§032 お見舞い
中間テストまであと2週間を切った日、水無月さんは珍しく学校を休んだ。
学校の先生によれば、発熱による欠席とのことだ。
昨日の夜からLINEが返ってきていなかったので何かあったのではないかと心配していたが案の定だった。
俺はすぐさま水無月さんにLINEを送る。
『(加賀見) 熱って聞いたけど大丈夫?』
しかし、午前中には既読もつかず、結局、返信が来たのは午後になってからだった。
『(水無月) すみません、寝てました。薬も飲んでますし、安静にしていれば良くなると思います』
こうは言っているが、俺は水無月さんが一人暮らしであることを知っている。
俺も経験があることだが、体調が悪い時に自分一人で出来ることには限界がある。
病院に行くにもボサボサの寝癖のままで這っていくようなものだし、スポーツドリンクなどの必要物資を買おうにも重すぎて持てなかったりするし、最悪、ゼリーだけでもと思って近くのコンビニに向かうにも着替えとかを一通りしなければならなくて一苦労だ。
もちろん最近はネット通販もあるため、事前に注文などをしておけば問題無く過ごせるとは思うのだが、さすがに即日で物資が配達されるわけでもないし、頼れる誰かが近くにいるのであれば、頼ってしまった方がいいのではないかと思ってしまう。
俺と水無月さんの関係は、以前と比べると遥かに進展したと思う。
以前は本当に付き合いたてほやほやの初心なカップルというか、一緒に帰るにしても、話題を模索してしまうぐらいにはぎこちなさの残るカップルだった。
でも、例の柏倉さんの事件を通して、俺と水無月さんは二人の気持ちを確認し合い、例の赤也カミングアウト事件を通して、学年でも公認のカップルへと昇格することができた。
あれからは一緒の登下校、二人乗り、犬カフェなど何度もデートらしいデートもこなしている。
けれど、逆に言えば、そこまでの関係であって、例えば、手を繋いで一緒に帰ったこともないし、当然キスなどをしたこともない。
俺もだが……特に水無月さんはそういったものには耐性がないイメージはあることは否めない。
そのため、これ以上踏み込んでいいものなのかは判断できないところではあった。
でも……と思う。
彼女が熱で苦しんでいるのに、そんな恋愛がどうのと考えているのが、本当に彼氏と言えるのだろうか……と。
むしろ、そこは一人の男として、女の子が苦しんでいるのだから少しでも助けになりたいという気概を純粋に見せるのはおかしいことなのだろうか……。
正直、水無月さんは今でも俺に対して遠慮がちなところがある。
それは元々の性格の部分はあると思うが、俺に迷惑をかけたくないという心情もあるのではないかと思っている。
例えば、今回の件であれば、俺に風邪をうつしてしまうのではないかとか、わざわざ来てもらうのは申し訳ないといったことを考えていそうな気がする。
でも、本当は……心細いのではないだろうか……。
そう思った俺は、もう一押しだけしてみようと、水無月さんにLINEを打つ。
『(加賀見) そうは言ってもいろいろと大変だと思うから、何か差し入れでも持っていくよ。もし、部屋に入れたくないってことであれば、玄関の前に置いておくとかでもいいから』
俺の精一杯の配慮よ、届け。
そんな俺の想いが通じたのか、今回のLINEはすぐに既読になると、早速返信が来た。
『(水無月) ……ありがとうございます。それではお言葉に甘えてしまって申し訳ないですが、お願いしてもいいですか。スポーツドリンク、ゼリー、レトルトのお粥、あと冷えピタがあるとありがたいです。お金は後ほどお支払いいたしますので……』
水無月さんから列挙された必需品の数々。
このLINEから水無月さんはもしかして全然外にも出れていないのではないかという心証を抱く。
時計を見ると、今は14時半。
授業が終わるのが大体15時半くらいだから、水無月さんに家に着けるのは早くて16時半だろう。
俺は逸る気持ちをどうにか押し殺して、最後まで授業を受けた後、すぐさまドラッグストアにダッシュした。
♦♦♦
俺は必要なものを買いそろえた後、Googleマップに従って住所に向かうと、そこは想像以上に大きいマンションだった。
以前、二人乗りをした時に近くまで送り届けたことはあったが、具体的にどこに住んでいるというのは聞いていなかったので、今回が初めて水無月さんの家の敷地に足を踏み入れることになる。
俺がオートロックの番号を入力すると、水無月さんの「は~い」という声が聞こえて、同時にドアが開いた。
そして、エレベーターで部屋に向かい、水無月さんの家のインターフォンを押すと、部屋の中から「どうぞ」という聞き慣れた声が聞こえた。
……どうぞってことは入っていいってことかな?
