ドラゴンブルー 〜龍の泉が輝く時〜

碧月 葉

ドラゴンブルー

 この青は人を魅する。


 深く深く透明な水の底に、僕はゆっくりと囚われていくような感覚を覚えた。

 これがドラゴンブルー……。

 どこまでも澄んだ煌めく青。



 北上山地の東部に位置する岩泉町。

 その真ん中にはアイヌ語で「霧のかかる峰」を意味する宇霊羅うれいら山がある。

 そして山の麓にあるのが、日本三大鍾乳洞の一つ、龍泉洞りゅうせんどう

 神秘的で美しい鍾乳洞を目当てに、毎年十数万の観光客が訪れる岩手県でも人気の観光スポットだ。


 僕らは、調査研究を兼ねたゼミ旅行で岩手を訪れていた。

 鍾乳洞なんて僕の地元にもあるし、何か出そうだから気が進まないと思っていたのだけれど、岩泉町出身の今野がやたらと推すものだから少し遠回りだけれど立ち寄る事になった。


 つららのようだったり柱のようだったり、芸術的な鍾乳石の数々は見応えがあったが、まぁこんなものかと思いながら奥に進んでいく。

 しかし、その先で僕は息を呑んだ。

 地底湖だ。

 水の透明度がとても高く、水深が深い湖は吸い込まれる様なブルー。


 あまりの美しさに僕はその場から動けなくなった。


神南かんな、どう?」


 今野が自慢気に訊いてきた。


「これはすげぇ。めちゃ綺麗だよ。来て良かった」

「……何か感じない?」


 確かに僕は馬鹿みたいに霊感が強い。

 トンネルとか洞窟とかは経験上マジでヤバい。

 だから鍾乳洞なんて来たくなかったのだが、ここは不思議と空気が澄んでいた。


「いや、別に何も……」


 そう答えると今野は眉を寄せた。


「本当に? 何も? ちゃんと感じて。何か思い出さない? カンナ」


 今野の奴どうしたっていうんだ。


「何だよ。僕はここに来たのは初めてだし、思い出なんて何にもねーぞ」


 すると今野は悲痛な表情を浮かべた。

 コイツ一体どうしたんだ? 

 と、ここで僕は異常に気づいた。


 物音がしない。


 先程までは他のゼミ生や観光客の声、足音などが洞窟内に響いていたはずだ。

 いつの間にか誰もいなくなっている。

 鍾乳石に囲まれた広場のような場所で今野と僕の二人きり。

 

 肩を落とし、目に涙を溜めて僕を見つめるこの男は、果たして本当に今野なのか?

 よく見ると彼の瞳は青と金に彩られていた。

 

 人外か? しかし今のところ害意は感じられない。

 睨みつけていると、今野だった姿がぼやけて、そいつは正体を表した。

 化け物という感じではない。

 見たことのない渦模様の服を着て翡翠の耳飾りをつけた、掘りが深く端正な顔立ちの男だった。


「お前は誰だ?」


 尋ねると、彼は力なく微かに笑った。

 

「全く覚えていないなんて酷いな。それに……こんなに浮気を繰り返して。俺一筋って言ってたのに」


 浮気⁈ 縁の無いワードに戸惑っていると、今野(?)の指先が僕の頬を撫でた。


 ゾワっと全身鳥肌がたって、僕は慌てて身を引いた。

 

「まぁ仕方ない。あれから幾星霜……君は人だものな。約束通り来てくれただけで上々か。それに、呪いはすっかり抜けたようで良かった」

 

 約束? 呪い? コイツは何を言ってるんだ?


「では、返してもらうよ」


 『何を』と聞く時間は無かった。

 彼は指で僕の顎をクイっと持ち上げると唇を重ねた。


 そして吸われる。

 体の奥からカッと熱い何かが飛び出して口移しで彼の中に入っていった。

 何故だか分からないけれど、僕を形作るカケラの一つが彼を覚えていたようで……胸が震えている……喜びに。

 

「貴方は……『ネト』?」


 僕の問いかけに、彼は顔を綻ばせた。


 神南家最大の謎。

 それは、家の倉の中にあった古ぼけた木箱だ。

 その中にはカタカナで文字が書かれた木片が入っている。

 先祖代々引き継がれたものらしいが誰もその意味は分からない。

 書かれていた文字が「ネト」だった。


「カンナ……。古の戦いの時代、呪いを受けた君に俺の宝珠を貸したんだよ。今日は来てくれてありがとう。会えて嬉しかった。それに、これで俺は再び神に戻れる」


 ネトは、僕の頭をひと撫ですると、青い水の中に飛び込んだ。

 驚いて地底湖を覗きこむと、青い水は光の粒に溢れ、金色に輝いていた。


 そして、光の中から身をくねらせた美しい青い龍が現れた。

 龍は右手には満月のように光る玉を握っている。


——息災でな。


 青龍ネトは、そう告げると姿を消した。



 ハッと我にかえると周囲に音が戻っていた。

 人々の足音、歓声。

 通常に戻った風景。僕の心臓だけが異常にバクバクしている。

 


 鍾乳洞から出ると向こうから今野がやってきた。


「神南、遅かったな、乗り気じゃなかった割には随分じっくり見たじゃん」

「お前さ……何やってたの?」


 思わず責めるような口調で言ってしまった。


「え、悪りい、ひょとして探した? いや、だって俺は地元だから見なくて良いだろ。早めに抜けて休んでた。それよりさ、あっちのカフェのソフトクリーム美味いんだ。行こうぜ、ヨーグルト風味がオススメ」


 良かった。

 今野が消えたなんていうミステリーツアーにはならなくて。

 木を基調としたカフェでゼミのみんなとわいわい休憩しながら僕は漸くひと息ついた。

 やはり、さっきは白昼夢でも見たのだろうか。



「おいおい何だこれ!」


 今野が声をあげた。


「どうした?」

「今SNSで『龍泉洞に龍が出た』ってバズってる」


 今野のスマホを覗くと、宇霊羅山から眩い青い光が天に向けて駆け上がっていく様子が映し出されていた。


「へぇ」


 僕は甘酸っぱいソフトクリームを舌の上で溶かしながら、その美しいドラゴンブルーの光に目を細めた。

 




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