メイドと坊ちゃま
@Rui570
メイドと坊ちゃま
とある豪邸。城のような形状をした大きな家の廊下をメイドの杉川心が歩いている。心の手にはトレイが握られている。ワインが入ったビンとグラスを乗せたトレイだ。
「ここまでは順調だね…」
心は正面にある部屋をノックした。
「入ってきてくれ。」
部屋の中にいる男性の声を聞いて、心はドアを開けて部屋に入っていく。
「失礼いたします。お待たせいたしました、ご主人様!」
部屋には高級な椅子に座った家主の高井沢仁雄の姿があった。正面にある机には黒いパソコンが電源の入った状態で置かれている。どうやら仕事をしていたようだ。
「ああ、ご苦労。」
心はビンの栓を開けようとするが、とても固い。
「開かないなぁ…」
栓抜きを使って力を入れたことで栓は外れたが、その反動で尻餅をついてしまった。
「きゃっ!」
心が尻餅をついたと同時に、ワインがこぼれ出てしまい、心のメイド服も床もびしょびしょになってしまう。
「おいおいおいおい……大丈夫なのかよ…」
「も…申し訳ございません…」
そこへ、二人のメイドが入って来る。
「心、あなた、ご主人様の目の前で何をやっているの?」
「ご主人様、私たちの後輩が申し訳ございません。」
二人の先輩が頭を下げ、心も涙を浮かべながら申し訳なさそうに頭を下げる。
「君さぁ、今年で二年目なんだからさぁ、そろそろ勘弁してくれないと困るんだよね。」
「ご主人様、本当に申し訳ございませんでした!」
心は目に涙を浮かべ、泣きそうになりながらも頭を下げ、部屋から出ていった。
心はしょんぼりとうつむいた状態で廊下を歩いていく。その隣を先輩が歩いている。
「杉川さん、あなたねえ、いい加減この仕事に慣れてください!」
「す、すみません。」
先輩が厳しい声を心にかけていく。
「人には向き不向きがあるとは昔聞いたことがあるから、たしかにその通りかもしれないけど、ここで働いているのはエリートという意味なのよ。ご主人様に選ばれた特別な存在・つまりはエリートなんだからしっかりしないと駄目よ。」
「は…はい…。」
その時、二人の正面に高校生くらいの少年が現れた。紺色のネクタイを結んだ青いワイシャツの上に、紺色のブレザーを着用している美少年だ。
「僕はしっかりしていないとは思わないな…」
口を開いた美少年の言葉に、二人のメイドは美少年の言葉に耳を傾けた。
「ぼ、坊ちゃま?」
彼の名は高井沢琉一。年齢は18歳。高井沢仁雄の息子に当たる高校三年生の御曹司だ。
坊ちゃまと呼ばれた琉一は二人のメイドに歩み寄っていく。
「たしかに出来はあまり良くないのかもしれないけど、彼女だって真面目に頑張っていこうという気持ちで仕事をしていたのだから、しっかりしていないと僕は思えないけど、どう思うのかな?」
「ご…ご最もで…ございます…」
申し訳なさそうに頭を下げる先輩メイド。それを見て琉一は頷くと、その場から歩き去っていった。
心は御曹司である琉一の遠ざかっていく後ろ姿を見つめていた。
なんて素敵な言葉を言ってくれたのだろう…。私のお坊ちゃまは優しくてかっこいい。いやいや、感動している場合ではない。私もしっかり頑張らなくては駄目だ。
心は真剣な表情で正面を見つめ、歩き出していった。
ある日の午後2時半を過ぎた頃。住み込みでメイドとして働いている心は、少し遅めのお昼ご飯を食べ終え、仕事に戻ろうと部屋を出ると、早速近くにいた先輩であるメイドに声をかけられた。
「先程、ご主人様からオーダーが入ったの。手伝ってちょうだい!」
「ええっ?…あ…は、はい…。オーダーって何になるのでしょうか?」
「お坊ちゃまにケーキをごちそうしたいとのことで…」
「はい。かしこまりました。」
まだお昼ご飯を食べ終えたばかりだというのにと思った心だったが、以前自身を助けてくれたお坊ちゃまの琉一のためならとこれまで以上に気合が入った。
「頑張りますので…もう少々お待ちください…琉一お坊ちゃま…!」
気合の入っている心を見て、先輩であるメイドは何があったのかよく分からず、困惑した表情で首を傾げていた。
リビング。琉一とその両親がくつろいでいる。そこへ、白い箱を持った心が入ってきた。「失礼いたします。お待たせいたしました。こちらおやつのケーキになります。」
