§033 看病
俺の目に飛び込んできたのは、床に横たわる水無月さんだった。
「水無月さんっ!」
そんな衝撃的な光景に俺は思わず彼女の名を叫ぶ。
そして、すぐさま駆け寄ると、なるべく揺らさないように身体を起こす。
この際、彼女の表情が顕わになるが、意識が朦朧としているのか苦悶の表情を浮かべた彼女の目はギュッと瞑られており、呼吸はかなり荒い。
綺麗な前髪も今では汗で額にくっついてしまっており、パジャマも汗でしっとりと湿ってしまっている。
熱があることはもはや疑いようがなく、俺は前髪を払い除けて、彼女の額に手をかざすと、案の上、思わず「熱っ!」と声が出てしまうほどの高熱だった。
さすがにこのまま彼女を床に寝かせておくわけにはいかないし、抱きかかえたままでは俺の行動も制約されてしまう。
そう考えた俺は彼女をベッドに移す判断をする。
俺はすぐさまお姫様抱っこの要領で水無月さんを抱えると、そのままベッドへと運んだ。
二人乗りをした時からわかっていたが、水無月さんの身体は思いのほか軽く、運ぶのにはそれほど苦労しなかった。
彼女をベッドに横たえた後。
俺の声が聞こえているかは定かではなかったが、「ちょっと待ってて」と彼女に声をかけると、足早にリビングまで戻り、コップにスポーツドリンクを注ぎ、冷蔵庫にから冷えピタを取り出す。
体温計も探したがすぐには見つかりそうになったので、まずは彼女の額に冷えピタを貼る。
「ちょっと冷たいぞ」
冷えピタを乗せた瞬間、彼女は身体をビクンとさせたが、段々と額が冷やされてきたのか、次第に苦悶の表情が解けてきた。
俺はそれを見計らって、今度はスポーツドリンクの入ったコップを水無月さんに差し出した。
「こういう時は多少無理してでも水分を摂っておいた方がいい。スポーツドリンクだけど飲めそうか?」
俺の言葉に薄らと目を開け、視線だけをこちらに向けた水無月さんだったが、コクリと頷いたものの、どうやら身体は起こせないようだった。
……部屋で倒れるぐらいだから、今、身体を起こすのは厳しいよな。
そう判断した俺は、もう一度リビングに戻ってストローを取ってくると、それをコップに差す。
「これなら飲めそうか?」
そう言ってストローを水無月さんの口元に近付けると、彼女は小さく「ありがとうございます」と言った上で、小さな口にスポーツドリンクを数口だけ含んだ。
俺はそれなりの時間をかけて彼女にスポーツドリンクを与え、彼女はゆっくりと、だが確実に、スポーツドリンクを飲んだ。
大体コップ1杯分のスポーツドリンクを飲み終えた頃、彼女も少し落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと口を開いた。
「……すみません。私、律さんにご迷惑を……」
そんな水無月さんの言葉に俺は首を横に振る。
「水無月さんが気にすることはないよ。むしろ俺がいるときでよかった。俺がもしここに来なかったらと思うとぞっとするよ」
そこまで言って俺は部屋を見回した。
「とりあえず体温は測っておいたほうがいいと思うんだけど……体温計はある?」
「……ドレッサーのところにあると思いますので、申し訳ないですが、取ってもらえると」
「いちいち謝るなよ。病人を看病することは当たり前なんだから、今日はこれから『すみません』とか『申し訳ない』とか禁止な」
「すみま……あっ、ありがとうございます」
そんな俺の言葉に申し訳なさそうに謝る、いやお礼を言う彼女。
彼女はどうにも遠慮しすぎるところがあるから、こういう時くらいは少しくらいは甘えてほしいと思ってしまうのが男心というか彼氏心なんだけどな……。
そんなことを考えながら、ドレッサーへ体温計を取りに行くと……。
「ん?」
俺の視界が、とある見覚えのあるものを捉えた。
……これは?
