知覧の空

玉川 駈

温泉 実話怪談

 全国の秘湯を旅するのが好きなAさんが、九州に旅行に行った時の体験。


 フェリーに乗り、東京から愛車のフリードで大分に着いたAさんは気ままな一人旅の手始めに大分の観光地を巡ることにする。

 竹田市にある難攻不落の城と言われた岡城跡、キリシタン洞窟礼拝堂、

 お昼には有名な中津からあげを山盛り食べて大分を存分に満喫していた。

 さて、今夜は鹿児島で有名な砂蒸し風呂に入ろうかと道路を南下していると、綺麗に刈り上げられた街路樹の間に石の灯籠が立ち並ぶ不思議な道路にでた。


 なんだ?ここは、街路樹が灯籠なのか?どうしてこんなに沢山の石灯籠が道路に並んでいるのだろう。


 Aさんは不思議に思いながらも、道路脇に並ぶ無数の石灯籠に導かれるようにして進んだ。たどり着いた先には「知覧特攻平和記念館」と書かれた建物があった。

 入り口から見えるガラス通路には、半分に折れて錆び朽ちた戦闘機の残骸が寂しそうに展示されている。


 海軍零式艦上戦闘機、略して『零戦』名前だけは知っているが、戦争の歴史にはあまり詳しくなかったAさんは、いい機会だからと入館料を払って記念館を見物することにした。


 どうやら、この知覧という地域には、太平洋戦争時代に片道の燃料だけを積んで人間爆弾となって散った日本軍特攻隊の基地があったようだ。

 戦地となっている沖縄を最終防衛戦線として、そちらに向かって飛び立つ基地においてこの鹿児島の地域はうってつけの場所だったのだろう。

 実際に、九州南部には砲台跡や造船所などの戦争遺構が沢山あり、当時は日本軍の要所とみなされ何度も爆撃を受けたという。

 戦闘機で飛び勇んだ若者達も、敵軍艦に到達し本懐を遂げた者はほんの一握りで、殆どは海上で敵艦の張った弾幕により撃墜され海に沈んだと記してあった。


 館内には、特攻に向かう若者が家族に宛てた勇ましくも悲しい内容の手紙や遺族から寄贈された遺品などが多数展示してあり、館内を見学し終わる頃にはAさんも現在の平和な世の中に感謝の念を込めて慰霊碑に手を合わせていた。


 思いもよらぬ充実した内容に満足したAさん、さて、じゃあ今日はどこの温泉に入ろうかと近隣の良さそうな温泉をスマホで探し始めた。

 当初の予定では鹿児島の南端の指宿にある砂風呂に入ろうかと考えていたが「知覧特攻平和記念館」を見ている間にあっという間に時間が過ぎて、さらに空模様が怪しくなってきた。どうやら

 空には黒い雲が広がり、心なしか小雨もぱらついているようだ。

 雨の中で砂風呂に入るのはごめんだと、Aさんは近くの温泉を調べ始めた。


 温泉とひとことで言っても、その奥は深い。単純泉、塩化物泉や含よう素泉。源泉掛け流しや加熱の有無。硫黄、鉄、カルシウム、マグネシウムなど、その成分までこだわり始めると、待っているのはまさに「沼」なのである。

 いろいろな角度から検討した結果、露天風呂が評判の、ある温泉施設に目が留まった。浦島太朗が持ち帰った箱の名前が付いている、海沿いの温泉で、温泉成分、塩素濃度共に問題のない、Aさんにとってとても理想的な温泉だった。


 Aさんが温泉に着いたときには、もう日が落ち始めていた。温泉自慢の海と開聞岳を眼前に臨む露天風呂を満喫できるかどうか怪しかったが、波音を聴きながら星空を眺めるのも乙なものだと思い、期待しながら温泉施設の受付を済ませた。