それを聞いて仁雄もソファで座った状態でゲームをやっている琉一の方を向く。
「琉一、霧のいいところで一旦ゲームをプレイしている手を止めてくれ。」
それを聞き、琉一はコントローラーを正面のテーブルに置いた。
「どうしたんだ、父さん?」
「みんなでおやつタイムにしようと思ってな。心君、ケーキをテーブルの上に運んでくれるかね?」
「かしこまりました、ご主人様。」
心はケーキが入った白い箱をテーブルの前に運ぼうと歩き出す。ところが、次の瞬間だった。カーペットの上を通ろうと、スリッパを脱いだ時、近くにある琉一が使用している青いスリッパを踏んづけてしまい、足を滑らせてしまった。
「きゃあっ!」
足を滑らせてしまったことでバランスを崩し、体が大きく傾き、さらに両手に握られていたケーキの入った白い箱が両手から離れ、宙に舞い上がってしまう。
「危ない!」
琉一は転びそうな心に抱きつくように駆け寄り、転びそうな心を抱き寄せた。そして、左腕で心の体を支えながら右腕を伸ばすと、ケーキが入った白い箱をキャッチした。
「怪我は無い?大丈夫?」
琉一は腕の中の心に声をかける。
「は…はい……琉一お坊ちゃま…申し訳ございませんでした…」
「僕は大丈夫だ。そんなことよりも、いつもお世話になっている心さんや他のメイドさんたちにも怪我があってはいけないからね。」
そう言って心の体を支えている左手を離した琉一はケーキが入った白い箱を開ける。中身のケーキはグチャグチャだ。
「怪我人は一人も出なかったが、せっかくのケーキは台無しだな。」
グチャグチャになってしまったケーキを見て、仁雄ががっかりしたようにうつむき、ため息をつく。
「完全に私の責任だ…」
心は仁雄の正面に立つ。
「全て私の責任です。大変申し訳ございませんでした!」
頭を下げる心に琉一が声をかける。
「心さんのせいじゃないって。そもそもこんなところに僕がスリッパを置きっぱなしにするからいけなかったんだ。」
「いいや、琉一のせいじゃない。」
仁雄は琉一を押しどけると、心の方へと行く。
「なんでなのかな?君はいつもドジっている。いい加減にしてくれないか?」
「あなた、心さんだってわざとじゃないんだから。」
妻に言われながらも仁雄はまだ苛立っている。
「君のせいで私や私の家族に…」
「父さん!」
息子の声を聞き、仁雄は口を止める。
「後は僕に任せてくれるか?」
「あ、ああ。琉一がそう言うのなら任せるよ。」
琉一は心の手を引っ張って2階へと連れていき、仁雄は妻と共にソファへと座り込んだ。
2階に上がった琉一は自分の部屋のドアを開けた。
「さあ、入って。」
「し…失礼いたします…」
落ち込んだ表情で琉一の部屋に入る心の瞳には涙が見える。明らかにメンタルがやられているのが分かる。先程のアクシデントのことをかなり気にしているのだ。
「心さん、父さんの言うことは気にしなくて大丈夫だよ。仮に心さんの責任だったとしても僕にも責任があるから。スリッパを整理すらもせずに放置してゲームばっかりやっていたから。だから、大丈夫だよ。」
「ごめんなさい…。……私……手先が不器用で……こんな自分を変えたいんです……」
「なるほどね。」
「でも、なかなかうまくいかなかくて…どうしたらいいのか…」
それを聞いて琉一も返す言葉が見つからず、黙り込んでしまう。
「やっぱり…私はこういうの…向いていないのかも……」
その時、琉一があっと声を上げた。どうやら何かを閃いたようだ。
「心さん、近い日に僕はバイトを始めたいと思いますので、付き合ってくれませんか?」
「えっ?アルバイト…ですか?」
琉一の言葉に心は驚く。
「僕は高校卒業後に父さんの会社を継ぐことになっている。でも、その前に社会勉強をしたいんだ。父さんも母さんも反対するけど、世間知らずの僕がこのまま会社を継いだとしても世間知らずが仇になって、会社が成り立たなくなっちゃうかもしれないんだ。それに、まだ何も知らない僕に色々と教えてほしい。」
そう言って琉一は心に頭を下げる。心は戸惑いを隠せない。
「私なんかで…良いのでしょうか…?」
「もちろん。僕も世間知らずな今の僕を変えたいんだ。」
私も不器用で迷惑をかけてばかりの毎日を今すぐに変えたい。そのためにはバッチリ様々な経験を積んでいかないと!
