苦くて甘くて、芳醇な。

緋村燐

苦くて甘くて、芳醇な。

「そろそろ淹れ方覚えてみようか?」


 店長にそう言われて始めたドリップコーヒーの淹れ方。


 自分で淹れたコーヒーをそのまま味見して覚えていかなきゃならないから、前までのわたしだったら躊躇ちゅうちょしてた。


 だって、ブラックコーヒーは苦手なんだもの。



 でも、ある目的のために頑張って覚えようと決めたんだ。



***



「うぅ……苦いよぉ」


「全く、苦手なのに無理するんだから」


 同時期にバイトを始めたマヤちゃんが呆れながら水を差しだしてくれる。


 ありがと、とそれを受け取って舌に残る苦みを流し込むように水を飲んだ。



「いくら彼氏に言われたからって、そこまで無理することないんじゃない? 別に仲は良いんでしょう?」


「そうだけど……」



 そう、わたしが苦手を克服しようとしているのは大学生の彼氏の言葉が原因だった。



 このカフェでバイトを始めて知り合った常連の洋くん。


 かっこいいなぁと思っていたらこっそり連絡先を教えてくれて。


 何度か一緒に遊びに出かけた後で告白された。



 嬉しくて舞い上がってしまったわたしは二つ返事でOKしたんだ。



 それからは彼氏彼女としてデートしたり、洋くんの部屋にお邪魔したりしたんだけれど……。


「そこまで悩む必要ある? 別に手出されていないわけじゃないんでしょう?」


 わたしが苦手を克服しようと頑張っている理由を知っているマヤちゃんはやっぱり呆れ顔でそう言った。



「そう、なんだけど……」


 歯切れの悪い返事をしながら、わたしは事の発端を思い出す。




 洋くんとの恋人関係は順調だとわたしも思う。


 手をつないでデートしたり、洋くんの部屋でキスをしたり。


 ……ただ、そのキスにちょっとばかり不満があった。



 洋くんとのキスはいつもチュッと触れるだけ。


 初めはそれでよかったんだけれど、何度唇を重ねてもそれ以上のキスはしてくれなくて……。


 コドモ扱いされているのかなって思ったわたしは勇気を出して聞いてみたんだ。



「どうして大人のキスはしてくれないの?」


 って。



 それに対しての洋くんの答えがこうだ。


「だって、俺のキスってブラックコーヒーの味すると思うんだよ。カナ、苦いの苦手だろ?」


 と、いつもブラックコーヒーを好んで飲んでいる彼は言った。


 ついでにいうと。


「大好きな彼女にキスが苦いとか言われたくねぇし」


 だそうだ。


 だからわたしがブラックコーヒーを飲めるようになったらしてくれると言っていたんだ。



 そのすぐ後くらいに店長からドリップコーヒーを淹れる練習の提案があったから飛びついてしまった。


 そして今に至る。



「……まあ、結局はカナがどうしたいかだからね。どうしてもって言うならもう何も言わないよ。頑張んな」


「うっ……そうだね。頑張る」


 そうしてわたしの奮闘は続いたのだった。



***



 一か月後。


 今日はバイトが終わったら洋くんの部屋でゆっくりしようかと事前に約束をしていた。


 店の中で時間をつぶしながら待っていてくれた洋くんに「お待たせ」と声を掛ける。



「ん、お疲れ様」


 そう言って頭を軽く撫でて労わってくれる洋くんにキュンとした。


 こういうちょっとした瞬間に、ああ、好きだなぁって思うんだよね……。



 そうして二人そろって店を出て、コンビニでお菓子とか飲み物を買う。


「ブラックコーヒー1つと、カナはカフェオレにする?」


 レジで頼む際洋くんはわたしにそう聞いてきた。


 大体はカフェオレにしているけれど、たまに気分で違うものを注文するからの質問。



 でも今日のわたしはいつもと違うんだ。



「ううん。わたしもブラックコーヒーで」


「は?」


 驚く洋くんを放って、店員さんは「ブラックお2つですねー」とカップを用意してくれた。



 マシンでコーヒーを入れながら、洋くんはまじまじとわたしを見る。


「カナ、いつの間にブラック飲めるようになったの?」


「前に店でドリップ練習してるって言ったでしょう? まだ一定の味には淹れられないから店では出せないけど、味の違いとかは分かるようになったんだよ?」


 そう得意げに答えるわたしを洋くんはまだ信じられないものを見るような目で見ていた。



 道中も味の違いが分かるようになった証拠とばかりにコーヒーについて語る。


「最初はね、やっぱり苦いとしか思えなかったんだー。せいぜい濃いか薄いかわかる程度」


 濃さは見た目でもある程度分かったし、苦みの強さでも分かる。


