この思いは私だけの胸に

間川 レイ

第1話

「だからさ、私は文章に味を感じるんだって」


 なるほどなぁ。そんな共感覚を巡る私の言葉に相槌を打つ彼。目の前には黄金色に輝くかぼちゃケーキ。クリームの乗ったかぼちゃケーキを食べながら彼は相槌を打つ。彼は味わうように二、三度頷きながらフォークを進める。


 良かった、口にあったみたいだ。私は内心胸を撫で下ろす。帰省のついでにと立ち寄ってくれた彼。おすすめの純喫茶があるんだと言って連れ出した。ここのかぼちゃケーキは確かに絶品だ。タルト部分はしっかりしているのに、ケーキの生地はすごくしっとりしていて。まるで硬めに焼いたプリンのような食感だ。


 そして肝心かなめのお味もかぼちゃの味は強すぎず。ナッツの入ったあまり甘みの強くないクリームとまた絶妙にマッチしているのだ。私も彼と同じようにフォークを進める。小さく切り分けたケーキを数口ほおばり、ブレンドコーヒーで余韻を洗い流す。このブレンドコーヒーもまた絶品なのだ。薫り高くて、繊細な味がして。普段がぶ飲みしているペットボトルのコーヒーなど、ただの苦いだけの液体だと思わせてくれる。そのぐらいふくよかで、コクがあって、舌の上に感じる情報量が多い。そんなコーヒーを舌の上で転がすようにしてから、飲み込む。ほう、と熱いため息を吐く。


 幸せだ。内心呟く。それはきっと、私が一人きりじゃないから。彼と一緒だから、というのもあるのかもしれない。なんて、そんな内心は表には出さず。熱く火照った頬を隠すようにコーヒーをもう一口あおる。やっぱり外が寒い時の熱いコーヒーは最高だ、なんて。思考を紛らわすようにそんなことを考える。


 彼とは長い付き合いだ。初めて出会ったのは中学生のころ。女子テニス部と男子テニス部の交流会ということで開かれた、ミックスダブルスの初めてのペアが彼だった。それが中学1年生のころだから、かれこれ15年ぐらいの付き合いになるのだろうか。長い付き合いだ。しみじみ思う。幼馴染といっても過言ではないかもしれない。


 中高一貫校だったから高校までは一緒で、大学は関東と関西に分かれて。それでも関西でそのころ入っていたインカレサークルの会合があれば必ず遊びに行って。会場と近いからという理由で泊めてもらったことさえある。彼が社会人に、私が大学院生になってからもその関係は続いた。趣味で書いている小説の添削をしてもらったり、大学院の愚痴を電話で聞いてもらったり。


 色んなことがあったなあ。頬を緩ませながらコーヒーを飲む彼を、ぼんやりと頬杖をついて眺める。色んなことがあった。中学生の時、文化祭で一緒に映画を撮った。脚本私、監督私、副監督彼という配置で自主映画を撮った。特にスケジュール周りでは物凄くもめたっけ。そんなことを思い出しながらケーキを食べる。ここのコーヒーめちゃくちゃ旨いな。でしょう?そんな会話を交わしながら。


 そう、自主映画作りは滅茶苦茶にもめた。明らかにスケジュール的に完成が間に合わなくなって。最終下校時刻を無視してでも撮影を続けようとした私と、それは許されないと断固として抵抗した彼。校則なんか知るかと声を荒げた私に、校則破りに周りを巻き込むなと同じく声を荒げた彼。落ち着け落ち着け喧嘩なんかするなと周りを物凄く慌てさせた思い出がある。若かったなあ。私は小さく微笑む。


 どうした?そんな私を見て尋ねてきた彼。一緒に映画とってた時のこと思い出してた。私は答える。あの時のお前滅茶苦茶頑固だったな。そう小さく笑う彼にあの時は私が悪かったよと謝る。結局スケジュール的には間に合ったけれど、その他にも色々もめた。やれカメラワークが酷い、編集が雑、彼にはいろいろ言われたものだった。口だけ出して手を動かさないのはやめてと怒った記憶があるけれど、最終的に正しいのはいつだって彼だった。カメラワークは何が起こっているのかわかりずらいと不評だったし、肝心要の試写会で編集で入れたBGMが全て消えるという大アクシデントを起こしたのだから。


