第3話 追加うどん

 うどんといえば、亡くなった祖母を思い出す。


 大正生まれの祖母は、うどんが好物だった。

「何か食べたいものがある?」と聞けば、必ず「ふくほどに熱いうどん」と答えていた。

 麺は乾麵でも生麺でも気にせず、すべてが祖母にとってはうどんだった。


 熱々のシンプルな「かけうどん」が祖母のうどんである。

 汁は熱ければそれで満足なので最初は出汁を取っていたようだけど、粉末のうどんスープの素を見つけてからは、箱買いされて何箱も台所に置かれていた。

 粉末のうどんスープの素は、お湯さえあれば香りの良い関西スープの出来上がるのである。

 出汁を取るのは大変なので、素晴らしい粉末スープを発明したヒガシマル醬油のおかげで、祖母は大好きなうどんを週に数回食べる事が出来たと言っても過言ではない。


 朝もうどん、昼もうどん。夜もうどん。

 暑い日もうどん。寒い日もうどん。病気でも、元気でもうどん。

 ふうふうと息を吹きかけながら、白いうどんをすすれたら幸せ。

 いつ・どこで・何を食べたいかを訊いても、祖母の食べたいものは火傷しそうなほど熱いうどん一択。


 当然だが現実的に、うどんを用意するにも限度があった。

 毎食うどんは不可能だ。


 週に三回は祖母だけのうどんが用意されていたけれど、毎日のように「うどんを食べたい」とか「うどんぐらい食べさせてもらいたいけどダメかなぁ」なんて言っていた。

 うどんがあれば幸せで、とにかくうどんが好きな人だった。


 当然ながら、うどんを家で打つこともあった。

 丸めた小麦の塊を布で包み、食べ物を踏みつけるという背徳感も味わえて、うどん生地を踏むのは楽しかった。うろ覚えだけどあの布はたぶん、餅取り用のような、くっつきにくい布だったと思う。


 古い造りの旧家だったので、台所には竈があり、グラグラと沸かした湯でゆでたうどんは美味しかった。


 しかしである。

 祖母は待てない。


 うどんというやつは、小麦粉をこね、踏み、数時間かけて寝かすことでコシが生まれ、艶々した白い生地を丁寧に伸ばして切ってゆでる。


 その過程が大切なのだが、こねる時は嬉しそうにソワソワしているけれど、私たち子どもが踏み始めると「もうよかろう」「まだ踏むの?」と言い始める。

 踏み終わって寝かしていると、何度も「もうよかろう」とか「まだか?」と言い続けるので、家族は聞き流しながら「まだよ~まだよ~」とオウムのように言い続ける。


 実に大変だった。

 祖母を待たせるのが。


 すぐに食べたい祖母と、美味しいうどんを食べたい、家族の攻防。


 何時間も続くので、美味しくいただく頃にはどちらも疲れている。

 疲れ切った身体に、ゆでたてのうどんは染み入るように美味しかった。

 そして、ゆでたてのうどんを食べた祖母は、汁を飲みほしたからっぽのどんぶりを手に、満足した顔で言うのである。


「また、うどんが食べたいなぁ」


 家族全員から「今、食べたよね!」という突っ込みを受けても、次のうどんは別のうどんなのだから仕方ないのだ。

 どれだけうどんが好きなのか。


 待ち時間が嫌で自家製うどんを祖母は好まなかった。

 気持ちはわかる。待ち時間で疲れ切ってしまうから。


 うどんは家に数種類が常備されていた。

 生うどんと半生うどんと乾麺と。

 それをグルグル回して、うどんはうどんでも全部違うよ、という家族の愛である。


 私もうどんは好きだけれど、祖母のうどん愛を知っていると、普通ぐらいの好きでしかない。

 三食うどんは無理だと思う。


 でも、体調のすぐれない朝に祖母を思い出して、うどんを用意することがある。

 朝うどんは珍しいのか、好きなんだねって言われたことがあるけれど、身体に優しいからねと答えるようにしている。

 本当に優しいかはわからないが、お腹の中からあったまるので、ほっと癒される。


 良いですよ、寒い冬の朝うどん。

 身体を芯から温める、すりおろし生姜を添えるのが私流。

 祖母は生姜は嫌がったな、なんて思い出すけれど、そこは好みの差なのだと思う。


 香りまで懐かしいうどんスープで、身体に優しいうどんをいただく朝。

 ヒガシマル醬油の粉末うどんスープは、祖母のニコニコした顔を思い出す。

 なんとなく良い事がありそうな、思い出の味なのである。




 おわり。

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おもひでつるつる 真朱マロ @masyu-maro

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