 だからとりあえず一定の濃さになるように練習しつつ、コーヒーの苦さに慣れていった。



「でも段々ね、うまく淹れられると苦みが少なくなることに気づいて……。そうやって飲んでたら酸味とかちょっとした甘味とかも分かるようになったんだよ」


 ふふん、と得意げに語るとやっと洋くんも信じてくれたみたいだ。



「マジで飲めるようになったんだ……ってか、得意そうなカナ可愛いんだけど」


「ふぇ⁉」


 突然の誉め言葉にわたしの方がビックリする。


 ビックリしてドキッとしたのに、洋くんはさらにちょっと意地悪な顔をして言った。



「でもそうやって頑張ったのってさ……もしかして俺と大人のキスしたかったから?」


「っ!」


 その話をしたのは二か月ほど前のことだったから、もしかしたら忘れてるかもって思ってた。


 それならそれで部屋についたらもう一度言って大人のキスをしてもらおうと思っていたんだけど……。



「その反応だと図星だな?……じゃあ、今日は俺も期待していいんだよな?」


 なんて言うからわたしの心臓はすでにバクバクいっている。



 忘れてないどころか期待してるとか……もしかして本当にわたしに苦いって言われたくなかっただけなの?



 いくら何でも彼女とのキスをそんな理由で拒むとかおかしいんじゃないかって思い始めてた。


 だから、今日はブラックコーヒーを飲めるようになったって伝えて本当の理由を聞き出そうと思っていたのに……。



 え? え? ほ、本当に⁉



 頭の中は大混乱。


 胸はドキドキバクバク大合唱。



 そんな状態でわたしは洋くんの部屋に入って行った。


***


 コートも脱いで、ローテーブルにお菓子や飲み物を置くと「じゃあ飲んでみてよ」とコーヒーを勧められる。


 とにかく飲めるようになった証明はするべきかと思って自分のカップを手に取った。


 そうして口をつけると、洋くんも自分のコーヒーを飲み始める。



 コク、コク、と二口程飲んで、ふぅーと息を吐きだしながら洋くんを見た。


「本当に飲めるんだな」


 道中の話で信じてもらえたと思ったんだけど、また何だか驚いた顔をされる。


「本当だよ。言ったでしょ?」


 唇を尖らせて不満をうったえると、フッと笑った洋くんは顔を近づけてチュッといつもの触れるだけのキスをした。



「そうだな……じゃあ今は、口の中俺たちおんなじ味してるんだろうな?」


「っ!」


 大人のキスを示唆しさされて、一気に鼓動が早くなる。



 いや、してほしいとは思っていたんだけどね!


 でもいざしようってなると緊張するっていうか……。



 洋くんは自分のカップをテーブルに置いてわたしのもやんわり奪って隣に置いた。


「カナ、くちあけて?」


「え? あ……」


 優しく頼まれて、考えるより先に洋くんの望みをかなえる。


 そうしたら、わたしの口に吸いこまれるように洋くんの唇が触れた。



「んっ……」


 初めての、大人のキス。



 初めての触れるだけのキスのとき、男の人も唇は柔らかいんだなって思った。


 今回も、舌って柔らかいんだなって思った。


 でも今回は、柔らかいばかりではなくてわたしの舌を絡め取ろうとする獰猛どうもうさも垣間見える。


「んっ、ぁふっ……」


 恥ずかしいけれど、息苦しさもあって声が漏れてしまった。


 すると最後に舌をチュッと吸われ、唇が離れる。



 いつの間にか閉じてしまっていたまぶたを上げて洋くんを見ると、少し真剣な目で見られてちょっと怖かった。


 でも……怖いけど、それすらもドキドキしてしまう。



「……ど? 苦い?」


 囁くように問われて、「ううん」と答える。


「苦みもあるけど……どっちかっていうと甘くて……」


 キスで少し頭が溶けてしまったのかな?


 ふわふわした頭で、わたしは正直に思ったことを口にしていた。



「ふぅん……」


 すると洋くんは、少し意地の悪さを滲ませるように目を細める。


 一口、またコーヒーを飲むと、彼の腕がわたしの背中に回された。


 後頭部を支えるように回った腕がしっかりとわたしを抱き込むと、また洋くんの顔が近づく。



「じゃあ、もっと味わってな?」


 そう言って今度はさらに深く入ってくる。


 早くもとろけてしまった頭で洋くんとの大人のキスを感じ取る。



 洋くんとの大人のキスは、苦い苦いブラックコーヒーの味。


 でも、その苦みの中にはわたしの意識を溶かすほどの甘さがあって……。


 そして、大人の色気を感じさせる芳醇さがあった。



END

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