ユーレイドライブ

「いいじかはじめ」

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 明け方、私のスマートフォンが鳴った。『ごめん。海から運んで』いとこからの短い文面に『着くの昼過ぎになるけどいい?』気楽に返事をして、えくぼを浮かべた遺影の前で二度寝した。うつらうつらと仏間の走馬灯や線香のにおいを嗅いでいると、採れたての夏野菜を刻む音が始まり、具がぎっしり詰まった味噌汁のためのいりこ出汁やら、甘塩っぱい卵焼きのにおいが混じる。寝返りをうち、五年ぶりの帰郷に目一杯甘えるつもりでいて、明け方の約束を思い出し飛び起きる。「おはよ。手伝う」祖母に声をかけカーテンを開く。

 昨日祖父が洗ってくれたシルバーの愛車に、夏空が映っていた。

この車にも、もう七年乗っていた。「いってきまーす」私が二十代の体を失うように愛車も少しずつ不調があり、エアコンの効きが微妙に悪かったり、ラジオが音飛びしたり、車検ですら見過ごされるぐらいの小さな不調がある。行きがけに祖父から直せとお金をもらった。渋滞も含めてまる二日費やすほどの距離を走ってきていたから、心配なのだろう。

 カーラジオがあてにならず、ラジオを助手席に持ち込んでいて、音割れがするスピーカーから夏の曲が流れる。川沿いに出て窓を少し開ける。音が漏れていたって、山中に入るとどうせ止まってしまうだろう。対向車もろくにいない、ぐねぐねと折りたたんだような道を黙々と走る。幾つか橋とトンネルを渡る間に、やはりラジオが止まってしまった。私は声で時刻を確認できず、道の駅に立ち寄ってからタブレット端末の音量を最大にし、いとこと聞いていた曲をリピート再生にして制限速度を気にしつつ急いだ。

 いとこは波止場にいた。私の車を見つけて小柄な手足を目一杯に使って寄って来る。気合いがはいったヒトデのピアスや、珊瑚色のワンピースの腰に巻いた厚手のカーディガンから、足元までびしょ濡れだった。「コンビニ寄っていい?」「車で待ってていいなら」確かにそうだ、と近くのコンビニのトイレに入り、自分の飲み物と、彼女のためにタオルとスポーツドリンクを用意して戻った。「はい、タオル」「ごめん、ありがと」いとこは恐縮しながらタオルをうけとり、ノースリーブの腕を上げてヘッドレストにかけた。

「シートベルト着けてね」

「休憩しなくていいの? ここに車がある、って事はそうとう運転したでしょう」

「うん。段々集中力なくなっててさあ。三十代は頑張ればいけるかもだけど、四十になったらもう無理だろうし」

「運転、好きなんだ」

「まあまあ。人を乗せさえしなければ」

 私はミルクティを一口飲んで「そうだ、クーラーごめん。効きが悪くって」ドアを閉めた。いとこは「いいよ。濡れて冷えすぎたぐらいだから」笑っている。両頬にぽこんとできたえくぼが、やっぱりあざやかにかわいかった。

「そう? 川沿い走るよ?」

「うえ。それはやだ」

「了解」

 私は「お祖母ちゃんの家まででいいんだよね」念のために聞いた。彼女はびしょ濡れのまま「ううん。駅まで。未練残っちゃうからさ」窓を少し、開けた。

コンビニを後にして、タブレットから曲が鳴っていない事に気づいたので「ラジオつけてくれる?」彼女に頼んだ。地方のラジオ局から、演歌が鳴った。「曲それでいいの?」

「お祖母ちゃんが好きな曲だし」くすくす笑いながら信号待ちをする。「煙草吸わないの?」

 私が聞くと「部屋だってくさくなる、って言ったでしょ」頬をふくらませる。「あれは退去時の話だから」「車だって売る」確かにそうだ。

「あれから、部屋引っ越したんだ。いい所だったのに」

いとこは一向に乾かない髪を風に当てている。「流石にね」私は胸に重く冷たいものをおぼえる。彼女は「今の住所、後で教えてね」えくぼを見せ「スマホじゃ届けられないものあるし」髪を右肩に垂らし、手首にあったシュシュでまとめた。赤い筋がある。

