「最後の葉が落ちたら私は死ぬ」。じゃあもし落ちなかったら死なない?

石田徹弥

最後の葉

「あの葉っぱが全部落ちた時、私も死ぬわ」

 ジョアンナは病室から見える老木に残った、最後の葉を眺めながら呟いた。

「そんなこと言うな」

 スーはジョアンナの手を取って懇願するように答えた。

 だがジョアンナの病気は重く、彼女の精神はすでに疲れ果てていた。老木に残った最後の葉も、風に揺れて心もとない。ジョアンナの今の心を現わしているようだった。


「ごめんね」

 お互いに身寄りのないスーとジョアンナはずっと一緒に生きてきた。同じ夢を語り、きっと近々結ばれて永遠を共にするのだろうと、お互いに思っていた。

 ジョアンナの病気が見つかったのは半年前だった。医者がスーだけに言った。

 持って半年だと。

「葉っぱは落ちない。君もまた元気になるんだ」

 ジョアンナは疲れ果てた笑顔をスーに向けて、それ以上何も言わなかった。

 だがスーは悲しんでいなかった。

彼女に告げた言葉は絶対に叶えると決意していたからだ。


 スーはそれから何日も眠ることなく、研究を続けていたナノテクノロジー技術を使って、新合金『インプロイス』を発明した。それはナノサイズの合金で、噴射した対象の強度を上げる。この合金の画期的な特徴は、与えられた運動エネルギーの分だけ分子結合が強くなる。つまり衝撃を受ければ受けるほど固くなるために、決して破壊されることは無いのだ。

 重機を使い、インプロイスを窓から見える老木全体に噴射した。噴射前に確認した最後の葉は、木との接合部分が数ミリとなっており、翌日には落ちていてもおかしくなかった。


 心配そうに見守っていたジョアンナに、作業を終えたスーが親指を上げる。

 インプロイスの接合は完ぺきに行われた。試しに重機で老木に何度も衝撃を与えたが、甲高い音を立てるだけでびくともしなかった。

「君は死なない!」

スーの言葉に、ジョアンナは喜んだ。葉が落ちないことではない、そこまで自分のために尽くしてくれたスーの想いの強さにだった。




それから五十年の時が経った。

あの老木も最後の葉も、あの時と何も変わっていなかった。むしろ強度は上がっており、全体が鈍色に変わっていた。

スーは自身が創設したナノテクノロジー研究所の中央ホールに浮かぶその老木を、理事オフィスの窓から眺めた。

「理事!」

ドアを勢いよく開けて部下が飛び込んできた。

ゆっくりとスーは振り返った。老いには勝てず、腰も曲がり始めたが、スーの目には弱まることのない力強い意思が浮かんでいた。

「戦闘準備」

 スーが一言だけ命令すると、すぐに施設内は戦闘態勢に移行した。施設を囲むレールガンの砲塔に火が入り、常駐する人種様々な傭兵で構成されたプライベートPMSCの兵が忙しく動きまわった。

スーは壁際の窓から外に視線を移した。

 二人が生きてきた緑の多かった街はすでに砂漠化している。そんな中にこの施設だけが輝くように屹立していた。

砂漠に水色の塊が広がった。

徐々にそれは最新装備で身を纏った歩兵と、二足機甲機兵の集団だとわかった。

「国連が動いたか」

 絵具のような水色の装備にはUNの文字が見えた。

最早この施設は、いやこの木は世界の平和を脅かしていると認識されたのだ。

 スーは部屋の端末を操作して、進軍してくる兵たちにカメラを向けた。

 先頭を行くのは、あの時のままの姿をしたジョアンナだ。

 違うのは、ベッドから降りて自分の足で大地を進み、手には小型レールガンを手にしていることだった。

「スー、その木を渡せ!」

 ジョアンナが銃を構えると、他の兵たちも一斉にスーのいる施設に銃口を向けた。

 スーも自らの兵に攻撃を指示した。

「君は死なない……死なないんだ!」

 二つの軍勢の銃口が一斉に火を噴いた。もはや火などという生易しいものではない。躍進した人類の技術による戦闘は、天が裂けるような光と轟音を奏でた。

 それはまるで、中世に描かれた黙示録を想像した一枚の絵画のようであった。




 二千年の時はあっという間に過ぎた。

 地球という惑星はすでに三百年前に崩壊した。どうにか生き残った人間を含めた、地球産の生物は大型移民宇宙船に乗ってバラバラに太陽系を脱出していった。

 その中の一つである宇宙船「エターナルリーフ」には、生きた乗組員はいない。自動設定された運行システムと〝あの木〟だけがあった。

 そこに三百年ぶりに他の生物が降り立った。ジョアンナだ。

 一人乗りの小型宇宙船をエターナルリーフに衝突させ、無理やり中に侵入した。

 ジョアンナは宇宙服すら着ておらず、一枚の白い布のようなキャミソールだけ身に着けていた。もちろん、その外見はあの時から何も変わっていない。

小型艇がぺちゃんこになるほどの勢いで衝突しても、その結果エターナルリーフ内が炎に包まれようと、ジョアンナには傷一つ付いていなかった。

それは、彼女が見上げる〝あの木〟も一緒だった。

ジョアンナは唯一大事そうに手に持っていた噴霧器を持ち上げた。

 『アンチ・インプロイス』、二千年と五十年かけてようやく完成した、あの木に付着した永久無敵のナノ合金の結合を崩壊させる物質だ。

 長かった。もうジョアンナを知る人間も、惑星すらも存在しない。

 けど、それもついに終わる。

 ジョアンナは噴霧器を木に向けた。

「来たか」

 ジョアンナは声のしたほうへ視線を向けた。

「スー」

 木の下方に、溶液で満たされた小さな瓶と、スピーカーのついた装置があった。

 瓶の中には、脳が浮かんでいた。

「ジョアンナ。僕は、君を失いなくなかった。それだけなんだ」

 スーは脳になったとしても、ジョアンナへの気持ちが変わることはなかった。たとえ一人、この木と共に三百年の時を漂っていたとしても、彼女への愛は変わらなかった。

「そんなあなたの自分勝手な考えで、私はこんな姿になってしまったわ」

「綺麗だよ、変わらずね」

 二人のいる部屋が大きく揺れ、連続した爆発が始まった。もう、長くない。

 ジョアンナは噴霧器を木に向け、迷うことなく噴射した。

 鈍色だった老木は、あの時のようにくすんだ色に戻り、そしてすぐに崩壊を始めた。

「葉は落ちない」

「宇宙空間だもの」

 ジョアンナは少し笑った。

ようやく二千年を超える呪いから解き放たれるという解放感からか、もしくは。

 老木は崩壊を続け、最後の葉と共に消えていった。

 ジョアンナの体が変化を始める。その組織が、分子が、止まっていた時を一気に刻む。

「綺麗だよ、ジョアンナ」

 スーの声はそれを最後に、聞こえなくなった。彼の声を発するスピーカーは燃えていた。


 ジョアンナは答えず、スーの入った瓶を見つめた。

 そのまま無言になった二人は、炎に包まれる。

 二人の世界はあっという間に宇宙に冷やされて光を失い、そうして消えた。

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「最後の葉が落ちたら私は死ぬ」。じゃあもし落ちなかったら死なない? 石田徹弥 @tetsuyaishida

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