「……水無月さん、もしかして今日勉強してた?」
「……え、し、してませんけど」
一瞬びくりとした反応を見せる彼女だったが、布団に潜り気味に顔を隠しながら彼女は言う。
「ほぉ」
俺は再度机に目を向けると、そこには教科書やノートが開きっぱなしになっていた。
俺は図書館で勉強した時に、水無月さんの勉強法について知った。
彼女は問題集を何回も解くタイプで、何回も問題を解くからこそ、解いた問題の横には解いた日付をメモとして残しておくのが癖になっているようだった。
問題集には「6/15」、つまり今日の日付。
だから、水無月さんが今日勉強していたことは誤魔化しようのない事実だったが……さすがに今の状態の水無月さんを責める気にはなれない。
でも、この調子だと今日みたいな日ですら勉強を始めてもおかしくない。
平気で徹夜とかもしてそうだし、もしかしたらそんな無理が祟って体調を崩した可能性すらある。
そのため、無理はするなよと釘を刺す意味を込めて、俺は彼女に言葉を投げかける。
「勉強はいいけど、無理だけはしないでくれよ。心配になる。……あと、体温計あったよ」
「あ、ありがとうございます」
彼女は少し焦ったように体温計を受け取ると、俺に見えないように布団の中で体温計を起動させたようだった。
俺は目のやり場に困ったので、何となく水無月さんから視線を外し、軽く彼女に背を向けた。
(ピピピピ)
ほどなくして体温計の電子音が響いたので、俺は彼女が身なりを整えたのを確認すると、彼女から体温計を受け取る。
「38.4℃……。かなり高いな。解熱剤は飲んでる?」
そんな問いに彼女は首を横に振ると、ベッドの横の棚の上を視線で示した。
そこには風邪薬と思しき箱が置いてあり、その箱を確認すると、『カロナール200、1回2錠』と書かれていた。
「とりあえずこれを飲んで今日は寝よう。薬と水分をとって寝ていれば明日には大分よくなってると思うから」
そうして、俺はもう一度リビングまでスポーツドリンクを取りに行き、水無月さんに薬を飲ませる準備をしていると……。
「……あの私、律さんに伝えなければならないことがあるんです」
「……ッ!」
その言葉に俺の心臓はトクンと鳴り、思わず、薬を取りこぼしてしまいそうになった。
俺はこれからどんな告白が始まるのだろうと水無月さんに視線を向けると……
「実は……私の両親、最近離婚したんです」
……彼女はポツリとそう口にした。
そんなセンシティブな話に俺が反応できずにいると、彼女はそのまま言葉を続ける。
「確かにコメントしづらい内容だと思いますが、そんなに気を遣わないでください。今は3人に1人が離婚をする時代ですので、決して珍しいことではありませんし、私はもう割り切れていますので」
その言葉に俺はわずかな安堵感を覚える。
「……どうして今、その話を?」
俺は純粋に思ったことを、そのまま言葉として紡ぐ。
「以前、律さんが私がなぜ勉強を頑張るのかを聞いてくれようとした時に答えられなかったので。……実は私、今の高校を『特待生制度』で入学しているのです」
「特待生制度って成績優秀者が入学金とかを免除してもらえるってやつ?」
俺とは無縁の制度だったが、何となくのそんなものだろうという理解はあった。
「……はい。首席合格者は1年次の入学金と授業料が免除になっているのですが、両親の離婚の関係でお金の問題が生じてしまって、来年も特待生を維持する必要があるんです」
「……それでその条件を満たすために勉強を頑張っていたということか」
「……はい。母にこれ以上迷惑をかけたくなくて」
ここまで聞いて、水無月さんがなぜこんなにも勉強を頑張っていたかの合点がいった。
かなり早い時期から始めたテスト勉強も、体調不良を押して勉強をしていたのも、俺からノートを借りてコピーを取っていたのも全ては特待生を維持するため。
彼女がこのタイミングでこの内容を伝えてくれたのは、俺が彼女の身を按じ、彼女の勉強の姿勢に対して苦言を呈してしまっていたからだろう。
「そうだったのか。ごめん、俺、そんなことを知らなくて。多分、失礼なことを言った」
しかし、水無月さんは首を横に振る。
「律さんの気持ちはちゃんと伝わっています。私の身体を気遣ってくれたんですよね? 確かに私もちょっとだけ無理しちゃったなという自覚がありますし、こうして律さんにご迷惑をかけてしまったので……。本当に申し訳なく思っています」
ただ、彼女はここまで言って、俺と先ほど謝るなという約束を思い出したのか、「……あっ」と声を漏らした。
俺もいろいろと思うところ、伝えたいことはあったが、このままではお互いがお互いに謝り続けて終わりそうな気がしたので、俺は水無月さんに薬とコップを渡しながら言う。