 ネットで調べた際には露天で人気の温泉ということだったが、天気が悪いためかAさんの他には客は居なかった。

 8箇所ほどのこじんまりとした洗い場で身体の汚れを洗い流し、はやる気持ちを抑えて奥の露天風呂への扉を開いた。


 露天風呂からの景色は圧巻だった。夕日に浮かぶ開聞岳が影絵のようにくっきりと浮かび上がり、手前の東シナ海の波は穏やかに港町を包んでいた。熱過ぎず、ぬる過ぎないお湯の温度も申し分ない。富士ではないが、葛飾北斎の浮世絵の如く美しい景色にAさんはうっとりと時間も忘れて露天風呂を楽しんだ。


 日がとっぷりと沈み、周りの景色が墨を被ったように暗くなってきた頃、Aさんは流石に自分の身体がのぼせそうなくらい暑くなっていることに気がついた。

 急いで風呂の縁の岩に腰を上げる。湯の熱さに対比してひんやりとした外気が気持ちいい。辺りはすっかり暗くなり、先ほどまで悠然と姿を表していた開聞岳もどこにあるかわからないような暗闇に包まれていた。


 その時、Aさんは今日訪れた「知覧特攻平和記念館」の展示パネルの一節を何の気なしに思い出していた。


 ___特攻隊が最後に見た本土。「薩摩富士」とも呼ばれる開聞岳を背に彼らは沖縄に飛び立ったのでした。

 右の翼に250キロの爆弾、左翼には同量の燃料。爆弾を多く積んでいるため高くは飛べず、燃料は片道分のため戻ることは叶わない。

 開聞岳を見ながら海岸線を越えると「もう戻れない、行くしかない」と何ども開聞岳を振り返りながら覚悟を決めた___。


 戦争は既に最終局面に来ていて、全国から集められた特攻隊は10代から20代の若者ばかりだったという。おそらく、戦争が始まった早いうちに父親の世代の男性はすでに徴兵されて何処かの戦線で戦っているか、既に命を落としていたのだろう。親の仇をうつという責任感からか、それとも、ここで自分達が犠牲になって敵勢を止めないと家族が、日本が無くなってしまうという尊い志からか、彼らは戻ることのない戦闘機に乗ることを選んだんだのだろうか。選ばざるを得なかったというのが本当のところか……。


 様々な事がよぎっていたその時、出し抜けに眼前の暗闇からドーーーーン!ドーーーーン!という大きな爆発音が2度立て続けに鳴り響いた。

 驚いたAさんは巾着袋の口を閉じるようにシュッと素早く肩まで湯に浸かった。辺りに目を凝らすも、先ほどまで目の前に広がっていた開聞岳の雄大な景色はもうすっかり日の暮れた暗闇にかき消されて見えない。


 何だ何だ?と驚いているAさんの耳に、続けざまに聞こえてきたのはたくさんの人間が大声で囃したてる声だった。

 男のものとも、女のものともつかない、複数の声色が、Aさんの浸かっている露天風呂の周りから聞こえてくる。

 何と言っているのか聞き取れないが、日本語であるような気がした。それも、目の前の開聞岳に向かって盛んに意気込む、勇ましい掛け声に聞こえる。

 そしてまたドーーン!という爆発音。


 周りの雑木林から聞こえる、たくさんの人間のどよめきは続いている。Aさんはしばらく露天風呂の中で身動きもせずにその爆音と掛け声のようなものを聞いていたが、どうやら音だけで近づいてくる様子もない。

 のぼせそうになったため、何回目かの爆音の後にお風呂から上がって、その後は何も不思議な体験はしなかったという事だが、その間に他の人間がお風呂に入ってくる事も、声の主が姿を見せることも無かったという。


 「あの場所には、お国のために身を捧げた若者達の気概や、見送った者達の想いが未だに残っているのかもしれません。少なくとも私にはそう思えました」と、Aさんは言う。

 「怖い話とか幽霊話を聞いていると、肌を刺すようなヒヤリとした感じがあっただとか、足を踏み入れた途端に身体がゾクゾクしたとか、そういうのよく聞くでしょ?でも私がこの体験をした時には全然怖く無かった。むしろ、何だか胸が締め付けられるような、熱くなる様な不思議な気分になったんですよ」とAさんは話を締め括った。

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知覧の空 玉川 駈 @asakawa_p

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