第2話 蕎麦
蕎麦といえば祖父である。
祖母のことを大事にしていて、日ごろは「うどんを食べさせてやってくれ」という祖父も、年末のこの日だけは違った。
昔造りの古い家だったので、土間も竈も五右衛門風呂もあって、台所も昔ながらの土間に板を敷いて広かった。
昔の家というのは行事の度に近所が寄り集まって台所仕事もするので、複数人が立ち回れる広さがあるので、現代建築しか知らない人には想像しにくいと思う。
6才の頃にポリオにかかり、歩けなかった祖父は台所に入ることはなかったけれど、大晦日だけは違った。
竈に薪で火を入れて、大釜でお湯を沸かしている近くで、祖父が蕎麦を打つ。
捏ね鉢にそば粉と自然薯と小麦粉と少しの水。
祖父が力強い腕でグイグイと蕎麦をこねていく。
立ち上る湯気と、新年の準備と、今年最後の蕎麦の香り。
あわただしいけど、心浮き立つ時間だったように思う。
蕎麦というヤツは不思議な物で、細く長く切っても、ゆでるとふくらむのである。
捏ねるのは祖父だが、切るときは私や弟も順番で切らせてもらった。
当たり前だが、売り物の蕎麦のように細くは切れない。
そこそこ細く切れたと思っても、ゆでたらブワッと膨らむ。
うどん並みの細さに切っても、ゆでると子供の親指よりも太るのだから、おかしくて笑ってしまったのを覚えている。
毎年のように思考錯誤を重ねて、配合は蕎麦粉 7 : 小麦粉 3に落ち着いたと思う。
子供がいじくっても千切れないように、小麦粉が少し多めなのである。
十割蕎麦だって作れるはずなのに、大人だけの仕事ではなく、子供にも役割を与えたかったのかもしれない。と今になって思うが、もう尋ねることはできない。
大釜でゆでる蕎麦は面白いぐらい湯の中で踊るので、見ていて飽きなかった。
私は火の番が仕事だったので風呂も竈も任されていて、火加減の調整は「薪を入れろ」とかは「灰をかけ」とか曾祖母が指示してくれて、よくわかってないけど言うとおりにしていた。
今ではどこまでできるかわからないけど、私、火の番と合わせて薪割りも得意だったのですよ。
年越し蕎麦とか、蕎麦がきとか、いつもと違う情景の中。
祖母は美味しそうに蕎麦をすすりながら、うどんが食べたいなぁと言っていたのは覚えている。
安定のうどん愛に満ちた祖母に「あ~はいはい、明日はお餅ね」ってみんな笑っていた気がする。
懐かしいな。
子供の頃の情景というヤツは、思い出補正がかかってキラキラして見えるのが不思議です。
大晦日の今日、私が食べるのは蕎麦です。
大釜はここにはないけれど、美味しくいただく予定です。
皆様も、良い年末と年始をお迎えくださいませ。
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