「かしこまりました。私もお付き合いいたします。」
心は真剣な眼差しを真正面にいる御曹司の琉一に向けた。
1週間後。高校の教室で琉一は急いで荷物をまとめていた。そこへ、一人の美少女がやって来た。幼馴染の清水鈴香だ。
「ねえ琉一君?」
琉一は荷物をまとめているため、鈴香の方は向けず、荷造りをしながら反応する。
「何かな?」
「前にあげたバレンタインのチョコレートの感想を聞きたいんだけど、どうだった?」
琉一は心にアルバイトをしようと声をかける1週間ほど前にバレンタインのチョコレートを幼馴染である鈴香から貰ったのだ。
「あ…ああ…そ、そうだな…」
琉一の表情が曇る。まるで息苦しくて、とても言い辛そうな感じだ。その表情を見て鈴香も再び尋ねる。
「どうしたの?」
「べ、別に…普通に美味かったけど…」
「けどって言っていることは、続きがあるってことだよ?」
「お、おい…近いって…」
鈴香は自分でも知らないうちに琉一に顔を近づけていた。
「何かあったのか話してよ。なんでも受け止めるから。」
「ああ、はいはい…」
琉一は観念する。
「たしかに美味かったけどさぁ…なんで髪の毛が入っていたんだよ?」
それを聞いて鈴香は笑顔になる。
「いやぁ、私達幼馴染だからさぁ、なんかこれからも仲良くしたいし、私のことももっと感じてほしいなぁって思って…」
鈴香はヘラヘラ笑っているが、琉一はその笑顔に恐怖を感じた。彼女は何を考えてるんだ?恐怖心が高ぶっていく。
「悪い。この後用事あるから。」
琉一は荷物を持って逃げるように教室から出ていった。
琉一の後ろ姿を見届けた鈴香の表情が笑顔から真顔へと変わった。先程の目つきも悪くなり、温かい視線も氷のように冷たくなっている。
チョコをあげたのにあまり嬉しそうに見えなかった…。なんでだろう…。私は幼馴染の琉一君に喜んでほしかっただけなのに…。誰にだって優しい琉一君のことが大好きなのに…。大好きな琉一君とこれからもずっと一緒にいたいだけなのに…。
心は自分の部屋で着替えを済ませたその時、誰かが扉をノックしてきた。
「どうぞ。」
扉を開けて琉一が入ってきた。
「心さん、お待たせ。早速だけど、行こう!」
琉一と心は部屋を出て、玄関に向かう。そこへ、母と鉢合わせ。
「あら、琉一。心さんを連れてどこ行くの?」
「ちょっと出かけてくるよ。心さんと一緒にね。」
琉一は親に嘘をついた。父さんの会社を後を継ぐためにアルバイトで社会勉強をしたい。
「帰りは何時ころかしら?」
「帰りは夜になられると思われますが、私が琉一お坊ちゃまに付き添いますのでご安心ください。」
それを聞いて母は不思議に思う。派手にやらかした心さんで大丈夫なのだろうか。
「もしも心さんがやばかったら僕がフォローする。それじゃあ行ってくる。」
琉一は心と共に自宅から出ていき、近くにある銀色の車体に青いラインが入ったスポーツバイクに乗って走り出していった。
二人を乗せたバイクはクランダと書かれたコンビニの駐車場へと入っていった。
「それじゃあ、行こうか。」
琉一と心は店へと入っていく。
「「おはようございます。」」
すると、近くの男性が歩いてきた。
「二人共、今日が初めてだっけか。」
「そうです。本日から私達初めてになります。よろしくお願いします。」
「はい、よろしく。早速だが、今回君たちには接客をやってもらう。君たちには一人ずつ先輩をつけておくからリラックスしてやってくれればいい。」
「分かりました、よろしくお願いします。」
琉一は一人の若い男性店員と共にレジの方へと向かった。レジの前で客が待っているのが見える。
「いらっしゃいませ。承ります。」
琉一がレジにつき、琉一を担当している男性店員が後ろにつき、見守っている。
「お会計500円になります。」
客から金を受け取ると、3つのおにぎりが入ったビニール袋を客に渡そうと手を伸ばすが、手が滑って落としそうになる。
