三尺三寸の箸

yuraha

三尺三寸の箸

 昔、相模国に無骨者で無法者の男がいた。男の素行の悪さはあまりにひどく、その噂は城下にも轟くほどだった。窃盗に強盗、暴力に悪口、と悪事は殺生以外何でも働いた。とある高名な坊主が男を改心させようと説法を解こうとしたが、最後には身包みを剥がされて、こりゃかなわんと逃げ出すほどだ。


 ある日、男は街道を歩いていた。目の前には立ち往生している商人の荷車がひとつ。「ええい、じゃまだ」と男は怒り心頭。そのまま荷車をひっくり返してしまった。道端に転がる荷物。その理不尽に逃げ惑う商人。男は散らばった荷物の中から酒瓶をくすねるとそのまま持って帰ってしまった。男が去った後、ひっくり返った荷車からニョロニョロとうちわのような形をした蛇が這い出てくる。


 その晩、男があばら家で酒盛りをしていると、戸が叩かれる。「夜分遅くに失礼します」と女の声。男は苛立ちながらも戸を開けると、これはこれは見目麗しい女がいた。異国の血が入っているのか肌は褐色、瞳は赤みがかっていた。その見目形にドキリとする男。

「何の用だ」

「わたくし、先程助けていただいた蛇でございます。ぜひお礼をしたく参りました」

 話を聞けば、この女は男がひっくり返した荷車の車輪に潰されていた蛇らしい。

「お礼? 何をしてくれるんだ」

「あなた様のお世話をさせて頂けたらと」

 露骨に嫌な顔をする男。生まれてこのかた一人孤独に生きてきた男にとって、誰かと共に生活するなんて言語道断。「帰れ」と短く男。「いいえ、ぜひ」と女。「帰ってくれ」「嫌です」押し問答が続いた。

 これはてこでも動かないぞこの女、男は悟り、ついに根負け。女を住まわせることを認めた。


「ではまずお夕飯を」と女は男に手料理を振る舞う。異国情緒が溢れんばかりの初めて見る料理に、男は警戒しながらも豪快に手づかみで食べる。「あらあら」と女。

 これは美味い美味すぎる。男はどんどん料理を口に運ぶ。そんな様子を見て女は微笑む。やがて、腹が一杯になった男は、後は寝るだけだと言わんばかりに床につき、獣のように身を丸めた。

「おやすみ下さいませ」


 女がやってきて七日目の晩、いつものように女の作った料理を食べようとする男。そこに待ったをかける女。男は不満を漏らす。

「あなた様、料理はこちらを使った方がもっと美味になりますよ」

「なんだ、これは」

「箸でございます」

 怪訝な顔で女から箸を受け取る男。女は懇切丁寧に箸の使い方を教える。なんとか箸を使って男は料理を口に運んだが、「こんなものか」。味はまったく変わらなかった。

「わたくしに食べさせられるくらい上手になって下さいね」


さらに十四日、男は女の料理を食べようとしたところ、また待ったをかけられる。

「なんだ、ちゃんと箸を使っているじゃないか」と男。

「あなた様、もっと料理が美味になる方法がありますよ」

「なんだそれは」

「自分で食材を作るのです。丹精込めて作った食材を使えば、さぞかし料理は美味になるでしょう。それに作った食材はお金と交換することもできます」

 どこから持ってきたのか、女は男の前に鍬や鋤など農具一式を次々と出す。「わかった」と男は諦めたかのようにため息をつく。

「一緒においしいお野菜を作りましょうね」


 さらに二十八日、男は木陰で休んでいた。その隣には使い古した鍬がひとつ。そんな男の元に握り飯とお茶を携えた女がやってくる。

「どうですか? 農作業は」

「まあまあだ」

「それは重畳」

 正直なところ農作業はしんどかった。腰は痛むし、手は荒れる。しかし、それでも男が農作業をするのは美味い飯を食べるため。身体を動かしたあとの飯は格別だ。ぐう、と男の腹がなる。女は微笑む。

「今晩は腕によりをかけて作りますね」


 男の無骨無法はすっかりと形を潜め、男を知らない者からすれば少し無愛想だが、真面目な青年に見えるほどまでになった。


 ここに、とある人物がいる。男がまだ無骨者で無法者だったころ、喧嘩をふっかけられ鼻を折られた者だ。その者は鼻曲がりだと周りから揶揄され、ついにはへそまで曲がってしまった。この鼻曲がりでへそ曲がりはすっかり大人しくなった男を見て憤慨。男に復讐しようと企てる。しかし、大人しくなったとはいえ今でも男は怖い。なので、男と共に住む女に目をつけた。