「お互いにいろいろ話したいことはあると思うけど、やっぱり今日は水無月さんの体調が心配だし、この話はとりあえずここまでにしよう」
そんな俺の言葉に「はい」と頷いた水無月さんは、身体を半分だけ起こすと、薬をコクリと飲み込んだ。
俺はそんな水無月さんの背中を支えながら、再度彼女の身体をベッドに横たえて、布団をかけてあげる。
「じゃあ、俺は帰るよ。スポーツドリンクはベッドの横に置いておくから喉が渇いたらそれを飲んで」
それじゃあ、おやすみと言って俺が部屋の電気を消そうとすると、
「律さん」
そんな弱々しいが、はっきりとした声が部屋に響いた。
「どうしたの? 何か欲しいものでもある?」
俺が再度彼女に視線を向けると、彼女の潤んだ瞳と交差した。
「あの……もしよろしければ、私が寝付くまででいいので一緒にいてくださいませんか?」
「え、」
そんな言葉に俺は思わず目を見開いていた。
彼女がこんなに積極的なことを言うのは珍しいと思ったが……。
実は俺も同じことを考えていたので、いまいちど腰を下ろすと、その言葉にゆっくりと頷き返す。
「もちろん。水無月さんが寝るまで一緒にいよう」
そんな俺の答えに安心したのか、水無月さんは嬉しそうに頬を緩めると、ゆっくりと目を閉じた。
しかし、また何かを思い出したようにパチリと目を開けた水無月さんは、恥ずかしそうに布団で顔を半分ほど隠すと、布団の横からゆっくりと手を差し出した。
「あの……わがままばかりで申し訳ないのですが、私の手を握っていてくださいませんか?」
そんな水無月さんの可愛いわがままに、俺の顔は思わず綻んでしまった。
同時に、水無月さんの手を包み込むように握る。
「これでいいか?」
その瞬間、あっと水無月さんの吐息が漏れる。
「……ありがとうございます。これで安心して……眠れそうです」
彼女はそう言うと今度こそ深く……目を閉じた。
本当なら彼女の寝顔をいつまでも見ていたい気分だったが、さすがにそれでは彼女が寝れないだろうと思い直し、ベッドに背をもたれると、俺も彼女に合わせるようにゆっくりと目を閉じた。
そんなまどろみの時間が幾ばくか流れ。
気付くと水無月さんからは健やかな寝息が漏れていた。
「……水無月さん、寝た?」
俺は小声で彼女に問いかけてみるが反応はない。
時計を見ると、既に22時を回っていた。
「……帰るか」
俺は自分に言い聞かせるように独り言ちると、握られていた彼女の手を優しく解いた。
「(……加賀見くん)」
すると、彼女のそんな声が漏れた。
俺は心臓がトクンと高鳴るのを感じて、再び彼女に目を向けるが、彼女は規則正しい寝息を立てており、どうやら寝言のようだった。
「……寝言か」
俺はふぅと溜息をついた後、彼女が完全に寝ているのを確認すると、立ち上がって……先ほど体温計を探している時に見つけたものの下に向かった。
俺が見つけたもの。
それは――中学校の卒業アルバムだった。
俺はそれを手に取ると、見慣れた図書委員会のページを開く。
すると、そこには、当時、図書委員だった二人の男女が映し出されていた。
名前、高校デビュー、出身地、亡くなった犬の話、両親の離婚……そして、卒業アルバム。
既に半ば確信は持っていたが、全ての点と点が線としてつながった瞬間だった。
俺は一度瞑目した後、卒業アルバムを元の場所に戻すと、もう一度彼女に視線を向けて言った。
「……おやすみ。黒木さん」
そうして、部屋の電気を切ると、俺は彼女の部屋を後にした。
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【あとがき】
このたびは、『高校デビューの俺がナンパした相手が、同じく高校デビューの同級生だった件』をご愛顧いただきありがとうございます。
本作はこの「§033 看病」をもちまして無事にカクヨムコンの規定文字数である10万字に達することができました。
カクヨムコンの読者選考の対象はここまでとなりますので、ここまでお読みいただいて、面白かった、続きが気になるという方は、是非、【フォロー】や【★レビュー】にて応援いただければと思います。
途中、家族の入院等もあり、間に合わないかもとめちゃくちゃ焦りましたが、皆様の応援のおかげでどうにかここまで執筆を続けることができました。
読者の皆様からの声は本当に力になりますので、引き続き、葵すももをよろしくお願いいたします。
高校デビューの俺がナンパした相手が、同じく高校デビューの同級生だった件 葵すもも @sumomomomomomomo
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