「おっとっと。」
焦りながらもなんとか落ちずに済み、琉一はほっとする。
「失礼いたしました。まいどありがとうございます。」
ビニール袋を受け取った客を見送ると、琉一の肩を担当の先輩が叩いた。
「君は緊張のあまり商品を落としそうになったな。もっとリラックスをして。」
「すいません。先輩はリラックスしたい時、どんなことをしているんですか?」
「そうだな。俺は深呼吸をしている。」
「そうですか、ありがとうございます。」
その隣のレジでは心も若い女性店員に付き添ってもらいながらレジ打ちを行っていた。だが、スキャナーで商品のバーコードを読み取らせようとするが、バーコードがどこにあるのか見当たらない。
「あれ?」
「バーコードはここよ。」
先輩の女性店員がバーコードの場所を教えながらスキャナーにスキャンする。先輩に教えてもらいながらも心はバーコードをスキャンする。
「お会計431円になります。」
今度はビニール袋を箱からうまく出せずにいる。
「ケースをしっかり抑えながらじゃないと、袋は出せないわ。」
それを聞いて心はケースを抑えながら袋を取り出すが、袋がたくさん出てきてしまった。
「緊張しすぎね。もっとリラックスして、力を抜けばスムーズにできるわよ。」
女性店員が優しくアドバイスを送る。
夜の7時頃。バイトを終え、琉一と心は休憩室で店長の前に立っていた。
「二人共、これが本日の給料です。お疲れさまでした。」
「はい、ありがとうございます。」
琉一と心は給料が入ったバイト代を受け取る。
「また頼みますね。」
「かしこまりました。」
琉一と心は荷物をまとめて休憩室を出ていく。
店を出た琉一はバイクにまたがり、心はその後ろに乗る。
「心さん、初めてのバイトどうだった?」
「そうですね…。緊張して袋を取り出すのに失敗したり、お会計の際にバーコードを読み取るのに時間がかかったりとかありましたね。」
「そっか…僕もお釣りを渡すときとかに小銭落としちゃったよ。あと、僕のことは敬語で話したりしなくていいよ。」
「えっ?」
心は琉一の言葉を理解することができず、沈黙。その間にバイクのエンジンがかかった。
「それじゃあ…出発するから、しっかり捕まって。」
琉一は心の両手を自身の腹に巻きつかせた。その行為に心は顔を赤らめてしまう。
坊ちゃま…これは…一体…?
心は困惑しながらも顔を赤らめることしかできず、バイクは風を切って走り出した。
コンビニでのアルバイトがスタートして数日が経ったある日のことだった。琉一が帰りの支度をしていると、一人の男子生徒が声をかけてきた。
「よぉ、高井沢。」
「おう、袋崎。どうした?」
袋崎と呼ばれた琉一の友人はヘラヘラ笑いながら尋ねる。
「お前、コンビニでバイトしてるみたいだけど、親父にバレたらマズくね?」
「あ、ああ。一応隣町だから大丈夫だとは思うけど、父さん達には秘密でやっているから頼む。バラさないでくれ。」
「えっ、お、おう。分かった。」
琉一が帰宅しようと廊下に出た時、一人の少女が現れた。鈴香だ。
「琉一君、前に若い女の人とバイクで走っていくの見たけど、あの人彼氏なの?」
琉一は鈴香の表情を見て驚いた。。刃物のように目つきが鋭くなり、吹雪のような視線が放たれている。
「ねえ?どうなの?ねえねえねえ…」
鈴香は琉一にゆっくりと迫る。
「べ、別に…ただのバイト仲間だ…ぼ、僕は自宅に送ろうとバイクに乗せただけさ。」
そう言って琉一は逃げるように走り去っていった。
その頃、心は仁雄の部屋にコーヒーを届けていた。
「お待たせいたしました、ご主人様。」
「最近慣れてきたみたいだね。こういうのこの間までクズ以下だった君がね。」
ヘラヘラ笑いながら嫌味を言う仁雄にコーヒーを渡した心は部屋を出ようとする。
「ちょっと待って。最近さ、うちの琉一とどこかへ行ってるみたいだけど、なんなの?」
それを聞いて心は動揺する。