 そして、さらに四十九日後、男と女が出会って九十八日たった頃、男が畑仕事に行っている間に家に火がつけられた。

 燃え上がる家を見る男。女はまだ家にいた。男は火傷を負うことを恐れず家に飛び込む。しかし、家の中に女はいない。いるのはうちわのような形をした蛇だけだった。そう言えば『自分は蛇だ』と女が言っていたことを男は思い出す。男は蛇を抱えて命からがら家から脱出した。


 蛇は大変衰弱しているように見えた。人間のこともわからないのに蛇のことなどわかるはずもない。しかし、手をこまねいている場合ではない。男はうんうんと先日読んだ本の中身を思い出す。そうだ、火傷には濡れた手ぬぐいが効く。男は濡れた手ぬぐいを蛇に掛けてあげた。それ以外にも思いつく限りの看病をした。

 しかし、十日ほど男は寝る間も惜しんで看病したが、蛇はそのまま死んでしまった。人間の看病もしたことない男に蛇の看病は流石に厳しかった。


 男は葬式をするために、近隣で一番の坊主を呼んだ。ドキドキしながら男の元へ来た坊主。蛇の葬式だと聞いて、さらに坊主の心臓は高鳴る。しかし、そこは近隣で一番の坊主だけあって、意地を見せて無事葬儀を終わらせた。

 葬式を済ませると男は新しく建てた家の庭先に小さな墓を立て、そこに蛇を埋葬した。そして、そのまま畑仕事に戻った。


 女が死んで四十九日。作った野菜を交換するために男は街へ出ていた。そこで男は噂を耳にする。鼻曲がりでへそ曲がりが『復讐してやった! 全焼だ』と宣っていると。男はすぐに家を燃やした輩だと気がついた。男は鼻曲がりのへそ曲がりの元へ向かった。

 鼻曲がりでへそ曲がりは昼間だというのに飲み屋で呑んだくれていた。男の来訪に気が付かない鼻曲がりでへそ曲がり。店の入り口から男は鼻曲がりのへそ曲がりをじっと見る。そして、何をするでもなく、そのまま男は帰宅した。


 家に帰ってきた男。墓前でおーん、おーんと泣いた。


 その晩、寝静まっていると男の枕元に人影が現れる。「おまえはどうして復讐しないんだ」。うーんむにゃむにゃと男は寝ぼけた頭で考える。復讐? そんな気はまったくない。いや、むしろ復讐したくないとさえ思った。

「誰だか知らないが、俺は復讐するつもりはないよ」

「それはなぜだ?」

「あいつには色々と教えて貰った。復讐してしまうと、その教わったものまで失う気がしてならないんだ。もう、俺はあいつを失いたくない。それに、元はと言えば昔の俺がしでかしたことだ」

「うーむ、天晴」と人影。

 だんだんと家中が明るくなってくる。眩しくて顔をしかめる男。目が慣れてくると、人影の正体が後光のさした仏様だとわかる。

「おまえの行い見事なり、願いをひとつ叶えてしんぜよう」

「むにゃむにゃ、ではあの鼻曲りでへそ曲がりの鼻を治してやってくれ」と男。


 次の日の朝、男はトントンと軽快にまな板を叩く音で目を覚ました。

「おはようございます、あなた様」

 まるで幽霊でも見たかのように驚く男。いや、実際幽霊に違いないと、男は女に近づき、頬や肩をペタペタと触る。

「あなた様、くすぐったいです」

「あ、ああ、すまない」

「わたくしがいない間、ちゃんとしていましたか?」

「いや、そんなことよりどうして。おまえ死んだんじゃないのか」

 一体どういうことだ、と男は詳しい説明を女に求める。自分は蛇なので御仏の力を借りて脱皮をすることで転生できる、それには四十九日かかると女。そして、女に言われて庭先の墓を暴くと、そこには蛇の抜け殻がひとつあるだけだった。

「では、朝餉にいたしましょうか」


 久々の女の料理に、朝だというのにすっかり空腹感を覚える男。いただきますと手を合わせ、男は箸で煮物をつまむ。女の視線が男を貫く。

「どうした?」

「覚えておいでですか、最初に出会った頃のことを」

「うむ」

「あなた様はずいぶんと箸を使うのが上手になられました」

「うん?」

「なので、わたくしに食べさせて欲しいのです」

 なんて恥ずかしいことを、と男は頬を染める。しかし、女たっての頼みとあれば断ることはできない。男はつまんだ煮物をそのまま女の口へと運ぶ。

「美味しいですね」と微笑む女。

「そうだな」と男。

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