お前を抱く気はないと言った公爵様は、実は私を愛していたようです

ミクラ レイコ

お前を抱く気はないと言った公爵様は、実は私を愛していたようです

「お前を抱く気はない」

「お、おう……」

 結婚初夜の寝室で夫となるアルフォンスの言葉を聞いて、イルザは淑女らしくない声を漏らすしかなかった。


 イルザは、幼い頃にテンプレのように自分の前世を思い出し、この世界が近世ヨーロッパをモチーフにした乙女ゲームの世界だと気付いた。

 テンプレのように悪役令嬢になる運命だったので、断罪を免れようと頑張ったが無理だった。無実の罪で第一王子から婚約破棄され、十八歳で冷徹と噂される公爵の元に嫁がされる事となった。

 その公爵の名はアルフォンス・シュタルク。二年前の戦で大きな功績を挙げた武官で、早くに家督を継いでいる。イルザより二歳年上の幼馴染でもあった。


 イルザの寝室を後にするアルフォンスの背中を見送りながら、イルザは思った。やはり、アルフォンスも私が男爵令嬢を虐めたと思っているのだろうか。無実なのに。

 アルフォンスは口数が少なく愛想も無いが、決して冷徹ではない。屋敷の使用人が具合が悪そうな事に気付いて休ませたり、孤児院に寄付したりしている。

 そして、自分で言うのもなんだが、イルザは美人だ。サラサラの金髪に透き通るような白い肌。ぱっちりとした目からは、青い瞳が覗いている。

 それなのに抱く気が無いという事は、そういう事なのだろう。幼馴染として、イルザの人柄をそれなりに知ってくれていると思っていたが。イルザは、密かに溜息を吐いた。


 翌朝、イルザはアルフォンスと共に朝食を取っていた。無言でパンを口に運ぶアルフォンスをつい見つめてしまう。ゲームでの攻略対象ではなかったが、アルフォンスも美形なのだ。少し癖のある黒髪も緑色の瞳も魅力的に思える。

 ふと顔を上げたアルフォンスと目が合う。

「……何だ?イルザ」

「あ、その……お仕事がお忙しそうなので、何か手伝える事はないかと……」

 慌てて取り繕う。実際、アルフォンスの目の下には隈が出来ている。


「ああ、そう言えば、お前は学園にいた頃から成績が良かったな。事務仕事も任せられそうだ」

「では、今日から早速詳しい事務処理について教えて下さい」

「ああ、じゃあ、食事が終わったら執務室に来てくれ。……お前は本当に勤勉だな。学園にいた頃も、妃教育が無い日はいつも放課後図書館で勉強していたし。……よく頑張ったな」


 そう言った後イルザの顔を見たアルフォンスはぎょっとした。イルザの目から、ぼろぼろと涙が零れていたからだ。

「お、おい、何を泣いている!?」

「も、申し訳ございません……嬉しくて……」

 イルザは、涙を拭いながら微笑んだ。今まで、誰もイルザの努力を認めてくれる人などいなかった。両親も第一王子も、国母に相応しい女性になれと叱咤するだけだった。なのに、この人は自分の努力を認めてくれる。認めてくれた事が、途轍もなく嬉しかった。


 それから、イルザは今までアルフォンスがしていた事務仕事の一部を任されるようになった。仕事量が多くて大変だったが、アルフォンスの役に立てていると思うとやる気が出た。


 そんなある日、イルザの部屋の引き出しに閉まっておいた宝石が数点盗まれるという事件が起こった。

 犯人はすぐに判明した。イルザの世話をしているメイドのロジーネだ。黒髪の若いメイドで、彼女の事をイルザは信頼していた。イルザとアルフォンスは、すぐにロジーネを執務室に呼び出して問い詰めた。


「申し訳ございません……!!」

 ロジーネは、土下座せんばかりに謝った。

 話を聞くと、ロジーネの両親は靴職人だが、収入が低いにも関わらず浪費しているらしい。それで、ロジーネはメイドの仕事と両親の仕事の手伝いを掛け持ちして働き詰めになっていたが、とうとう弟達に食べさせる事も難しくなってきた。そんな時、たまたまイルザの部屋で宝石を見つけ、魔が差したというわけだ。


