第2話 道
微かに聞こえる声で青年は目醒めた。木から落ちたはずなのに、まだ木の上にいる。
隣には先程の男がいて、青年の肩を抱いていた。
「脈、確かに弱いな」
男は、刀に手を触れていない。
「さっきまで、僕のこと殺す気満々だったのに」
青年は微かに笑い、呼吸を整えている。
「貴様が着ているものを、ことごとく脱がせて、怪しい手紙はないか等様々詮議しめてもらった」
青年は、ワイシャツのボタンが全て外され、下着が見えているのに気付き、自分でボタンを留める。
「ま、確かに貴様の話は真らしきとは思った。心臓の位置に大きな縫い跡がある。しかして、脈も浅い。新幕府軍は旧幕藩軍よりも兵士の数は足らてるであろう。だから、かのような罪人を戦場に連れてくる事の由はないだろうと判断した」
男はそのままの体制で月を見、続けて話した。
「今、弱々しく息を吸って吐いてる貴様が、走ったりもできないだろう」
青年に情が湧いたのか、冷淡な声ではなくなっている。
「子猫扱いするんですか? 同情したんですか?」
青年は、強がっているのか突っかかるように問いただす。
男は、青年を一瞥し、再び月を見てから、青年に歳はいくつか訊いた。青年は素直に
「二十歳」
と言った後に、男に「貴方は教えないのか」と少し睨む。
「三十四だ」
男は持っていた手ぬぐいで青年の唇の血を拭いてやった。
「こっちが気分を害すから、血は垂らすな」
青年は反抗したげだが、男が親指と人差し指で唇をタコのようにするものだから、青年は口を開くことはできない。青年がむすっとしているのを男は目を細めてじっと見た。
少しして、男は青年の唇から親指と人差し指を離し、手ぬぐいをもう一度持ち直した後、血がついていない面で再び血を拭い、自分で抑えるように言い聞かせた。
「子供扱いはしないで下さい。どうせ、もう長くないんです。好きに使って下さい」
唇を軽く抑えながら、青年は口を尖らせた。
「じゃあ、話し相手にでもなっていただこう」
男の提案に、青年は少し驚いた表情をする。
「見張りはいいんですか?」
青年は、思ったことを質問する。
「ただのそぞろ歩きじゃ。見張りなら他にもいる」
「早く帰らないと、貴方を慕っている人たちが心配しますよ」
「腹を下して、厠で寝てたと言えば良い」
青年は、間抜けな男だと鼻で笑った。
「俺は、豪農の生まれでね。子供の頃、よく木にも登っていた」
「そうですか」
「兄弟の中で一番末っ子だったから、今貴様のことを弟のように可愛がっているつもりだ」
男は、青年の肩を抱いていた力を強くする。そして、ポンっと一度優しく叩いた。
「それはどうもー」
青年は、棒読みのような言い方をした。
「長くないというのなら、寄り添ってもらいたいもんだろ。悪党でも、そう思うもんなんだよ」
少し涙声に聞こえるような気がする。青年は、兄もこんな人だったのならよかったとぼんやりと思った。
「こんな木の上で過ごすより、ふかふかの布団の上で過ごす方が幾分かマシですよ」
青年はそう言って笑ったが、自分は何故か今泣いていた。
男が涙を拭いてやっても拭ってやっても止まない涙を、男は鼻で笑い、青年は自分が泣いていることに驚いて、涙を拭くのをやめた。
「先に、貴様の話から聞いてやる」
「面白くない話です。この話こそ、気分を害します」
頬を伝う涙を見て、男は話す。
「俺のために話してほしい。聞いて、同士であって安心するとかそういうのじゃなく、ただ話を聞きたいんだ」
青年は、男の顔をチラリと見た。美しい横顔に月明かりが当たり、彫刻なのではないかと思ってしまった。
男の頬を触る。意識を失う前までは、死神のような雰囲気を持っていたが、触れた頬は、温かくて柔らかい。
手を男の頬から離し、ゆっくりと青年は話し始めた。
「機械人間になったのは、人の命を奪ったからです。人殺しです。刑で、心臓を脆い出来の機械心臓に取り替えられて、尚且つ、機械人間となり、番号で呼ばれ、タイムスリップさせられる。僕が生きてる時代では、その刑が首吊りよりも重い刑ってのにされています。自分が生まれ育った時代で死ねないのでね。死刑罪より上の刑ってのが十年くらい前からできたんですよ。殺したのは、貴方くらいの男と乳児を二人。それから、女も……」
