挿話1 無能の神様とマスコット

「マスコットキャラが欲しい!」

 日差し麗らかな昼下がり。小さな無能の神様は急にそんなことを言った。

「稲荷と言えば狐、大黒様と言えばネズミ! みたいに人気のある神様には皆眷属がおるじゃろう? 大家殿だって牛や梅の精が眷属ではないか」

 小さな神様は指を狐の形にしたり、ちょろちょろと動かしてネズミの動きを表現してみせる。

 そして小さな体を目一杯伸ばして、

「だから、我も、眷属を従えてビシっと神らしくしてみたいんじゃよ〜」

 あまりビシっとしてない願望を口にした。

「まあ、そうなんですねぇ……ということはわたくしもマスコット……語尾とかつけてみた方がよいでしょうか?」

 その様子にのほほんとした微笑を浮かべてズレた返答を帰したのは、この神社を昔から見守ってきた神木の精だった。名前は便宜上梅子と呼ばれている。

 梅子はこの神社の御祭神に仕える眷属神だ。ちなみに、小さな神様はこの神社の末社に居候している神様であり、梅子の本来の主人ではない。ないのだが、最近はもっぱらこの小さな神様のお世話をすることが梅子のお役目だ。

「梅子ですうめ〜」

 両手をほっぺのそばで広げてにっこり笑顔。

 ゆったりほんわか、そんな形容詞が眼に浮かんで見える。

 そして、おどけているのにそれなのに、冗談みたいに美しい。

「梅子殿はマスコットというより、イメージガールとかそんな感じかのぅ……」

 色づいた梅花のような薄桃の髪。若枝を思わせる萌葱の瞳。肌の色は真珠のように白く輝いている。

 梅子は眷属というには空恐ろしいほどの美女だ。

 眷属は神格こそあるものの、稲荷の狐や日吉の猿のような神様の小間使いや下働きくらいの扱いのものが多い。もしくは長くその神社にいて気づいたら信仰されるようになっていた動物や植物ということもある。中には個別に神社を建ててもらえるような神もいるが、それはレアなパターンだ。

 梅子もまた、由緒も謂れもない眷属神の一柱、それゆえちゃんとした名前もないのだが、その美しさについては高名な神々にもその美しさが知れ渡っていると聞く。

 マスコットに任命するには役不足も不足すぎる。

 そんな事を小さな神様が思っていると、梅子はふいに人差し指を立て、上目遣いで呟いた。

「ふむいめーじがーる……ですか? ああ、そういえば、昔ウシのべこべえと一緒に、神界向けに神社の広告を撮ったことがあったような」

「えっ、なにそれ! 見たい!」

「気になりますか? むーちゃん」

 この梅の木の精は小さな神様のことを「むーちゃん」と呼ぶ。

 梅子と同じくこの小さな神様には名前がない。しかし、それは眷属神だから、というわけではない。というか、なんの神様なのかさっぱりわからない。ご利益もなければ神力もなんもない。そういうわけで、無能の神様というありがたくない二つ名で呼ばれている。最近では半ば自虐すら込めて自らそう名乗っている。

 とはいえ優しい梅子は可愛い小さな神様を「無能」と呼ぶのは忍びないと思っているのか、むーちゃんと呼ぶことにしているのだ。

 さて、思わせぶりな言葉に小さな神様は期待の眼差しを梅子に注いだ。

 しかし、

 「撮影はしたのですが〜」

 と梅子は思案気に首を傾げ、

「前日に撮影データがバックアップ諸共全て消えるという怪事件が発生しまして……なかった事になりましたねえ……」

「え、なにそれ、こわ……」

 なんでもありの神様の世界だが、理由がわからないことはやはり怖い。

 無能が慄きつつ、その恐ろしい出来事について踏み込んでみようかと迷っていると。

「世の中詳しく知らない方がいい事もある」

 矢庭に抑揚のない不穏な声音が不穏な会話に割り込んだ。

「うわ、びっくりしたぁ!」

 意表をつかれた小さな神様は肩をびっくりと震わせた。

「例えばどんぐりの中には……」

 会話に割り込みさらに不穏な言葉を続けようとするのは、たまたま遊びに来ていた近くの川の神だ。名前を藻子という。

 実は会話の最初からずっといたのだが、すっかり存在を忘れていた。藻子にはどこか存在感が雑貨とか家具とかっぽいところがあった。末社の備え付きの家具と言われても無能は信じる可能性がある。室内にいつも当たり前にあるものが突然喋り出したら無能は驚く。今起こったことはつまりそういうことだ。

 ーー古く長く生きるとこうなっていくものなのかのぅ……。

 藻子は見た目こそ無能とそう変わらない童子だが、今いる三柱の中では一番古い時代から生きている神だ。どれほど長生きかというと本人も忘れてしまったというくらいで、なんか気づいたらこの川に祀られていたんだとか……。

