CUBE.

西奈 りゆ

CUBE.

 青がそろえば、緑がそろわない。緑がそろえば、赤がそろわない。


 明後日には顔を出さないといけない。わかっているのに、わたしはずっと、手の中で四角をまだ転がしている。


 寒風が吹く昼。音の嵐でこの胸の内をかき消すようにして、ふらふらと理由もなく入ったのは、さびれたゲームセンターだった。


 色の洪水のように押し寄せる景品の数、数、数。けれどそのどれもが、わたしにはどうでもよかった。


 きら光りするゲーム画面、流行りもののゆるキャラグッズ、落とせそうで落ちない場所に置かれたお菓子の大箱。

 何度か百円玉を取り出そうとして、手を引っ込める。平日にこんな場所にいるわたしが小銭を取り出すその光景自体がひどく場違いのような気がして、気が向きかけてポシェットに伸ばした手を、何度もひっこめた。


 前はあんなに好きだったのに、今はどうしてこんなに遠いんだろう。大人になったら、そうなんだろうか。


 だいたい、ここに来たのだって理由なんてない。

 町はずれの喫茶店で缶コーヒーより薄いコーヒーを飲んで、買う気も起きない服の間をうろうろして、知らないヨガ教室の看板を見上げて、少し先のペットショップを避けて、電気屋の横の小道を曲がったら、たまたまそこにあっただけ。


 休日でもなんでもない、空欄の平日。そんなときに、わたしはそんなことで、蟻を一匹一匹潰すように、持て余した時間を無表情に殺していた。


 わたしは何がしたいんだろう。何をしに来たんだろう。そもそもいったい、何をするべきなんだろう。

 白いキャンパスを渡されて、「何でもいいからきれいなものを書いてください」と

言われたら、こんな気持ちになるんだろうか。


 換気扇が機能しているのかしていないのか、ここの空気はひどくよどんでいる。たいしてひともいないのに、ひとの息が溜まっているようだ。

 マスク越しにため息をつく。生ぬるさが反射して、頬にまとわりつく。


 けっきょくわたしは、200円を消費して、その店を出た。2回挑戦して手にしたのは、山積みにされてちょっとつつけば落ちるような、小さなルービックキューブだけだった。


 子どものころ、ルービックキューブをわたしはとにかく好きだった。

手が触れることのない万華鏡を手の中に収めたような、そんな感覚に似ていた。

 この子は賢いねと、そんな言葉までもらえるのだから、一挙両得。世界に対してこわがりだったわたしに与えられた、数少ない世界への切符。


 今、わたしは、どうしようもなく馬鹿なことを考えている。

 さっき思いついたばかりの、くだらないことなんだけど。考えすぎてショートした頭の役割を、この小さな四角に託している。


 なんてどうでもいい思い付き。なんて浅はかな願掛け。全部の面がそろったら、わたしはまだ大丈夫だなんて。


 手にしたときはすべての面がそろっていたそれは、適当に少しいじっただけで、色の迷路に陥ってしまった。


 戻さないといけないなんて決まりはないしノルマもないけど、やっぱり一番綺麗なのは、すべての面がそろったとき。どこを向いても欠けていない面がそろえば、それは元通りになる。


 銀がそろった。黄色がずれた。

 黄色をそろえた。緑が足りない。


 薄暗がりの電気ヒーターの前で、あてもない手遊びをしながら思う。一面だけでもそろっただけでは、ダメなんですかと。「そんなことだけしかできないなんて、何もできないのと同じだよ」と、職場で投げかけられた言葉が蘇る。


 わたしは、そろえたいんだろうか。そろえないと、ダメなんだろうか。

 そろえたら、本当に大丈夫なんだろうか。


 走りつかれた頭に、正解の式は成り立たない。だからわたしはあの頃に、許されていた頃に、戻りたいんだ。


 もう一度、もう一度。不揃いな面を繰り返す。いじくりすぎた、指が痛い。なんだか額も、ぼうっとしてきた。


 もう、泣いていい。好きだったものを、忘れるくらいなら。どこに向いてもきれいなんて、わたしにはもう無理だ。


 放物線を描いたそれは、ふちにあたってゴミ箱に落ちた。小さく「ごめんね」と言って、窓を開けた。


 夕暮れの色だけが、まぶしかった。オレンジを纏ったその空気を、わたしは胸いっぱいに吸い込んだ。















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