85歳の父が突然Youtuberになると言い出したので俺はどうすればいい

石田徹弥

85歳の父が突然Youtuberになると言い出したので俺はどうすればいい

「オレはになる」


八十五歳の父が台所に顔だけ覗かせてそういった。

僕は朝食の納豆を混ぜている途中だった。必ず百回ぴったり混ぜないと気が済まない。だから僕は父を見つめたまま無視して混ぜ続けた。


「手伝え」

 父はいつも自分勝手だ。

息子の僕に関して、進路から働き先から何もかも決めないと気がすまない。しまいには嫁すら決められそうだったので、急いで当時付き合っていた女性と結婚した。

だがその女性と六十歳で熟年離婚した僕に「戻ってきてオレを世話しろ」と強制した。子供もいなかった僕は、まぁどうせそのうち父も死ぬだろうと思ったので了承した。


 父との二人暮らしを始めて、五年が経過していた。

「はあ」

 ようやく百回混ぜ終わった僕は気のない返事をした。

 ついにボケが始まったか。介護は嫌だなぁ、と思っていたら、父は台所に入ってきて〝かんたんスマホ〟の画面を見せてきた。

「お前なんかの一万倍稼いでるぞ」

 画面には若者男性二人がカメラに向かって楽しそうに喋っていた。

「ミズタマリボンドだ。知らんだろ」

「はあ」

 再び気のない返事をする。知るわけがない。

「帰ったらやるぞ」

 父はそれだけ告げて出ていった。三年前から突然、家の横に開墾しはじめた畑の世話に向かったのだ。だが何を育てているかは一向にわからない。ずっと実っていないからだ。

 僕は支度をして出社した。役所での仕事も今年で定年を迎えるのだが、どうせ仕事以外にやることがないので嘱託を望んでいる。そうすれば三年は追加で働ける。だが三年なんてあっという間だ。その頃父も八十八歳。願わくばぽっくりと逝っていて欲しいところだ。


 役所仕事を終えて帰宅すると、父がリビングのソファに座っていた。眼の前の机には、辞典に立てかけられたスマホが見えた。

「はじめるぞ」

 父はそれだけ言って姿勢を正した。自分で決めたことは絶対に曲げない。そんな父の性格は死ぬまで直らないのだろう。

 待たせたら怒り始めるので、僕は仕事鞄を部屋の隅に置いて着替えもせずにスマホを操作した。

「じゃあ録画するよ」

「早くしろ」

 僕はスマホのカメラを起動して、録画をスタートした。

「あーオレは、えーその。オレは」

 父は自己紹介のようなものを始めたが、どうも照れているようでたどたどしい。さらにかっこつけているのか顔をしかめており、スマホ越しに見えるその姿は、街中で見つけたやばい老人だった。


 ようやく自己紹介が終わった父は、

「トウカイオンエアよりおもしろくしろ」

 とだけ言って自分の部屋に入っていった。トウカイなんちゃらが何かはわからないが、死にかけの老人がたどたどしく自己紹介するだけで人気がでるわけがない。形だけ僕は頷いたが、面倒なのでスマホをリビングに置いたまま夕食を食べて寝た。どうせもう飽きるだろう。そう思っていた。


「今日もやるぞ」

 次の日、仕事から帰宅すると父がリビングで、先日と同じ体勢で待っていた。

「はあ」

 先日と同じようにまた急いで録画ボタンを押す。

 今日の父は、最近の出来事を語りたいようだった。隣に住む父と同世代の山橋さんの、ここは気に食わんとか、掛かりつけ病院の受付女性は愛想が無いとか。どうやら愚痴はすらすらと出てくるらしく、十五分近く代わる代わる誰かの悪口を言って終わった。

「昨日のはどうした」

「あぁ、えーっと。今、アップロード中」

「そうか。今日のはヒカキンくらいにしろ」

 どうやら本気のようなので、僕は父に怒られないように適当にチャンネルを作成し、そこにそのままアップした。チャンネル名は特に決めなかった。最初に与えられたランダムな文字列そのまま。それで充分だろう。

