4.そして今後

 また再発したのは一年後。さすがに慣れてきた。また放射線受けてきますと同じ病院に行った。


 放射線の先生は「久しぶり!」と上機嫌。なぜかというと前回の放射線が良く効いたから。微妙に思ったが、ご機嫌のほうがいい。


 今回はちゃんと画像を見ながら説明してくれた。なんだろう……。


 ところで、二、三回目の放射線を当てた頃から脳に少しずつ変化が出てきた。


 長編を書いても覚えていられない。回想や視点の変化をどこに入れたらいいのかわからない。伏線がわからなくなる。話を考えようとすると目が回って頭痛がしてくる。


 固有名詞がでてこない。目の前で揺れている“カーテン”がアレしかでてこない。 

 高次機能障害のように、時系列で物事が考えられない。ヒロインと相手の年齢差の計算ができなくなった。

 

 話を書いては消して、書いては消して、を繰り返すようになり、気がつけばフォローしていてくれた方はいなくなっていた。


 休めばよかったのに、それさえも気がつかずただあがくようになっていた。

 “リディアの魔法学講座”は自分の自信作でもあり、まともな頭の絶頂期の頃の話。 

 伏線をたくさん入れて、それぞれのキャラクターの背景がちゃんと書けていた。


 もう私の頭では書けない。うらやましいです。まともな頭をもつ他の作者さんが……。


 そしてまた一年後、腫瘍が再発した。もう怖さで震えるとかはない。主治医は、手術で簡単に取れるけど「チームで話し合います」。

 そしてBNCT(ホウ素中性子補足療法)をこの病院ですることを勧められた。これまでの患部照射ではなく、脳全体に放射線を当てるということ。


 この方法は現在の病院の放射線科でできるということで結構気楽だった。ただ、その方法でいいの? とまた迷うことに。

 ネットで調べても髄膜種に効くのかわからない。


 そして、今回会った放射線の先生は気になることを言った。何度も放射線をかけている頭に照射しことがないと。


 これまで放射線をかけた先生のほうが経験豊かなので、意見を求めたほうがいいといわれ受診して、また――怒られた。


 前回の上機嫌とは全く違う。「君も○先生(主治医)もわかっていない。今度放射線をかけたら確実に君は足が動かなくなる!」


 衝撃だった。足を失うなんて。わかるわけないじゃん!


 主治医の所に戻り伝えたら「じゃあ予定通り、うちでBNCT放射線をやりましょう」

 え?

「どの治療だってリスクはあるから」

 それ違う。


 “確実”に足を失うといわれたのに? 主治医を疑った。この先生大丈夫? 


 ――そして、私は別の脳外科の先生に移った。紆余曲折して知人の伝手で紹介してもらった現在の主治医の△先生だ。


 △先生は穏やかな方。そして手術をお願いしたら受けてくれた。


 ――普通は違うところで手術をした患者を受けてくれることはない。医師達の関係、前回の手術の痕など、この先生はすごくレアな方。


 ただ私の脳は前回の手術とは全く違い、血管が複雑になっていた。

 昔は単純な枝だったのが、網状になっていた感じ。でき続ける腫瘍に対応して血管を構築、走行させていったのか、腫瘍は栄養を取っていくため自分のために血管を作っていったのかは知りませんけど。


 先生は「あなたの血管は穴のあくほど見たけど正直わからない」(脳の血管はどんなに小さなものでも、傷つけたら障害を起こしてしまうことがある、けれど腫瘍を取るために犠牲にしなければいけない)


