朝霧姉妹のスタートライン

弓チョコ

朝霧姉妹のスタートライン

 昔親から聞いた。


 「人生は、社会に出てからがスタート」だと。


 大人になり、自由になる。何をしても良い。行ける範囲、できる範囲が広がる。扶養家族の時より10倍、100倍、1000倍。

 子どもの可能性は、宇宙のように無限に拡がっている。


 義務教育とは、そのスタートラインまでの準備であるという。

 学校で、家で、塾で。友達と、家族と、先生と。


 社会常識を学ぶ。協調性を学ぶ。ひとりで生きていけるような知識、技術、社会性、身体を育む。


 そして満を持して――


「卒業式も、行かないの?」


 うるさい。


 って、なんだよ。


 人には向き不向きがある。

 何事にも例外はある。

 少数は、はみ出す。


 双子の妹くらげが合格通知を笑顔で持って帰って来た時。私は素直に喜べなかった。褒められなかった。


 寝ている間に、私と妹は天と地ほどの差が付いた。


 社会に出る準備がまだできていないのに、社会に出なければいけなくなった。

 一度は、出てみた。


 勿論、まともに出来る筈も無く。


 私は生産性の無い社会のゴミとなった。


「卒業……作文?」

「久し振りにくらげから連絡があって。まだほたるが家から出てないなら、見せてあげてって」


 私は妹に嫌われていると思っていた。というか、全人類から。

 必死に努力して難関高に受かっても、ひと言も無かった姉だ。勉強もせず働いてもいない。一家の恥で、邪魔者。これからの輝かしいあいつの人生を思うと、その姉が穀潰しなど。本当に邪魔でしか無いだろう。


 『私には自慢の姉が居ます』


 何を書いているのか、あいつは。


 『今の私があるのは姉のお陰です』


 意味が分からない。私は何もしていない。


 『小さい頃、家族旅行で見た――』


 はっとした。

 忘れていた、と。けど。だからなんだと言うんだ。


 『姉は誰よりも詳しくて』


 好きだっただけだ。所詮素人のにわか知識。


 『話す時は楽しそうで』


 何も知らなかったからだ。


 『いつも空を見上げていて――』


 やめてくれ。


 『私の憧れでした。双子だけど、私よりうんと大人びていて』


 そこで音がした。


 電話だ。


 こんな夜に。


「ほたる? 久し振り」

「………………」

「窓開けて。見てよ。今日だよ」

「………………」


 あの日から。


 10年経つ。


 私の視界に飛び込んできたのは、りゅう……。流星群だか昇竜群だか、そんな名前の天文現象。正式名称はもう忘れてしまった。あまり有名でない現象だった筈だ。


 いくつもの星が、空へ昇るように尾を引いていた。


「………………くらげ」

「ねえほたる。ほたるは、身長いくつだっけ」

「…………ひゃく、よんじゅうきゅう、てん、なな」

「ね。成れるじゃん。私より、可能性があるのはほたるなんだよ」


 それとは逆方向。

 上から下へ、私の涙が流れていた。


 ニュースだけは、一応。未練がましく入れていた。


 JAXAの規定で。身長が足りなくて。私とくらげは一度挫折した。


 今回から。

 規定が引き下げられたのだ。


 くらげの身長は143で、まだ足りない。双子だけど、何故か6センチほど違う。私だけ、規定内にギリギリ入った。

 それなのに。


 彼女は諦めていない。


「……私は、まだスタートラインにすら立てないんだよ。けど諦めないよ。いつでも行けるように準備してるもん。ほたるは?」


 私は。


「…………まだ、行けるかな」

「いけるよ。ほたるなら。私のお姉ちゃんなんだから」


 大人になり、自由になる。何をしても良い。行ける範囲、できる範囲が広がる。扶養家族の時より10倍、100倍、1000倍。


 宇宙は。

 1万倍。1000万倍。1億倍。

 そんなものじゃない。


 もう一度。準備したくなった。今からでも、間に合うだろうか。


 妹の目指すスタートラインに、私も一緒に立ちたい。


 私達は、宇宙に出てからがスタートだから。

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