歩く意味

月井 忠

一話完結

 ついに左腕が死んでしまった。


 押しても引いても、動かない。


 私はとても悲しくなった。

 だって、もうこの子の生産は終了してしまって、左前足の修理はできないのだから。


 生き物は死んでしまう。

 だから、猫や犬ではなくてペットロボットを選んだはずだった。


 夫を亡くし、広い家に独りは寂しい。

 この子がいてくれて、私はどれだけ救われたことか。


 どうしても私は、この子と一緒にこの家を歩き回りたかった。


 外に連れ出すのは、さすがに気が引けた。

 人の目があるから家の中を散歩するのが私の日課。


 広さだけはやたらとあるこの家が、私とこの子のささやかな庭。


 私は考えた。

 私だって杖をつけば、歩けるのだからこの子にもきっと解決策があるはず。


 そうして私は近くの100円ショップへ向かう。


 店には色んな物が置いてあって、久しぶりにワクワクしてしまった。

 でも、あまりに物が多くて、何を選んで良いのかわからない。


 私はオロオロするばかりで、時間だけが過ぎていった。


「あの? 何かお困りですか?」

 若い男性店員が聞いてきた。


「はあ、その……」

 どこまで話せばいいのかわからず口ごもる。


「今、暇だから、付き合いますよ?」

 そう言って若者は笑う。


 なんだか、夫の若い時に似ていると思ってしまった。


 彼は私をベンチへ誘い、話を聞いてくれた。

 なんでも、休憩時間に入るところだったらしく、随分と話し込んでしまった。


 家でペットロボットと一緒に散歩すること。

 その子の足が動かなくなってしまったこと。


「それなら、あれが良いかも……ちょっと待っててください」

 彼は立ち上がると、小走りで棚の向こうに消えた。


「ほら、コレ」

 戻ってきた彼が手にしていたのは、小さなコロだった。


 荷台の下についているような車輪だが、プラスチック製でとても小さい。


「コレを足につければ、転がせるかもしれませんよ?」

「はあ……でも、どうやって付ければいいか……」


「何だったら、僕が付けましょうか?」

「え? でも……」


「いいですよ。僕だいたい暇ですから」


 なんだか悪い気もしたが、彼の熱意に押されて私はうなずいた。


 後日、私があの子をこの店に持ってきて、その時につけてくれるということだった。

 あの子を外に連れ出すなんてことは、これが初めてだった。




「わあ、可愛いですね」

 彼はそう言って、この子のことを褒めてくれる。


 そして、買ったばかりのコロを左前足につけてくれた。

 下に置いて動くかどうか確かめてみる。


 ウィーン、ウィーン。


 元々、歩くためにある足にコロがついたので、この子は床をツルツルとすべる。


「やっぱり無理がありましたかねえ。良かったら、返品してもらってもいいですよ」

 彼は申し訳無さそうに言う。


「いえいえ、これでいいです……これが良いです」


 私だって杖をついてゆっくり歩くのだから、この子もこんなスピードでいい。

 二人でゆっくり散歩できればそれでいい。




 あれから私はこの子と一緒に家の中を散歩している。

 二人でのんびり散歩を楽しんでいる。


 それと、あの100円ショップにも通うようになった。

 特に買うものがなくても、行っている。


 彼は私を見つけると、いつも声をかけてくれた。

 その時、私はいつもこの子を抱いている。


 家の中に引きこもっていた私に、外出の理由が増えた。

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歩く意味 月井 忠 @TKTDS

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