 自然の神である彼女は自分を取り巻く環境に強く影響を受ける。一昔前までは、小さいながらもよく反乱する暴れ川として恐れられていたそうだ。だが今では治水工事や外来種の流入などの影響でその神威も影を潜め……表情や動きはサイボーグっぽくなり、見た目は多国籍になり、喋る言葉も多言語化、それどころかたまに解読不可能なレベルのものが混じる、という具合。

 時代に翻弄される苦労性な神……といえば、そうなのだが、本人はそれほど気に病んではいないようで、今の自分を結構楽しんでいるようだ。

「待った。ストップ。我の全財産の価値をこれ以上暴落させるのはやめるのじゃ」

 続きの言葉を遮って無能は速やかに釘を指す。藻子はどんな時も表情一つ変えることはないが、割りと、というかかなりお茶目だ。お茶目がすぎて場の空気をサラリとぶっこわす天然破壊神になる。神威は衰えても無能から見たら十分小さな暴れん坊である。

「と、ところでじゃ。藻子殿はマスコット眷属を作るアイデアどう思うかのぅ?」

 なので話題を変えるというか戻すことにした。

 すると藻子はちょっと上手に動ける人形のような仕草で指先を踊らせた。

「藻子は素敵だと思った。だから、考えてみたよ。無能の眷属……mascotを」

 藻子の青い髪が揺れて、瑠璃玉のような瞳がぽおっと輝いた。

 すると踊った指先の軌跡を辿り一繋がりの水が渦巻いた。

 水はそのまま空中に滞留し、一枚の水滴の絵となった。

「な、なんじゃこれは……」

 演出は神様っぽかった、が、そこに描かれていたのは……猿のように手足が長く、熊のようにずんぐりとしていて、なにはともあれ毛むくじゃらなのだけは確かな……よくわからない、なにか、だった。

「藻子の記憶の中にある古代の生き物だよ」

「な、名前とか……は?」

「さあ……?」

 表情は変わらないし、抑揚もないが、それなんか重要? とでも言いたげに藻子は首をかしげる。

「彼らは彼ら自身のことを閧・蠕悟次莠コと呼んでいたよ。まだ人類は発見してないみたいだね。藻子の記憶も朧げだから、どんな生き物かもよくわからない」

「ど、どんな生き物かわからないのに推すの? 推薦理由は……?」

「無能がよくわらかない神様だから、よくわからない生き物を選んだよ?」

「却下ー!」

 無能は空中に滞留したままの謎の古代生物を手で振り払った。水滴がキラキラと部屋の中を舞い床に落ちる前に、一つの痕跡も残さずに消えた。

 そのまま水滴を振り払った手を滑らかな動きでこめかみにあてて、引き攣った笑顔を浮かべ、梅子に顔を向ける。

「う、梅子殿はどうかのう?」

「えっ! あっ、私ですか? そうですねぇ。こういうのはいかがでしょうか?」

 梅子はどこからともなく紙と筆を取り出しさらさらと絵を描いた。

 それは真っ白な大きな正円だった。

 そしてその正円の中に端から端を横切る黄色い扁平な楕円。

「梅子殿……今夜の夕食の献立を考えておったな……」

 極め付けは黄色い楕円の上の赤い波線。うん、これ、オムレツだ。

「はい……そろそろ仕度にかかるころかなあと。とても良い卵がお供えされていたもので……」

 ほわほわと答える梅子。この神社では毎日、どんな季節であろうと、夕暮れ時には梅の花が満開になる。

 梅の花が咲いたら夕食の合図だ、梅子の笑顔を見ると、無能も不思議とお腹が減ってくるのだ。

「食欲に負けるうちは眷属を持つなんて夢のまた夢かのぅ」

 無能は気の抜けたように肩を落とした。

 すると背後から藻子がぬっと現れる。

「大丈夫だよ。きっといつか閧・蠕悟次莠コがマスコットになってくれるから」

「いやぁ! だから閧・蠕悟次莠コってなに? なんなの? 正体不明の眷属はいやじゃぁ!」

 部屋の中は気づいたら毛むくじゃらの何かの水の絵でいっぱいになっていた。

「藻子様もお夕食食べて行きますよね?」

「もちのろん」

 気づけば、小さな社の小さな窓から柔らかな西陽の残滓が差し込み始めていた。

 やがて夜はすっかり帷を下ろして、今度は小さな社の小さな窓から夜の世界へ優しい灯りを投げかけるだろう。

 謂れもなければご利益もない、神通力もなければ眷属だっていないけれど、無能の神様の周りには不思議といつも暖かな光が溢れている。


「ちなみに閧・蠕悟次莠コは卵を……」

「いや、それはもういいからー!」

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無能の神様 ゆきえいさな @goldilocks137

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