 あの時は必死に謝ったっけ。ガス灯を模した間接照明を見上げながらぼんやり考える。本当は泣きたかったけれど、泣いて謝ってしまったら泣けば許されるように思っているみたいに思われるのが嫌だったから、必死に涙をこらえて謝った。彼は私を責めなかった。逆に謝られた。いや、スケジュールで無理をさせた俺が悪いと。お前のスケジュールでいけば、十分チェックの時間はあったし撮りなおす余裕もあったのにと。


 出演者の少なからずが私を咎める目をしている中で、数少ない私を咎めなかった彼。救われたような、悔しいようなそんな気持ちがあふれてきて結局泣いてしまったことをよく覚えている。私が泣いているときも無理に慰めようとせず、黙ってボックスティッシュを渡してくれた。この子は優しい子なんだと思った記憶だ。


 高校の時もたびたびぶつかったものだ。そんなことをやや硬めの、アンティーク調のソファーにもたれかかりながら考える。どうしたどうした、疲れたか?と揶揄うように言う彼に、生徒会選挙のこと思い出してたと答える。ああ、と苦笑する彼。高校の時の生徒会選挙。その時も彼に手伝ってもらったけれど、やっぱりはちゃめちゃにもめたものだった。


 高等部に上がってから初めての生徒会選挙。その時私は書記としての出馬を決めていた。その代の生徒会選挙はかなり倍率が高くて、定員2名のところに5名の出馬があった。そして、対抗馬の子たちはことごとくが中等部時代部長をやっていたりと知名度の高い子たちで、知名度の差を埋めるためには選挙演説で少なからずのインパクトを与えることしか逆転の目はないように思われた。


 そして当時の私は、ディベート部にいたことから人前で話すことには慣れていた。そして、より強いインパクトを与えるためには通り一遍の演説では駄目で、何かキャッチーなことをする必要があると思った。


 そこで私は、前生徒会の施策を徹底的に攻撃することで、キャッチ―さを得ようと考えた。ある種の扇動演説のようなものを試みたのだ。そしてその扇動演説はウケた。言っては何だがたかが生徒会選挙でそこまでマニフェストを作ったり、政策分析をする人がこれまでいなかったというのもあるだろうし、純粋に面白いもの見たさというのもあるのかもしれない。ノリのいい上級生などは、私の扇動に対してそうだそうだ!と好意的なヤジを送ってくれていたわけでもあるし。前生徒会の支持者を除いて、私はわりかし好意的に迎えられていたように思う。


 だけど、そんな私のやり方に真正面からそのやり方は良く無いと言ってきたのもまた彼だった。分断を煽るな。安易なポピュリズムに走るな。お前はウケているんじゃなくて面白がられているだけだぞ。それは、今思えば至極まっとうな忠告だったように思う。だけど、猛烈な勢いで対抗馬を追い上げていて、自分の扇動演説にも磨きがかかってきたと信じていた私はそれを鼻で笑い飛ばしたものだった。


 そこには公募で決まった次の文化祭のテーマが変革であったように、学校中に生徒たちの力で何かを変えてやろうという気持ちが溢れているように感じていたからかもしれない。勝てば官軍負ければ賊軍、目的は手段は正当化するのだみたいな、そんな安っぽいマキャベリズムを言ったような思い出がある。


 結局のところ、選挙には勝ったし二期書記を務めることができた。逆に言えば、二期務めた後私は退かざるを得なかった。次の代の子たちにとって、私もまた攻撃すべき前生徒会役員に過ぎなかったから。マニュフェストを実現できなかった裏切者として、徹底的に攻撃のやり玉に挙がった。結果として、私は役員を退かざるを得なかった。


 そんな私を、やっぱり彼は責めなかった。だから言ったのにとは一言も言わなかった。すごすごと帰る私にあんまん奢ったるわと半ば無理やりにあんまんを握らせてきた彼。そのあんまんは甘くてしょっぱくて、彼のぬくもりの味がした。


 尖ってたなあ、私。小さく苦笑する。ん?どうした?という目線をコーヒーをすすりながらくれる彼。私尖ってたなあって思ってさ。今も十分尖ってるぞ。そんなことを言いながら私のくわえた煙草に火をつけてくれる。ありがと。私は片手をあげ小さく拝む。昔ほどじゃないけどな。かもね。小さく微笑みあう私たち。