 その後も、ほとんど毎日父の動画を撮り続けた。ほとんどが愚痴で、たまに最近のニュースに対してのコメントのような日もあるが、それも結局は愚痴だった。


「一万人は超えたか」

 九十五回まで朝食の納豆を混ぜていた僕に父が聞いた。すぐにあと五回混ぜて答えた。

「もうちょっとかな」

 やばそうな老人が延々と愚痴を話し続けるチャンネルは、物珍しさで何人かが登録してくれたようだが、まだ八人だった。逆に言うとこんな老人が愚痴るだけのチャンネルを八人も観ているということに、僕は驚いた。確かに街中で老人が騒げば野次馬もできるか……。

 父は、「そうか」とだけ言ってまた畑に向かった。どこか少しだけいつもと表情が違うように思えた。

いつも浮かべている不満顔ではない、どこか楽しさを感じる顔だった。


 その夜から僕は父に意見を始めてみた。

「戦争体験を語ってみたら」

「そんなの誰が聞くんだ」

 父は不満そうだったが、「珍しい話題のほうが人気出るよ」と言うと、渋々と言った感じではあったが、疎開で長野に住んでいたことや、戦後に闇市でやくざと喧嘩したことなど、僕も初めて聞く話を次々にしゃべり続けた。

 その動画がどうやらプチバズというものになったらしく、チャンネル登録者は一気に五百人を超えた。

「今日もやるぞ」

 毎日やっているのに、必ず朝食中の僕に命令する父は、心なしか嬉しそうだった。

 僕はそれが気に入らなかった。

だから、その夜は激辛ペヤングを食べさせた。父はまた怪訝な顔をしたが、「みんなやってるから」という言葉で渋々承諾した。

 出来立ての激辛ペヤングは、カメラを持つ僕のところまで目を突き刺す匂いがしていた。だが死まであと数歩の体のおかげか鼻がうまく機能していないようで、父は問題無さそうだった。

 躊躇なく一気に激辛ペヤングを父は啜った。



「駄目だよ、こんなおじいちゃんにあんな辛い物食べさせちゃ」

 銀縁フレームを輝かせた中年の医者が、やれやれという表情で僕に注意した。

 父は吸い込むように口に入れたペヤングのせいでむせ続け、そのまま呼吸困難になって病院に運ばれた。器官に入り込んだ麺は手術で無事摘出され、今は容体が安定しているらしい。

僕は何度も医者に謝りながら診療室を後にして、父が入院した病室を訪れた。

 呼吸器をつけた父は僕に気が付くと、視線だけ投げかけてきた。

 僕は隣の丸椅子に座って顔を覗いた。

「ごめんなさい」

 子供の時を思い出した。父に怒られる度に僕はそうやって謝る。加齢でしゃがれ始めている声が、その時だけ子供の時の自分の声に戻ったような気がした。

 父は何も答えず、僕をただじっと見ていた。

「……お前は知らんだろうが」

 父がゆっくりと口を開いた。

「ゆうちゅうばあは儲かる」

「……」

 父は知らないだろうが、ユーチューバーが儲かるまでの道のりは、就職するよりも遥かに難しいのだ。

しかし父は、この年齢になってどうして突然そんな夢を追いかけ始めたのだろうか。疑問ではあったが、聞いてもどうせ父は何も答えてくれないだろう。


 そう思っていたら。

「何も残すモノがねぇからよ」

 父はそれだけ言うと、眠りに落ちた。

 父は退院すると、さっそくまた動画を撮り始めた。入院の時の不満や、病院食の不味さを語った。その動画のコメントには父に向けられた暖かいものが並んだ。少ない登録者数だからこその、朗らかさなのかもしれない。

「シバターくらいコメントさせろ」

 父はそうぶっきら棒に言って部屋を出て行こうとする。僕はその背中に言った。

「次は、外で撮ってみようよ」

 振り返った父は少し驚いた顔をしていた。

「高尾山とか、遊園地とか、ドライブするだけでもいいかも」

 僕が照れたように言うと、父は小さく笑った。

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85歳の父が突然Youtuberになると言い出したので俺はどうすればいい 石田徹弥 @tetsuyaishida

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