「いいけどそっちも教えてね」

「やだ」あまりにも即答だった。「なんでよ」「来たら困るし」「私の部屋に転がり込んでおいてそれ」「うん、それ。散らかってるから」直前にパトカーをみつけて、いとこがシートベルトをしていない事にひやりとする。向こうはこちらに気づかず、道を逸れてくれた。

 港町を抜けるまで、お互い笑っていた。山間のトンネルに入ると、ラジオが飛び飛びに知らない曲を流した。民族楽曲のような、高くて懐かしさを覚える曲だった。「これ、何の曲?」私が会話のねたに聞くと、彼女は「これ私が今いる所で流行ってる曲だね。名前忘れちゃったけど」窓に頭をもたれさせているようだった。

「明留お姉ちゃんさあ」

 私は「うん」カーブを丁寧に曲がる。「お仕事休むの大変だったでしょ」いとこのきゃしゃな腕が、濡れた黒髪の先に触れている。

「ううん? あんたが部屋からいなくなって直ぐ仕事辞めたから。今貯金と失業保険でどうにかなってる感じ」


 いとこは少し間を置いてから「ごめんね、急にいなくなって」えくぼを消した。「コンビニへ行ったっきりだもん、びっくりしたよ」私は無理に笑い「こっちこそ、ごめんね。あんなに憧れてた都会だったのに」引っ越しても捨てられなかった彼女のリクルートスーツを思い浮かべる。直ぐに道路情報でかき消された。「そだよ。テーマパークなどここにはない……行けて良かった」私は彼女の明るい声に救われ「でもあっちはここみたいに泳げる川はないよ。ラフティングだって鮎釣りだってこっちのがいいし」懐かしい田舎の景色にほほ笑む。

「そうなんだよ。川。コンビニの帰りに河川情報の看板みてさ、ついついどんなものか河原に降りたんだわ。習性ってこわい」

「見ることないよ。こっちより汚いし」

「な、びっくりした」

「私はコンビニに行くのにその服を着た事にびっくりしたよ。駅で着てたから、一番よそ行きなんでしょう」

「だってみんなおしゃれなんだもん」

すねた声に笑う。「私も最初は思ってたわ、それ」「今は?」「派手だなあ、って」いとこも笑った。「あはは。テーマパークにあめふらしとかうみうしみたいな人いたしね……あー……大学にも行きたかったなあ」彼女はとにかく「海の生き物、好きだったもんね」。

 小さな頃は鯨の学者になると言ってはばからなかった。「本一杯持ってくるからびっくりした」元々彼女がこちらで就職及び大学に行くのなら、私が面倒を見る気でいたから、予めふた部屋ある賃貸に、訳を話して住んでいた。「就職、決まってたのに」彼女はこちらではレジ打ちのアルバイトだった。ゴールデンウィークに私の部屋に転がり込んでから、一月就職活動をして、お盆明けからはパン屋の準社員になる予定だった。

 沈黙のまま、長いトンネルに入る。「鯨ってさ、おっきいから死んだら街になるんだよ」いとこの声が子どもの頃と同じだったので、私は「へえ、すごいね」つい子どもを扱うような声を出してしまい、慌てて「街、ってことは住む生き物がいるんだよね」背中を伸ばす。いとこは「そ。始めはお肉を食べる魚が居て、骨がむき出しになったらコシオリエビとかホネクイムシとかが骨の栄養を食べて、それも無くなったら硫黄が出るんだけれど、今度はそれを栄養の元にしちゃうやつがいる」気にしてもいなかった。

「へえ」

「生きてる、って強いよねえ」

「ごめんね、千早。私が呼ばなかったら、あなたは」

 千早はルームミラーの中であざやかなえくぼを浮かべ「ううん。パパとママに会いたかったから」濡れた前髪を揺らす。


 車が駅の駐車場に着く。長いトンネルを抜けたときにはもう、いとこは助手席にはいなかった。彼女の現在地での流行を流していたラジオは止まり、シートだけがびしょ濡れになっている。位置情報を切ったタブレット端末に、私の生活基盤であった、都会のニュースが入った。三月ほど前の殺人事件の犯人が捕まったと言う一報だ。

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ユーレイドライブ 「いいじかはじめ」 @kumanaka2023

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