箱の中身

「教授、どう、思いますか」


 長野県警刑事の今野が熱心に紙片に目を通す初老の男におずおずと声をかける。


 教授と呼ばれた男は丸メガネを左手でなおしてから顔を上げた。


「やっぱり、自殺なんでしょうか」


 今野のその問いに男は答えず、聞き返した。


「あなたはそう思っていない、わけですね」


 今野は小さく頷く。


「これは確かに遺書のように読めます。でも自殺だとして」


 今野は現場写真を男の前に置くと、プラスチック製の衣装ケースに入った女の死体を指差しながら続けた。


「……どうやって衣装ケースの留め具を閉めたのでしょう」


 暗い納屋だろうか、その中央に置かれた衣装ケースの蓋は確かにぴったりと閉まっていた。


「それはそれほど重要ではないかもしれません。それよりも、この衣装ケースが置かれているのは納屋か何かでしょうか」


 今野は一瞬怪訝な顔をするが男の質問に素直に答えた。


「いえ、土蔵です。被害者女性、氷上美和子さんの邸宅内にあります」


 男は頷くと黙り込んでしまった。


 沈黙に耐えられなかったのか、今野は聞かれていないことを話し出す。


「聞き込みによれば、被害者の女性は随分前にご家族を事故で亡くしてからずっと一人暮らしだったようです。ただ、幸いにも今は冬なので遺体の状況は悪くなく、遠縁の方に面確してもらって、身元が特定できたのは、ラッキーでした。ちなみに現場に残されていた紙片の筆跡鑑定も進めていますが、被害者女性が書いたもので間違いなさそうです」


 男は今野の語る情報にあまり興味がないのか現場写真をじっと見つめたまま何も言わない。


 今野が再び沈黙に耐えきれず口を開きかけた時、男はやっと顔を上げた。


「この蔵に窓はありますか」


 今野は男の質問の意図が分からず、今度こそ面食らってしまった。


「ありますけど、事件当日は閉まっていましたし、鍵もかかっていました……」


 そこまで答えた今野は何か合点がいったような顔で続けた。


「ああ、そうか、まだ言ってなかったですね。そもそも土蔵の扉には鍵はかかってなかったんです。だから密室だとかそういうのでは……」


 しかし男は今野の言葉を遮る。


「いや、そうではないんです。ただ」

「ただ?」


 男はメガネを外して目頭を揉みながら細くため息をついた。


「暗かったでしょうね」

「はい? あの、先生はさっきから何を気にしていらっしゃるんです」


 今野の顔には多少の苛立ちが浮かんでいる。


「いえね、蔵というのは見方によれば箱ともいえます」

「箱……」

「そう。そして蔵は透明な箱ではない。窓も扉も閉めてしまえば中は暗闇です。暗闇では……」


 ――入れた物が何か恐ろしい怪物に成ったとしても可笑しくはない。


 男はそう締め括った。


「まさかその怪物がやったっていうんですか?」

「そう、でしょうね」


 今野は苛立ちをさらに募らせ、語気を強めた。


「馬鹿馬鹿しい。怪物なんてこの世にはいませんよ」

「いいえ。いたんですよ。この箱の中に」


 男の声は穏やかだったが、有無を言わせぬ説得力があった。


 今野は黙り込み、言葉を発する代わりに唾を飲み込んだ。


「暗い箱の中に入れられて、怪物に成ってしまったのですねえ……」


――氷上 さんは。


(了)

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