 彼も煙草をくわえるのを見て、火、貸すよと言う。頼むわ、と私が火をつけやすいように煙草を前に突き出してくる。私も煙草をくわえたまま火のついた先端を押し当てようとしたけれど、それは勘弁と軽くおでこをはじかれる。あう。軽くおでこを抑えるポーズをして抗議する。すまんすまんと片手をあげてくる彼に小さく笑いつつ、火をつけたマッチを近づける。もう一度片手を切ると顔を近づけてくる。そのごつくて角ばった顔を。今ならまつ毛の数だって数えられるんじゃないかってぐらいに、無防備に。


 ああ、好きだなあ。そんな横顔を眺めながらぼんやり思う。いつから私は彼を異性として好きになったのだろう。高校までのころは間違いなくそんなことは思っていなかった。苦手というほどでもないけれど、言いにくいことをズバズバ言ってくるちょっと怖い子。そんな風に思っていた記憶がある。頼みごとは聞いてくれるし、企画力もあったからイベント事では大体一緒に組んでいたけれど。猛烈に仲がいいというわけでもなかった。


 強いて言うのなら、同じ小説執筆という趣味を持つことで小説の見せあいっこをしていたり、ごくまれに一緒に中庭でお昼を食べたり、放課後だらだらと喋っていたことから、一緒にいて居心地の悪い子ではなかったように思う。他の男の子と話すときはかなり緊張するほうだったけれど、彼に限っては比較的自然体で話せる。そんな子だったはずだ。かといって決して好きとかそんな気持ちを持っていた記憶は間違いなくない。友達のうちの一人、そんな認識だったはずだ。


 だからきっと、彼を好きになったのは大学に入ってから。私が小説投稿サイトに小説を投稿するようになって、小説を投稿する前に彼に読んでもらうようになって。本当に親身に相談に乗ってくれた。ここの表現はわからん、この作品は何が言いたいのかわからんからここはこうしたほうがいい。そんなほかの人なら躊躇して言わないだろうことまでもしばしば指摘してくれた。言われたときは本当に?と思うものの、時間を空けてみてみれば確かに直したほうがぐっと良くなっていた。


 他には弁論サークルに出す原稿についてもアドバイスをくれた。その表現だと多分こう突っ込まれるから直したほうがいい、そのロジックには穴があるからやめたほうがいい。俺ならそこはこういうかな。まるで我が事のごとく相談に乗ってくれた。週に1,2回電話をかけても嫌な顔をしなかった。電話が2,3時間に及んでもうんざりした顔一つ見せなかった。


 彼と話すのは楽しかった。大学の同期と話すのも楽しくはあるけれど、どうしても付き合いの長さでは彼に軍配が上がる。同期には話しにくいことでも、彼になら安心して話すことができた。いろんな話をした。最近の学校の話、選択した語学が思いのほか難しい話。単位の話。そして家族の話。家族とうまく行っていない話。幼少期のころから高校生に至るまでずっと親に殴られていた話。親への憎しみの話。親への殺意の話。


 いろんな話をした。彼が私について知らないことなんてないんじゃないかってぐらい話した。彼について知らないことなんてないんじゃないかってぐらい彼の話を聞いた。彼と話すときだけは自然体でいられた。私を飾らずに、ありのままの私として話を聞いてくれた。そして駄目なことは駄目と叱ってくれた。体調が悪ければ深刻に心配してくれた。家族だって私の体調なんか気にしたことないのに。


 私が大学院に入ってからも変わらなかった。彼だって就職したばかりで忙しいだろうに、いつ電話してもほとんど電話に出てくれた。私が大学院に入って、急速にメンタルが悪化するのを心配してくれた。私があまりの辛さに号泣しながら電話をかけても、静かに話を聞いてくれた。直接会うことはできなかったけれど、いつでも私の隣で話を聞いてくれた。それがどれだけ救いになったことか。何度自殺しようと思って、せめて彼と話してからと思い直したことか。彼は私の命の恩人でもあるのだ。


