大作家先生、三度目の正直

小石原淳

あるいは二度あることは三度ある

 約束した時刻ちょうどに、先方から電話が掛かってきた。まずはほっとする。予定通り、宿の固定電話から家ているらしい。

 今どき、携帯電話の電波が届かない地域というだけでも珍しいかもしれない。そこへ加えて、悪天候になると固定電話やネット回線まで不安定になると来ては、大事な仕事相手に対して、そんなところへ行ってくれるなと言いたくもなる。だが、あの作家先生――大河角蔵おおかわかくぞう氏は厄介なことに、そういった珍奇な場所へ毎年夏、台風シーズンになると出向くのを常としているのだ。

「いいですか、先生? 聞こえていますか?」

 担当編集者の元木もときは、明瞭な発声を心掛けつつ言った。すると送受器を通じて、大河角蔵の大きな声が返ってくる。

「ああ、聞こえとる。歳は食ったが、耳も目もまだまだ大丈夫だ」

 どの口が言うか、と心中で抗議する。

 編集部の方でお題を指定し、掌編を書いてもらうというのがこの時季の恒例になっているのだが、これまでに似たようなシチュエーションで失敗した経験がある。それも二度。

 厳密には二度目は失敗とまでは言いにくいのだが、確認作業を万全に行えなかったという意味では、やはり失敗の部類に入れざるを得ない。

 一度目は三題噺だった。『ヒーロー』『始発』『幼馴染み』の三つを、大河角蔵は悉く聞き間違え、『緋色』『刺殺』『地味なおっさん』を使ったお話を書き上げてきた。『緋色』と『刺殺』はぎりぎり許せるとしても、何で『幼馴染み』が『地味なおっさん』になるんだ? 後に問い質してみると、電話口で『お・さ・な・な・じ・み』と一音ずつ区切って言うのを繰り返した結果、順番が微妙に前後したらしい。

 二度目は、三題噺ではなく、お題は一つだけ。その代わり、単語ではなく、シチュエーションを表すフレーズだった。『誰かとご飯を食べたくなる物語』、すなわち“誰かと一緒に食事したくなるようなお話”だ。普通なら取り違えようのないお題である。ところが大河が書いてきたのは、恋人と食事をしていた男が突如、人狼としての正体を現し、恋人を食べてしまう話だった。意図を図りかねて説明を求めると、大河はお題を“誰かと一緒に食事したくなる”とは受け取らずに、“「誰か及びご飯」を食べたくなる”と、敢えてひねくれて解釈したのだと得意げにのたまった。

 もうこれ以上、失敗を重ねる訳には行かない。元木は気合いを入れ、伝達に取り掛かった。

「まず先にお題の数ですが、今回も前回に続いて一つだけです」

「それは何よりだ」

「しかも短いです。聞き間違えようがないくらいに短い、単語一つ」

「優しいねえ。老いたる作家への気遣いかな」

「いえ、滅相もない。今回はシンプルに行こうってだけでして。それじゃ、お題を言いますよ。幸い、通話状態は良好なようですけど、念のため、メモを取ってくださいね」

「分かっておる、準備万端だ」

「では――お題は『スタート』」

「……」

「先生? 聞こえました? 聞こえたんでしたら、復唱をお願いしますよ」

「……うむ。『スタート』だな」

「はい、その通り、『スタート』です。何だ、聞こえてるじゃないですか。どうしてすぐに返事してくれなかったんです?」

「いや、別に。何でもない」

 声の調子に、何やらごまかそうとしてる雰囲気を感じ取った元木。脳細胞をフル回転させ、理由を想像する。そしてあることが閃いた。

「まさかとは思いますが、大河先生」

「何だね、改まって」

「『今回はどう間違えてやろう』なんて、考えてはいないでしょうね?」

「うっ」

「何ですか、『うっ』とは」

 元木は盛大にため息をついた。そして送受器を握り直し、強い口調で釘を刺しておくことにした。

「くれぐれも言っておきますが、前みたいに敢えてひねくれた解釈をしないでください。たとえば……芸能界やスポーツ選手の一般人の恋物語とか」

「ちっ」

「何なんですか、その舌打ちは!」


 おしまい

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大作家先生、三度目の正直 小石原淳 @koIshiara-Jun

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