男の洋装の軍服を掴み、静かに涙を落とす。そして、思い出したくないのか目をぎゅっと瞑った。男はそんな青年の頭を撫でながら続きを促す。
「父は酒に溺れる時間が増えていって。母は家を出て行きました。十歳離れた兄は僕に関心がなく」
嗚咽しながらも話す青年を、男は黙って見ている。
「仲が良かった妹の重い病気になって。手術代のお金稼ぎのために、大勢の人を虜にして、世間を騒がした船での大量殺人をしました。その日、動画配信サイトってので、視聴者をより多く集めた生配信の配信者に膨大なお金を振り込まれるキャンペーンってのがあったのです」
青年は、夜空を見上げながらゆっくりと、呼吸を整えつつ、話しを続ける。
「船の中で人が殺されていく様子を配信した動画は、その日の最高視聴率になりました。船長も囮にしていたのですが、その現場にいた人だか、視聴者だかが警察を呼んだらしい。船は沈んでしまいました。僕は手錠をかけられて署に連行されました。その時、警官に全てのことを話したら、『妹は悲しむ』と言い放たれました。悔しいけど、そうだったかもしれないと、今では本当にそうだと思っています」
男は相槌を打たないが、話は聞いているようだ。青年は続ける。
「当時、僕は十六歳で、学校に進学することは家庭の都合上諦め、バイト三昧の生活をしながら家を支えようとしました」
青年の表情には後悔の念が浮かんでいた。男もその様子に気づきながらも続けるように言った。
「そして?」
青年は頭を横に振る。しかし、男は話せと青年を急かす。再び口を開いた。
「支えようとしていた僕には、妹しかいないことが分かりました。ご飯を美味しそうに食べてくれるのも、それでお礼や感謝を言ってくれるのも妹で。いい子で、本当に。可愛くて、支えられてました」
青年は一呼吸置き、しっかりとした口調で話す。
「僕は、僕を父や自分は関係ないと、無関心だった歳の離れた兄への恨みを晴らしたいと思っただけかもしれない」
男はそっと優しく微笑んで、口を開いた。
「侍が刀を抜くのは、誰かを守るためじゃ。守るためなら何でもする。その動機は、貴様が思うよりかは些細なもの」
男は青年の方を向いた。青年は涙を流しながら、
「僕は、妹を不幸にした」
男は青年の涙を手で拭った。男から借りた手ぬぐいには、涙と鼻水が滲んでいた。
「きっと、妹も僕を恨んでいる」
「そうか?」
男は青年の顔を掴み、無理矢理自分の方に顔を向けさせた。青年は驚きつつも男の顔を見た。男の目は夜を映すように黒かった。
「妹は貴様の兄で良かったと思う日がくるかもしれないかと思うぞ」
男は、力強くそう言った。そして続けて話す。
「貴様は妹が大好きなようだしな。話を聞いただけでも分かる」
青年は少し目を見開き、驚いた様子を見せた後に、緩く笑った。
「でも、人殺しを美化するのは良くないです。だから、僕は罪に向き合うために……いや、違う」
青年は、言い直すために話を続けた。
「法律上受け入れなくてはいけなかったっていうきっかけがあったから、向き合おうとしたという言い方の方が正しいかもしれないです」
男は青年の心情を汲み取り、相槌を打つ。
「罪から逃げないことで、また妹に辛い思いをさせるのではと思ったんだな」
男は、手を元の位置に戻す。
「貴方ならどうしますか? 僕みたいに罪から逃げたいと思ったりしませんか?」
真剣な眼差しで男を見る。男は少し考える素振りをした後、口を開く。
「俺は多分、貴様と同じような道を選ぶかもしれん」
男の回答は予想していなかったのか、青年は驚いた顔をしたが、すぐに目を伏し気味にして、鼻で笑った。
「それでも、最終的には侍道を貫くのでしょう」
男は微笑んだ。
「ああ、俺はどうしたって侍に憧れて仕方ないんだよ」
青年は、男につられて笑った。
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