「目を覚まさないかもしれない」「体の機能を失うかもしれない」覚悟をしてと言われた。


「手術は自分の責任だから」とも言われた。凄い先生だなとも思った。そんなことを言ってくれる先生はいない。


 家族で説明を受けた時の話だが、父は先生からの説明をうけて質問の場で「お任せします」と言っていた。その年齢だとそうなのだろう。


 私は、助産師として産婦さんに「お産の希望は(バースプラン)はありますか?」と訊くと「お任せします」と堂々と言われていた時がある。


 言う方も言われる方もそれが正しい、という雰囲気だった。でも、ベテランになった今は「お任せします」というのは違和感を持っている。

 産むのはあなた。人生にお任せはない。


 私はその時「先生を選んだのは私の責任だ」と思った。手術は先生の責任でも「その後の辛さも、障害を耐えるのも自分の責任だ」と。


 形成外科も受診した。私の場合は既に頭蓋骨に浸潤しているので人口骨にする。手術を決めたら人口骨をオーダーしてしまうので取り消しはできない、と言われた。


 そして手術直前の三月、私は――手術を断った。


 手術トラウマが消えていなかった。


 先生は言ってくれた「それがあなたの本能からの言葉なんでしょうね」。でも人口骨はオーダーしてしまって、百万程病院の損失になるけれど仕方ないねとも。


 一瞬、手術やめられるなら百万払います! とも思ったけれど言わなくてよかった。


 そして五月の画像は、まだ様子みられるね。八月のMRI……巨大化していた。しかもいくつもできている。


 私は自覚症状ないし画像見ても今更という感じだったが、先生は「こんなのほっとく人はいない」


 手術をしても障害が残るという状況下。私は「両親が高齢で、私の介護ができない」とまた逃れようとした。

 温厚な△先生もイラついた様子だった。「手術を受けないならば、死にますか」


 絶対に頭をあけないと決めていた、開けたら私はダメになる、そんな予感に襲われながら、手術は九月に決まった。


 そして家族を連れての面談は二回にわたった。一回目は手術決定。二回目の先生の話では「両大腿から下、右肩下から動かなくなるのを覚悟して」


 呆然。

 手術の四日前に言うの酷い!! マジで逃げようかと思った。でも前日まで仕事入れているから逃げる暇がない。


 そして私は呆然としながら、入院した。病院に来てしまえばベルトコンベヤーだ。

 呆然としながら手術室へ直行。


 術後も朦朧としていたが、動かしてみたら両手と足が動いたので良かったと思った。


 意識がちゃんと戻ってから気がついたのは左足が動かないということ。ふとももだけは動くけれど膝から下が動かない。


 体を横向きにするのは、柵に掴まり腕の力で横向きに。ただ左足が右足の上にのるとコンクリートみたいに重い。

 しかも動かない左足はゴロンと後ろに崩れてしまうか、前に行ってしまうかで完全な横向きになれない。


 病室に行ってからもぼんやりしていて、そのうちショックが来るのだろうなと思っていた。


 幸いにも、リハビリで動くようになり今は杖歩行で歩けるようになった。



 私の腫瘍は静脈洞というところにできたもの。これは大きな血管で傷つけたら死んでしまうので、どうしても周辺に腫瘍を残すことになる。


 放射線では抑えきれず、私はそこから再発を繰り返していた。けれど今は、脳を包む硬膜のあちこちに見えない腫瘍細胞が広がり、時間と共に大きくなるとMRIで見えてくるだけ。どこにどのくらいひろがっているかわからない。ただ永遠に続く。


 △先生曰く「手術と放射線で見えてきたものを叩き続けて、いつかいい薬が出るといいね」


 いい薬!? その時には体の機能も頭の機能も失っていそうですけど!


 いつまで叩けるの? 何回開頭できるの? 訊いても先生も無言になるから「その時々で考えるしかないですよね」いつも私が答えている。

 時々思う、悪い夢をずっと見ているみたいだ。そのうえ今回も腫瘍は全摘できず、数個残してある。



 その次は放射線だ。今回は別の放射線病院へいった。全国に拠点をおくレットリボン軍の総帥の●先生は診察室に入るなり、手術直前の画像を見て「いやあ、腫瘍育てたね!」と。(実は●先生には三月に意見を貰いに行ってる)


「このでかい腫瘍を△先生は取ったのか、しびれるなあ!」


 どの先生もうちの主治医を絶賛。主治医は自分自慢をしない、多く語らない人だ。

 夜中の零時までやって直後に学会四日間(海外?)に行ってしまった。そんなすごい人。


 私は、主治医にシビアな今後しか言われていないので朦朧とお礼を言っただけ……。


 ●先生は一番気さくで質問しやすかった。


「先生、悪性ってなんのことですか?」


 そもそも悪性度を測る数値のmib‐1が普通は0.3ぐらいなのに私は30、なかなかみないぞ。


「悪性細胞があることだよ」


 どうやら私は悪性細胞がたくさんあるらしい。


「私、毎回放射線のたびに馬鹿になるのがもう嫌です」

「どんどん機能を失うのは仕方ないね!」

「Xを見ていて、十人に一人ぐらい脳腫瘍の気がしてきました」

「高瀬さんのような人、一年に一人くるぐらいだよ」


 天下のレッドクロスの本院で、そんな稀さか!


 そして治療最終日に先生とお話。次に放射線の先生と会うのはまた治療の時です。


「それでは、先生。なるべく長い間、会いませんように」

「いや、案外すぐに会う気がするなあ」

「やめて先生!」


 そう言って、私は診察室の扉を閉めた。


 現在そろそろ放射線の後遺症が始まる頃。

 前回以上に脱毛、頭痛、てんかん発作、身体障害がでてくる恐れもある。認知機能の低下も怖い。

 次の二ヶ月後のMRIではもう再発しているかもしれない。来年、再来年には何回目の再発を繰り返しているのだろう。


 入院中、同じ病気の高齢者(良性だが開頭を四回、それは良性?)の方に訊かれた。「産まれ変わったら何がしたい?」


 転生なんてしない。今生で頑張りましたから!  


 私は後ろ向きな性格。だから前を向かなきゃと思って行動する。


 今後も医療者として経験を活かし頑張るかもしれない。趣味の英語と仏語に加えて、更に違う言語を勉強して障碍者としても海外に行くかも。今回PTにお世話になったので、リハビリ関係を勉強して経験を役立てたいとも思う。


 そんな風に思いながら筆を降ろします。治療というその場しのぎの対処は続いていきますけれどね。

 

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脳腫瘍。「先生、私10人に1人は脳腫瘍の気がしてきた」「君みたいな人、1年に1人来るぐらいだよ」 高瀬さくら @cache-cache

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