 やっぱり、いつから彼を好きなのかわかんないや。そんなことを火をつけようと悪戦苦闘している彼を見ながらぼんやり考える。じっとしてて。彼の煙草を手で固定すると、慎重に火をつける。すまんな。礼を言って離れていく逞しい彼の顔を見送る。


 ふーっと美味しそうに煙を吐く彼。煙が私にかからないようにちょっと顔を背けて。やっぱり好きだなあ。そんな思いを再確認する。さりげない気づかいができるところも。私はもともと一人のほうが好きな人間だ。だって、そちらのほうが自然体でいられるから。のびのびとしていられるから。ありのままの自分でいられるから。


 でも彼は特別だ。彼の前でなら、私は私のままでいられる。私は私としてのびのびできる。こうして沈黙が広がっていても、別に苦にならないのだ。そんな一緒にいて居心地のいい人間が、彼なのだ。そんなことを考えながらだいぶ短くなってきた煙草をもみ消す。


 それに彼と一緒にいると、心がポカポカするのだ。そんなことを煙草を吸う彼を眺めながら考える。体温が上がり、鼓動が早くなる。でもそれは決して不快なばかりではなくて。彼の近くにいると、安心するのだ。何か大きくて暖かいものに寄りかかっているかのような。あるいは大きくて暖かい、もふもふのぬいぐるみを抱きかかえているときのような。


 ああ、願わくばぬいぐるみにそうするように、そのがっしりとした肩に顔をうずめてみたい。なんて。それは所詮妄想に過ぎないけれど。だって私は、彼からすればただの友達に過ぎないのだから。そう考えるだけで胸の底をキュッとひっかくような、冷水を流し込まれたような心地になる。


 ああ、彼となら結婚できるんだけどな。そんなことを短くなってきた煙草を名残惜しげに吹かす彼を見ながら考える。私にもとより結婚願望なんてない。だって、家族なんてものに碌な思い出というものがなかったから。父親というものに、いいイメージがなかったから。家族とは私を傷つける鞭であり、縛る枷である。それが私の家族というものに対するイメージだったから。


 でも彼となら。そう思ってしまうのだ。彼なら絶対私を殴らない。怒鳴りつけたりしない。彼は私を裏切らない。もし彼が私を裏切るとするのなら、それは私が先に裏切った時だけだ。そんな確信にも満ちた予感がする。そんな時は私は彼に殺された方がいい。


 それに男の人、特に体格のいい人とというものには苦手意識があるけれど、彼にだったら抱かれてもいいかな。そんな思いがあるのだ。彼の横で眠る私。それは他の人で想像するのなら吐き気を催すぐらい不快だけど、彼に関しては別だった。むしろ甘い疼きすら感じるようで。


 ああ、胸がドキドキする。甘い痺れがこみあげてくる。この感覚に従い、好きだよって告げてしまいたい。でも駄目なのだ。彼にとって所詮私はただの友達。それに私は、この居心地の良い関係性を壊したくはなかった。この暖かい大きなものに包まれているような感覚。干したてのお布団に飛び込んだ時のような感覚を失いたくはなかった。


 告白が受け入れられたらいい。でももし、気持ち悪いと思われてしまったら?そうなっては生きていけない。彼なしの世界なんて、想像するだけで凍えそうなぐらい寒かったから。その時にはもう、手首を切って死ぬしかない。そしてその時は間違いなくしくじらない自信があった。これまでとは違って。


 だから私はこのふわふわとして暖かい関係を維持することを選ぶ。この安らぎに満ちた、暖かい世界を守る。軽い舌打ちとともに、短くなった煙草を彼がもみ消す。そろそろ行くか。そうだね。先導する彼の後をひよこのようについていく。ぶらぶら揺れる、空っぽの手を見つめながら。


 お会計をすまし地下から地上に出る。外はすでに日が暮れていて、真っ暗だった。吐く息だけが夜目にも白く映る


「ああ、彼女欲しいねえ」


 そう白い息を吐きながらぽつりと言う彼。ああ、そんなこと言わないで。そんな内心に蓋をして。


「できるよ。優しいもん」


 私でいいじゃん。そんな言葉を飲み込んで。


「そうだと良いんだけどなあ」


 そうため息交じりに空を仰ぐ彼。彼の横顔は相変わらず、格好が良かった。

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