「えっ?い、いや、別に…私は…」
そこへ、一人の人物が入ってきた。琉一だ。
「それは違うぜ、父さん。僕はただ外出をしているだけで、心さんに付き合ってもらっているだけだよ。」
それを聞いて仁雄をうんうんと頷く。
「そうか…。なるほど。」
仁雄は納得したように椅子へと座り込む。
この日の夜。コンビニでアルバイトを終え、琉一と心は公園のベンチで座っていた。
「坊ちゃま…私は以前と比べてマシな方…」
心の言葉を遮り、琉一は人差し指で心の口に当てる。
「不安に思っているのは分かっているよ。でも、心さんは頑張っている。真面目で一生懸命だし、お客さんや先輩たちもそれは分かってくれていると思うよ。」
琉一がフォローする。
「それに、僕がミスをした時だって心さんはしっかりフォローしてくれたじゃん。だから、もっと自信を持ってよ。僕は真面目で頑張り屋の心さんが好きだから。」
それを聞いて心は涙を浮かべ、琉一に抱きついた。
「嬉しいです…坊ちゃま…」
琉一も心を優しく抱きしめる。
「私も…優しくていつもフォローしてくれるかっこいい坊ちゃまのことが大好きです。」
琉一と心は抱き合った状態で微笑み合う。
「今日からは…琉一君って呼んでもいいですか?」
「勿論さ。あと、敬語じゃなくてもいいよ。」
そんな微笑ましい二人を偶然見かけた人物がいた。
「琉一君?」
鈴香だ。鈴香は幼馴染が一人の若い美女と抱き合っているのを見て怒りを覚えた。
「あの女……なんで……私の…大好きな琉一君と…だ、抱き合っているんだよ…!」
しかし、琉一と心は鈴香に見られていることに全く気づかないのだった。
それから1週間がたった。この日、琉一は卒業式だった。
「卒業おめでとう、琉一。」
「これまでよく頑張ったわね、琉一。」
「ありがとう、父さん、母さん。」
両親に褒められ、琉一は嬉しそうに微笑んだ。
「今夜は自宅で卒業記念で打ち上げよ。」
「マジで!すごい楽しみだな!」
母の言葉に琉一は嬉しそうだ。
「とりあえず、まずは帰ろう。じいやみんなが待っているぞ。」
父の運転する車に乗り、琉一は高校を後にした。
琉一は自宅で昼食を食べ終えると、学生服から私服に着替え、心と合流した。
「心さん、お待たせ。それじゃあ、行こうか。」
琉一と心が行こうとした瞬間、仁雄が現れた。
「どこへ行くんだ?卒業して一区切りついたんだからバイトなんて行くなよ。」
「別に僕らは……えっ⁉」
バイトしていることを知らない間にバレ、困惑する二人。
「高校入学する前に言ったはずだ。バイトで稼いだ金でもしも会社に悪い影響が出たらどうするとな。金を稼ぐのは父さんに任せろとな。」
「ぼ、僕らがバイトをしているなんて…何を証拠にそんなことを!」
琉一も大声を上げる。
「証拠は…君の服に着けたボタン型発信機だ。これが発信機だとは思わなかっただろうな。」仁雄は二人が夕方に出かけて夜に帰ってくることを不思議に思い、ボタン型発信機を開発して琉一の服に縫い込ませたのだ。
「我が家の規則を破った君にはこの家から出て行ってもらう!」
琉一と心はガードマンに自宅の外へと連行されていった。
仁雄によって家から追放された琉一と心は公園のベンチで座っていた。その近くには琉一のバイクもある。バイクも仁雄の物ではないからという理由から実質捨てられたようなものだ。
「琉一君、私のせいで…ごめんね…」
「いいや、違うんだ…。これは全て僕の責任だ。僕は社会勉強をしたかっただけ…つまりは自分勝手なんだ。心さんも巻き込んだ…」
琉一は左手で心を引き寄せる。
「私だって…こんなドジで失敗ばかりだから……ごめんなさい…」
心も琉一の胸に顔を埋めて泣きつく。琉一も返す言葉が見つからず、心を優しく抱きしめた。その時だった。
「うあぁぁぁあ!」
叫び声と共に一人の女性がカッターナイフで斬りかかってきた。琉一は心と共にベンチから立ち上がるように避ける。