俺は判断に迷うが、それ以降水無月さんから特段のアクションが無かったため、俺は恐る恐る部屋のドアを開ける。
すると、そこにはパジャマ姿の水無月さんが立っていた。
サテン地のピンク色のパジャマを召した水無月さんは、もちろんメイクなどはしてないし、カラコンも外しているため前回図書館で目撃したのと同様の眼鏡姿。
今まで眠っていたのか髪の毛は所々跳ねており、いつもと大分印象が違う。
普段の水無月さんは、完璧で隙のないまさに高嶺の花といった感じだが、今の水無月さんは、いい意味で隙があるというか、庇護欲を刺激するような素朴な女の子という感じだった。
俺はそんな水無月さんの顔に視線を向けるが、やはりほんのりと顔が赤い。
身体も力なく壁にもたれている感じで、視線もどこかぼーっとしている気がする。
熱があることは火を見るより明らかだが、じゃあどれくらいの熱があるのだろうというと、さすがに俺は医者ではないので、見ただけでは判断できないところだった。
「言われたもの買ってきたけど、どこに置けばいい?」
とりあえず、俺は買ってきた袋を見せて、水無月さんの指示を仰ぐことにする。
「すみませんが、中まで運んでもらえますか?」
俺はこの言葉に一瞬の躊躇いを漏らす。
さすがに女の子の家に上がるのは……と気持ちが薄ら芽生えるが……今は体調不良の緊急事態。
水無月さんの体調は見るからに悪そうだし、こうやって水無月さんが「上がってください」と言っている以上、見られてやばいものは既にしまわれているのだろうと考えるのが自然だろう。
俺のスーパーコンピュータがそんな言い訳を即座に導き出してくれたので、俺は水無月さんの指示に素直に従うことにする。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
緊張の面持ちを湛えながらおずおずと部屋に上がると、俺が通されたのは広々としたリビングだった。
広さはおそらく8畳程度。
白を基調とした室内には、テレビ、ダイニングテーブル、電子レンジ、冷蔵庫などが置かれ、それ以外に目立つところとしては、所々に観葉植物が置かれており、緑がいい感じの差し色になっている。
間取りは見たところ1LDK。
俺が通されたのがリビング・ダイニングで、扉が閉まっているが、もう一部屋はおそらく水無月さんの寝室だろう。
通された部屋が水無月さんの部屋ではなかったことに、俺は安堵感を覚えていた。
もちろん俺は女の子の部屋になど上がったことはないし、正直、女の子の部屋でどんな風に過ごしていいのかもわからない。
目のやり場に困ることは必定であるし、おそらく何もできず、何も触れられずで、借りてきた猫みたいになってしまうのは目に見えていた。
でも、リビング・ダイニングであれば、ある程度共有スペースのような雰囲気があるので、その点が少し緩和される。
俺はリビングに買ってきたものを置くと、まずは水無月さんに体調を尋ねる。
「熱はどんな感じ?」
「37.5℃くらいです。そこまで高くないので薬を飲んでいれば明日には下がると思います」
水無月さんが37.5℃ということは、本当はもう少し高いんだろうなと直感的に思った。
38.0℃ちょいというところか……。
もし俺の予想が正しいなら動くのもやっとと言ったところだろう。
そんな水無月さんを見ていると、あまり長居するのはあれだができる限りのことはやってあげたいと思えてくる。
「スポーツドリンクとかゼリーは冷蔵庫にしまう感じでいい?」
「はい。申し訳ないですがお願いします」
やはり水無月さんも余裕がないのか、申し訳なさそうな表情を見せつつも、俺に任せてくれた。
「せっかくレトルトのお粥を買ってきたんだし、もしよければ作るけど……」
「いえ、さすがにそれは申し訳ないですし、今はお腹はすいていないので……。その代わりと言ってはなんですが、もしよければ今日の授業のノートのコピーを取らせていただけませんか?」
「授業のノート? 俺は別に構わないけど、水無月さん、まさかその状態で勉強する気か?」
「さすがに今日はしないつもりですが、もし、明日とか体調が回復したら見直すくらいはできるかなと思いまして。あんまり授業に遅れてしまうと追いつくのが大変ですから」
「……まあそれなら」
そこまでして勉強しなくても……という気持ちはあったが、今日は安静にするということだし、コピーを取るなら構わないかと思い直して、俺は渋々承諾する。
「わかった。でも、今日は勉強は絶対せずにすぐにでも寝ること。あと、コピーを取りに行くのも大変だと思うから、コピーは俺が取ってくるよ」
「勉強についてはわかりました。あまり律さんに心配かけてはいけませんし、今日は無理しないでおきます。でも、コピーについては、家にコピー機がありますのでそれには及びません」
そこまで言った水無月さんは申し訳なさと恥ずかしさを混ぜ合わせたような表情を見せる。
「ただ、コピー機があるのは私の部屋ですので……もしよければノートを一瞬貸してもらえると……」
……ああ、なるほど。
水無月さんのもじもじする姿を見て、彼女の言わんとしていることは察したので、素直にノートを渡すことにする。
さすがに女の子の部屋に入るわけにはいかないし、仮に下着とかが置いてあったら目も当てられない結果になる。
「じゃあ少しだけ待っててください」
水無月さんはそう言うと、そのまま奥の部屋に引っ込んだ。
少ししてコピー機を作動させる機械音が聞こえてくる。
手持ち無沙汰になった俺はとりあえずダイニングの椅子に腰掛けて水無月さんの戻りを待つことにする。
あと、俺にできることは……とりあえず彼女に熱を測ってもらって必要があれば追加の薬を買ってこようか。
場合によっては解熱剤を飲んだ方がいいレベルかもしれないし。
他には……さっき冷蔵庫を空けたとき思いのほか食材が少なかったので、もう少し栄養のあるものを……って言っても料理が得意でない俺は鍋の材料くらいしか思い付かないがそれを買ってきてあげようか。
えぇ~っとそれから……。
(ドサッ)
そんなことを考えていると、水無月さんの部屋から何か大きな物音がした気がした。
「……水無月さん?」
何か嫌な予感がして、俺は水無月さんの部屋に駆け寄る。
「水無月さん、大丈夫?」
コンコンとノックをして何度か彼女の名前を呼んでみるが反応がない。
さすがにこれはやばいんじゃないかと思った俺は「開けるからね!」と断った上でドアノブを回すと……。
「……っ!」
そこには、息を荒くして床に横たわる水無月さんの姿があった。
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