間っていうのは、己の意思が無くて、指令がなければなんもできない人間の形を模した奴のことだ。でも、貴様は違うじゃないか。泣いたり綺麗な面で俺に笑ってくれたりする」
「何が言いたいんですか?」
青年はへらっと笑って質問した。
「貴様は機械人間なんかじゃないよ。貴様が生まれ育った時代では機械人間なのかもしれないがな」
青年は、もう一度言われたその一言に、一瞬顔を曇らせたが、すぐに微笑む。男は青年の心の揺らぎに気がついていた。
「少し話が戻るがな」
男は青年を見ながら口を開いた。
「貴様は人殺しという罪を自分の意思で向き合おうとしていたし、向き合おうとしたじゃないか」
温もりがある声に、青年の心を溶かしていく。
「貴様は、機械人間じゃない。罪は大きいのだろうが、俺みたいな奴とも触れ合えるただの人間だ」
男は続ける。青年は聞いているのかいないのか、涙を堪えながらも強く目を瞑っていた。
「どんな人間でも、きっかけがあれば変われるんだ」
青年の肩を抱いている男の手の力が強くなる。
すると、青年は男の顔を見て言った。
「それは、貴方だって……そうじゃないですか」
青年は、涙を溜めていた。
青年は、分かっている。
この男が誰か。
何をして、手柄を上げた男か。
今戦っている理由も。全て、知っている。
青年は知っている。
ここを夕暮れ時に通った男を、呼び止めた部下であろう人が、男に対して呼んだ名は中学の教科書に、歴史の人物名として載っていた名であった。
青年にとって拠り所となっていた妹は、歴史好きな子で、よく話や考察なんかを聞いていた。
「お兄ちゃん、新撰組って知ってる?」
あの殺人事件を起こす数日前、妹と話した時にも歴史漫画の何ページ目かを開いて言っていた。
「混乱した世の中でも、信じている人のために戦っていた人たちなんだって」
点滴の後を隠す絆創膏を貼っている腕を見て、なんとも言えない表情になった青年に
「お兄ちゃん、聞いてる?」
ベッドに座ったまま、青年の妹は、顔を覗いていた。
青年は、振り返る。
妹が重い病気と知ったのは、不登校気味になりつつある中学校の教室まで、珍しく「行く」と言い出した日のことだった。家の玄関前まで見送ろうと行くと、妹は呼吸困難を起こしていた。
ストレスだったのだろうかと考えていたが、長くて今ではもうその病名も覚えていない手術が必要な病気だと知らされた。
「お金、ないんです」
医者の声が脳内で再生された。
「まあ、手術をしないとなると、長くは生きられないでしょうね。これから大変ですよ。保険とかで……」
その後の話はもうぼんやりとしていて覚えていない。
木々の葉が揺れるたびに、カサカサという音が聞こえてくる。
「俺は、手遅れだったのかもしれない。後悔はしていないがな」
鬼の副長と呼ばれている男は、柔らかに笑った。
「人を殺しすぎるのは、もう終いだ」
青年は、男の目をしっかりと見た。青年は夜空を見上げた。月が二人を見守っているように輝いている。
月を見たままの青年の顔はどこか清々しさがあった。
青年は男の顔を見た。
「どうか、貴方は最後までその姿で咲き誇ったままでいて下さい」
妹ならなんで声をかけるだろうかと思いながら、優しい声色で言う。
男の目に月が映る。月に手を伸ばした。
「俺は最後までこの魂を、侍道を貫こうと思う」
青年は、男の方をちゃんと向き直す。
「貴方のような人だからこそ、その信念を貫き通してほしい」
青年は続けた。青年の頰からは、涙は消えているように見えた。
「僕も、最後までめげずに生きますので。機械で動く心臓でも、鼓動が止まるその日まで」
男は嬉しそうに笑った。
「まずは、その痩せ細った図体をどうにかするんだな」
そう言って、男は青年を背負って木から降りた。
周りを確認してゆっくり歩き出す。
「貴様を、寺で引き取ってもらえるか確認してみる。最後まで生きるんだろ」
男の背中は大きくて、暖かい。その安心感は、あの時からずっと変わっていない。
『先に、貴様の話から聞いてやる』
そんな男の気遣いが嬉しかった。
すると、男の耳に明るい青年の声が聞こえてきた。
「あの木は、桜が咲きますか」
細い手で、目の前の大樹を指差す。
「ああ、春になればな」
美しい姿のまま、堂々と咲き誇り、人々を感激させ、やがて散って行く桜の姿を男は知っている。
「潔く咲くのでしょうね」
青年は嬉しそうに呟いた。男も嬉しそうに返す。
「そうだな、きっと堂々と咲いているのだろうよ」
二人は夜空を見上げる。満月に、星が瞬く。
桜はきっと美しく儚く咲くことだろう。
そして、人々の心を惹き付けるのだ。
魂、花となって 千桐加蓮 @karan21040829
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