「き、君は…鈴香…!」
鈴香はナイフを手にし、心に向けている。
「な、何を考えているんだ⁉よせ!」
「アンタが…私の…私の琉一君を…死ね!」
鈴香は心に斬りかかる。
「危ない!」
ナイフが左腕に直撃し。琉一は左手で抑える。
「琉一君!」
心は琉一を助けようとするが、鈴香は心に迫る。
「アンタ、邪魔なのよ。私は…琉一君とこのまま結婚して幸せな人生を過ごすのだから…消えろ!」
鈴香がナイフを振り下ろそうとした時、琉一は鈴香のナイフを叩き落とした。
「なんてことをするんだ!」
「琉一君…私は…私はねぇ…」
その時、一台の車が走ってきた。車からは仁雄とその執事が降りてくる。
「なんてことをしてくれたんだ、君は?私の息子を?」
その瞬間に一台のパトカーが走ってきて、降りてきた鈴香は警察官に連行されていく。
「そんな…いやだ…嫌だ!私はねぇ…私はねぇ!」
泣きながら抵抗する鈴香だが、警察官には手錠をかけられ、そのままパトカーに乗せられた。
鈴香を乗せたパトカーは走り出し、琉一から遠ざかっていく。琉一の姿を見て手錠がかかった両手を伸ばすが、届かず、鈴香は涙を流し、琉一を見つめる。
私は…私は…大好きな琉一君と……幸せになりたかっただけなのに……
仁雄は琉一を真っ直ぐ見つめる。
「さっきは言い過ぎた…やっぱり琉一には会社を継いでほしいから戻ってほしい。だからここに来たんだ。」
「…なるほど……」
琉一は怪我した左腕を右手で抑えながら答える。
「その怪我はさっきやられたのか?」
「ああ。心さんを守ろうとしてね…」
それを聞き、心の方を向く仁雄。
「君はもう琉一と関わるな。」
それを聞き、心は凍り付く。
「こうなったのは全て君のせいだ。君のようなクズ以下が琉一と行動を共にしていた理由は知らんが、こうなったのは全て君のせいだという事だけは分かる。メイドもクビだ。私の会社にも悪い影響が出るのでね。」
その時だった。
「父さん…」
息子に呼ばれ、振り向いた瞬間、鉄拳が頬に当たり、仁雄は尻餅をついた。琉一に殴られたのだ。仁雄は琉一を睨む。
「何をする⁉」
「何をするはこっちの台詞だろ。たしかに心さんは冴えない感じだった。家でもバイトでもね。でも、真面目に仕事に取り組んで、誰にでも優しく対応して、失敗を減らそうと必死だった。頑張りたいという気持ちの強さが分からないのか?」
仁雄はゆっくり立ち上がる。
「僕だって父さんの会社を継ぐために社会勉強としてバイトをしてきた。でも、父さんは自分のためなら役に立たない部下を平気で切り捨てるようなタイプだと知った。そうなったらもう会社はおしまいだ。僕はもう会社を継がない…。」
そう言うと、琉一は心に向けて左手を伸ばした。
「心さん…行こう!」
心も涙を浮かべながら琉一に駆け寄り、しっかり左手を握ると、そのままバイクに乗って走り去っていった。仁雄は息子と自身の家で働いていたメイドが乗ったバイクを追いかけもせず、ただ茫然と見過ごすことしかできなかった。
琉一と心を乗せたバイクは夜の道路を走っていく。やがて、バイクはホテルの前に止まった。どうやら今夜はこのホテルで一夜を過ごすようだ。
ホテルの一室で心が琉一の左手に包帯を巻く。
「さっきはごめんね、私のせいで。」
「いいや、謝ることはないよ。僕は心さんを守っただけだからね。」
琉一はベッドに寝転ぶ。心も琉一の隣に寝転ぶ。
「これからどうするの?」
「そうだなぁ…生きていくさ。これからも…愛している君と一緒に。」
それを聞いて心も微笑む。
「私も生きていくよ。…愛している琉一君と一緒に。」
琉一と心はベッドに寝転びながら抱き合い、キスを交わした。
これからも琉一は社会勉強をし、心も自分を変えるために奮闘するだろう…。
メイドと坊ちゃま @Rui570
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