「そうだったの……」

 イルザは、そう呟くと考え込んだ。そして、数秒後、再び口を開いた。

「……ねえ、ロジーネ。あなた、私の実家で働く気は無い?」

「イルザ様の実家というと……ブリュックナー家ですか?」

「ええ、そうよ。よければ、あなたの弟達も一緒に住み込みで働けるように頼んでみるわ」


 ブリュックナー家は、今人手が足りないと聞いている。いくら婚約破棄されたイルザの事を疎ましがっていたとしても、労働力の提案をされれば興味を持つだろう。

 そして、ブリュックナー家はここから馬車で三日はかかる距離にある。ロジーネの両親がロジーネに集るのは難しくなるだろう。


「……私を衛兵に突き出さないのですか?」

「弟達の為にこんな事をしたんでしょう?突き出す必要は無いわ」

「……何と言って良いのか……本当に……ありがとうございます……」

 ロジーネの目からは、涙が溢れていた。


 執務室に二人きりになると、アルフォンスが口を開いた。

「お前は……優しいんだな」

 イルザから目を逸らしてはいるが、穏やかな表情をしていた。

 今なら、学園での事が冤罪だと信じてもらえるかもしれない。アルフォンスと、本当の夫婦になれるかもしれない。イルザは、そう思った。


「あの、旦那様……お話があるのですが、宜しいでしょうか」

「何だ?」

「私が学園にいた頃、私が男爵令嬢を虐めていたと言われていましたが、あれは……」

「聞きたくない」

 驚く程冷たい声が聞こえてきた。

「あんな不愉快な話など、聞きたくない」

「ですが……」

「頼む、それ以上言わないでくれ。……少し休憩してから仕事しよう。俺は食堂に行く」

 そう言って、アルフォンスはイルザを残して執務室を後にした。


 イルザは、深い絶望を感じていた。信じてもらえなかった。話を聞いてくれなかったのは、自分の妻が、嫉妬に狂うと虐めをする女だという現実を受け止めたくなかったからだろう。そして、どうして自分はこんなに傷ついているのか考えて、イルザは気付いてしまった。

 アルフォンスの事を、どうしようもなく愛している事に。


 それから一か月が経ち、イルザはアルフォンスと共に夜会に出席する事になった。王家主催の夜会で、どうしても夫婦同伴で参加しなければいけない。

 夜会当日、イルザは綺麗に髪を結い上げられ、青いドレスを身に纏い会場に足を踏み入れた。アルフォンスにエスコートされているが、その目を見る事が出来ない。

 一か月前あの絶望を感じてから、仕事は普通にこなしているが、どうしてもアルフォンスと目を合わせられない。アルフォンスに蔑むような視線を投げられたらと思うと怖かった。


 ダンスの時間になり、イルザはアルフォンスと踊った。妃教育の賜物なのか、ダンスは上手く出来ていたが、実際は心ここにあらずだった。

 そしてダンスが終わると、アルフォンスは他の公爵家の方々に挨拶をする為に、イルザの元を離れた。


 イルザが一人で食事をしていると、声を掛けられた。

「イルザじゃないか、久しぶりだな」

 声を掛けて来たのは、肩くらいまで伸ばした金髪を一つに纏めた美しい男性。イルザの元婚約者である、第一王子だった。

「……お久しぶりです、ジークベルト殿下」


 イルザが恭しく挨拶をすると、ジークベルトは、夫はどうしたと尋ねる事も無く話し始めた。

「聞いてくれよ。ラーラの奴、複数の令嬢に虐められてるとか言っていたけど、本当はラーラの方が嫌がらせをしていたんだ」

 ラーラとは、イルザが虐めていたと言われている男爵令嬢だ。フワフワした栗色の髪の、可愛い子だった。確か、ジークベルトはイルザと婚約破棄した後、新たにラーラと婚約をしたはず。

「何人もの上位貴族から、『うちの娘に濡れ衣を着せるとは何事だ』って苦情が出て、大変だったよ」

「……そうでしたか」

「もしかして、君がラーラを虐めていたというのも、濡れ衣だったの?」

「……はい」

「ごめんね、当時信じてあげられなくて。僕、ラーラと婚約破棄するつもりなんだ」

「……左様ですか」

 王族がそうホイホイと婚約したり婚約破棄したりするのはいかがなものかと思ったが、今のイルザには関係ない。


「それでさ、提案なんだけど……僕達、縒りを戻さない?」

「……は?」

 イルザは、耳を疑った。

「ほら、君の夫、冷徹公爵だろう?彼と離縁して僕の妻になる方が、君にとって幸せな事だと思うんだ」

 何を勝手な事を。アルフォンスの事を何も知らない癖に。あの人は、男爵令嬢を虐めていたと言われる私の事を褒めてくれた。努力を認めてくれた。あの人以上の男性などいない。


