私はいつだって繭の中

間川 レイ

第1話

 あーあ、何やってんだかなあ、私。


 なんて、そんなことを私に覆い被さり腰を振る男をぼんやりと眺めながら考える。


 ほんっとうに馬鹿みたい、なんて。その馬鹿なのは私の身体の上で腰を振る男なのか、それとも一万幾らか払って彼を買った私なのかはわからないけれど。処女卒業サービスだとかいう胡散臭い風俗店のバナーから依頼した彼。


 身体の中を無理やりこじ開けられて、勢いよく掻き回されているような感覚。入らない場所に、無理やり異物を捩じ込まれているような感覚。いや、実際にねじ込まれているわけだから、みたいなという訳でもないのだけれど。そんな下らないことを考える。


 彼が動くたびに、あ、とかう、とか呻き声にも似た声がもれるのを他人事のように感じる。それをよがってるとでも思っているのか気色の悪い笑みを浮かべ卑猥な言葉を投げかけてくる彼。無駄なことを。私は内心ため息をつく。ただ痛いだけだ。気持ちよくなんてちっともない。一人でやってる時の方がまだマシだ。それにその痛みだって、私の外側で起きていることのような。所詮試みに手首を切ってみた時と一緒。私にはこの世の全てが他人事のようにしか感じられないというのに。


 そう、私は物事に現実味を感じることができない。全ての物事が、自分自身とはかけ離れた遠い世界で起きていることのようにしか認識できない。あたかも、興味のないニュース番組をぼんやりと眺めているような。全ての出来事を俯瞰的に見てしまうというか、自分のこととして、我が身に起きていることとして感じられないというか。ボタンをかけちがっている感覚と言ってもいいかもしれない。現実世界のレイヤーと、私という自我が存在するレイヤーが食い違っていて、目にするもの耳にするもの全てが半透明のフィルターを通してしか感じ取れない、みたいな。


 この感覚を上手く言語化するのは難しい。強いていうなら、常に遠くからもう一人の私が観客として劇中の私を見ている感覚、というのが近しいだろうか。劇中の私が殴られたり怒鳴られたりしたところで、所詮フィクションの話。痛みや悲しみも感じられるけど、観客のわたしからすればそれは常に他人事。あーあ、可哀想に。それで終わってしまう話。私は常に傍観者の、観客席の私として現実世界の私を眺めている感覚。


 全ての物事が私の外側で起きていると言ってもいいかもしれない。私はサナギの繭のように分厚い衣に覆われていて、外界からの刺激は全て繭に弾きかえされているようなイメージ。私は分厚い繭の中で、うとうとと微睡んでいるかのような、夢現というか、生きているのか死んでいるのかわからないような状態。実際に眠る前に微睡むのは好きだけど、常に微睡のように現実感がない状況というのは酷く気持ちが悪い。


 それにしても、何でそんなふうになったか、なんて。そんな下らないこと興味もない。それでも強いて理由を挙げるなら、親が教育熱心で、しばしば熱心さが災いして幼い頃から嫌というほど殴られて育ったことか。馬鹿みたいに殴られた。やれ成績が悪い、口のきき方が悪い。なぜそんな簡単な問題がとけない。あまつさえ、箸の持ち方が悪いということに至るまで。怒鳴られ、殴られた。小学校の頃など記憶にある限り毎日のように怒鳴られ殴られていたような印象である。


 あるいは中学受験という厳しい競争世界に、自我の未発達な幼い頃から飛び込みそのストレスから逃れるためか。解けぬ難問、上がらぬ成績。そして成績が上がらなければ冗談みたいに殴られる。そんなストレスから逃れるためかもしれない。


 とにかく、いつからかも、なぜなのかもわからないけれど、私は現実世界に現実味を感じられなかった。常に分厚い繭の内側からしか世界を観測できなかった。それは高校生になっても、大学生になっても、社会人になった今でも変わらない。常にいつだって繭の中。その感覚は気持ちが悪いから、何とかしようと色々試みた。手首を切ってみたり、睡眠薬を一気飲みしてみたり。死というものを目前にすれば、この微睡から覚めないかと思って。あるいは、貯金も出来たことだし不可逆的な痛みを味わえばこの非現実感も解けるかもしれないと思ったけれど、大失敗だ。せめて気持ちよければ救いもあるだろうに、ただ痛いだけ。その痛みすらリアリティを持って感じられないなんて。高い買い物だったな。そんなことを動きの早くなった彼を見ながら考える。


 がんがんと、身体の中を掘削されているような感覚。私のふくらみを揉みしだいたり頂点をいじったり、あるいは股間を舐め回したりしていることから、私を楽しませようとする意図は感じる。その動きは手慣れていて、さすがに商売にするだけのことはあると思う。


 だけど、所詮それも他人事。触られているな、舐められてるな、ということはわかってもそれで気持ちよくなったりはしない。なにか触られている、舐められてる、それを他人事のように感じるのみ。強いていうなら刺激が強くてちょっと痛いぐらいだ。やっぱり私は繭の中。私は孵化することが出来ない。気分はさながら自分の出ている、あまりワクワクしないアダルトビデオを見ているような気分だ。


 スパートをかけるように一層彼の動きが早くなる。私の薄っぺらい背中に手を回されグッと抱きしめられる。動きはさらに早く。慣れてないのに早く動かれて結構痛い。まあ、痛いような気がするが正しいけれど。さらに一層強く抱きしめられ、いくよ、いくよと言われるからとりあえず頷いておく。直後、うーんという恍惚とした唸り声と共にさらに一際強く抱きしめられた後彼の体が弛緩する。


 こんなものか。感想としてはそんな感じだった。初めての性行為。それを終えたら世界をリアリティを持って感じ取れるのではなんてほんの少しだけ期待していたのだけれど。新しい扉を開いて、新しい何かが始まるんじゃないかって心のどこかで少しは期待していたのだけれど。やっぱりそんなことはなくて。体液に濡れたゴムを抜き出しゴミ袋に捨て、先にシャワー浴びてくると言い残し浴室に入る。


 若干の湯気に煙る、大きな姿見。そこに映るのは肉付きの薄い私の身体。左手首には何本かの地面と水平に走る傷跡。結局の所、これと同じか。そんなことを考え傷跡を撫でる。決して消えることのない傷跡。死んでいるのか生きているのかわからないのならいっそ死んでしまえと思った時の傷跡。手首を切って死にぞこなっても世界の見え方は変わらなかった。だったら今度は汚してみるかと思った。そこまでしたのに、私はなおも世界を現実味を持って感じ取ることが出来ない。手首を切り刻んでも、体を汚しても。処女まで捨ててみたのに、世界の見え方は何も変わらない。


「何なんだろうな、私は」


 これで何かかわると思ったのに。ぐしゃりと髪の毛を鷲掴みにする。ポツリと、ほおを走る水滴の感覚。鏡を見ると、私ははらはらと涙をこぼしていた。悲しくなんて、別にないのに。身体を汚したことぐらい、何とも思ってないはずなのに。はらはら、はらはらと。目を真っ赤にして。


 思わず両腕で体を抱え込むようにしてしゃがみ込む。それでも涙は一向に止まってくれなくて。


 ズキズキと熱を放つ股間の痛みが、鬱陶しかった。

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私はいつだって繭の中 間川 レイ @tsuyomasu0418

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