第5話 青い薔薇

 飛行船は少し古く、所々錆びついていた。錆び特有の匂いも、別に嫌ではなかった。いつの間にか低くなっていた目線のまま、船の上を歩いた。


「ねぇ、あっちに青い薔薇あったってよ」


「ホント?!早く見たーい」


 その声に、ついていく。辺りの光と共に、少女の期待は高まっていく。ようやく、不可能を可能とした存在に出会える。


 それが見つかったら、きっと。母と父の病気も治る。


「ご覧にいれましょう!これこそが…青い薔薇です」


 探し求めたそれは、作り物のように美しく、感動を覚えるのと同時に、こんなものかという落胆もした。


 観客がいなくなった後、ゴーグルをつけた女性に話しかけることにした。一体、青薔薇とはどこにあったのか。


「青薔薇…ってどこにあるんですか?」


「ん?あるわけないだろ、自然界にはね」


「え…?」


 その女性は、白い薔薇と青い水を持ってきた。その青には、見覚えがある。その瞬間、理解したくないことを理解してしまった。


 頭の奥深くで、警笛が響く。今すぐここから逃げ出してしまえば、何も気づかなかったことにできる。


 それでも、一抹の希望が、それを許さなかった。


「そもそも薔薇にはね、青くする遺伝子がないんだ。だから別の花から遺伝子を持ってくるか…あるいは」


「白の薔薇に…青の水を加える…」


「正解!まぁ、僕はこう呼んでるんだ。人為的な青、とね」


 今まで気づかなかったわけではなかった。それは作り物で、どう足掻いても勝手に生まれるものではない。だから、無理だったのだ。


 家族を幸せにするのは。


 部屋を飛び出て、座り込む。目から涙が溢れた。熱い涙だった。寒くも暑くも、苦しくもないのに。どうして…


 作り物というのは何に対しても残酷だ。美しい時計も、暖かい食事も、時には人間も。私が幸せになるのは不可能だと言った母に、幸せになんかさせないと殴った父に。私は結局負けてしまうのだ。


「人為的な、青…」


 空の青には、どんな意味があるのか。青い薔薇と何が違うのか。それすら分からない私には、不可能だった。


「おお、会えたな。久しぶりだな、お嬢さん」


「列車の…おじいさん…?」


 真っ白な髭と、旅をするような格好をしたその人は、私の隣にゆっくりと腰掛けた。そして、頭を撫でられた。


「青い薔薇を見つけたんだな」


「…作り物の、偽物だった」


「違うんだよ。あれは本物だ」


「だって…」


 悲しそうに笑ったその人を見て、呼吸が浅くなる。


「大人になるというのはそういうことなんだ…」


「大人になるには、見ないといけないの?嫌いなものも、苦手なことも」


「そうじゃないと、体に心が追い越されるからなぁ」


 乾燥した声で、そう言われる。ああ、そうだ。いつかきっと、見つけるために。


 飛行船の手すりに立ち、手を振る。今は、もう…旅をやめよう。そのために私は、ここから飛んだ。




「ママ…?」


「…おはよう。ごめんね、夜ご飯すぐ作るから…」


 青い薔薇のティーカップと、暖かいパンを並べて。カラフルな街を窓から眺めつつ、息子と目を合わせて会話する。


 その瞳は、作り物なんかじゃない、不可能を可能にする青があった。


 随分、変な夢を見たものだ。


「大人になるって、変なことなのかなぁ」


 きっと違う。私はまだまだ子供なのかもしれないし、とっくに大人だったのかもしれない。


 少女とは言えなくなったけど、きっと私は大丈夫。


 不可能でもいい、作り物でもいい。ただひたすらに、生きてさえいれば。人間らしさというのは結局、そんなものなのだ。


 

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旅する少女は何故ここに 白雪ミクズ @ririhahime

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