「私は……!!」

 ジークベルトの提案をきっぱり断ろうとしたその時、イルザの身体がぐいっと後ろに引っ張られた。後ろからイルザの腰を抱きかかえているのは――アルフォンスだった。

「旦那様!!」

 イルザは、目を丸くして声を上げた。近づいて来ているのに全く気付かなかった。そして、アルフォンスは心なしか鋭い目つきでジークベルトを見つめている。

「殿下、申し訳ございません。妻はこうして気丈にしておりますが、具合が悪いようなのです。少し休ませてやっても良いでしょうか」

「あ、ああ……気付かなくて悪かった。休憩室もあるし、休んでくれ」

 ジークベルトは、アルフォンスの迫力に気圧されたようだ。

「それでは、失礼致します」

 アルフォンスは、イルザの腕を掴んで会場を後にした。


「あ、あの、旦那様、私は大丈夫ですから!!」

 腕を掴まれたまま王城の庭に連れてこられたイルザは、戸惑いながら言葉を発した。夜の風が冷たい。

「……お前は、まだジークベルト殿下の事が好きなのか?」

 立ち止まってイルザの腕を離すと、不意にアルフォンスが聞いてきた。

「え?……いえ、今は殿下に恋愛感情はありませんよ?」

 何故そんな事を聞くのだろう?イルザは首を傾げた。


 イルザの答えを聞いたアルフォンスは、「はー」と安堵したように息を吐くと、その場にしゃがみ込んだ。

「あの、旦那様……?」

「……良かった。お前が俺と離縁したいとか言い出したら、どうしようかと……」

 ん?何故アルフォンスは安心している?彼は、イルザの事を男爵令嬢を虐める悪女だと思っているのでは?イルザは、アルフォンスと同じ目線になるようにしゃがみ込んだ。


「えーと、旦那様は、私と離縁したくないという事で宜しいですか……?」

「当たり前だ!」

 アルフォンスが、勢い良く顔を上げた。

「お前は、俺の妻だ!絶対に離縁しない。お前と結婚できる事になって嬉しかったんだ。ずっと、お前の事が……好きだったんだ!」

「えええええええ!?」

 また、淑女らしくない声を出してしまった。


「あの、旦那様は、私の事を虐めをする女だと思っていたのでは?」

「そんなわけあるか!あれが冤罪だという事はわかってた。あの時は第一王子に逆らえなかったから、お前を庇えなかったが」

 庇えなかった事を、ずっと後悔していたらしい。

「……じゃあ、先日虐めの件について私が話そうとしたのを遮ったのは……」

「ああ、あの時の事か。……好きな女性を守れなかった事を思い出したくなかったし、お前が殿下の事を愛しているから男爵令嬢に嫉妬したと考えたくなかったからな」

「……そうでしたか……」

 良かった。アルフォンスは、ちゃんと自分の事を見てくれていた。

「あ、では、結婚した日に私を抱く気は無いと言ったのは……?」

「好きでもない男に抱かれるのは、辛いだろうと思ったから……」

 そうだったのか。アルフォンスは、ずっと自分の事を考えてくれていたのか。


「……まあ、お前は仕方なく俺と結婚したんだろうが……」

 アルフォンスが目を伏せて言った。

「お、お待ち下さい!私は……私も……旦那様の事を、愛しています!」

 慌てて言ったのでしどろもどろになってしまった。でも、誤解されないうちに言っておかなければ。

「最初は、ただの幼馴染と思っておりましたが、旦那様はいつも優しくて、勤勉で、人の話をよく聞いて下さいました。そんな旦那様の事を、愛してしまったのです!」


 アルフォンスは、目を見開いてイルザを見詰めていたが、すぐにイルザの手を取って立ち上がらせた。

「イルザ……改めて言わせてくれ。俺は、お前の事を、愛している」

「私も、あなたの事を愛しています。旦那様……いえ、アル様……」

 月明かりの下、二人は口づけを交わした。


 そして数年後、シュタルク夫妻はおしどり夫婦として国中に知られる事になる。


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