無能の神様
ゆきえいさな
0話 我は神である、名前はまだない
我は神である。名前はまだない。
そもそもどこの馬の骨なのかも知らない。
もしかしたら馬の骨の神なのかもしれない。
この国の神はどんなものからも生まれうる。
鰯の頭も信心からというが、あらゆるものには御霊が宿っている。
そこに人の思い、すなわち信仰が募り、集まり、重なれば、神は生まれる。
我もそんな人の想いや願いから生まれた神なのだけは間違いない。
間違いないのだが……。
「今日も賽銭箱は空なのじゃああああああああああああ!!」
侘しい気持ちで小さな賽銭箱を振ってみる。
ふふ、なんにも聞こえなーい。
はて、さてはこれは賽銭箱じゃなくて閑古鳥の巣じゃったのかのぅ?
まあ、それも、これも使用がないことではあるといえばある。
なにせ神とは言えど、今の我の身分は居候。
とある神社の片隅を間借りし、ほそぼそ神様活動をする、そうじゃのう人間の世界で言えば無名の地下アイドルのようなものじゃろうか。いや、そんな高尚でもキラキラしたモンでもないの……。
「理解ある大家殿のご厚意で、こんな立派な末社を建ててもらったものの……」
末社というのは神社の敷地内にある、祭神とは別の神社や神を祀った小さな社のことじゃ。末社と言えど神様は無限に分身できるから、そのご利益は本物と遜色ない。
しかし我の場合はちょっと、というか、かなり、事情が異なる。
大抵末社には、どこどこの神社から分祀されたとか、どんなご利益があるかなどの立板があるものじゃが……我の場合。
「なんもない」
ま、そりゃ、そうじゃ。先ほども申した通り、我は一体なんの神様なのか皆目わからぬ。ご利益もなければ神力もなし、謂れもなければ由緒もなし。ないないづくしの神様なのじゃから板書きなど書けるはずもない。
しかも社の場所も神社の裏手側の鎮守の森にひっそりとある。
人目につかないので存在感はぜろ。
しかし、居候のみの上でこれだけ立派な社をいただいて、文句を言ってはバチが当たる。いや、本来はバチを与える方のはずなんじゃが、のぅ……。
「はぁ、出時はともかくご利益も神通力もないのではなあ、
看板メニューもウリもない飯屋のようなものではないか」
一体我はなにものなんじゃろうか?
我にいわゆる人格のようなものが生まれ、形が出来て、見て聞いて考えて話すことができるようになったのはここ最近のことだ。その後神々のほとんどがそうであるように、生まれたばかりの神々が神様として基本的な知識と心構えを学ぶ「神様幼稚園」に入園した。
神様幼稚園の同期は皆ちゃんと神格がわかっていた。それは古くからある神の新しい世代、例えば新しくできた道の神であったり、新築家屋やビルの屋敷神であったりした。
他にもこの現代社会を反映した新しい神格なんかもある。たとえばスマホの神やSNSの神とか、クーポン目当てにダウンロードしたけど結局使う機会がなく容量を圧迫するアプリへの怒りの神とかがおった。
しかし、我はそのどちらでもないようじゃった……。
我は神様幼稚園を優秀な成績で卒園したのじゃが……肝心の何の神かわからない、何の神かわからなければご利益も神通力も使えない。そうなると教育係の神様達も赴任先をどうしていいか決めかねる。
つまり大変こまったことになったのであった。
大変困ったことになっていたところに「行く場所がないならうちの神社いっぱいあるから、うちに住めば良い」と申し出てくれたのが、この神社の御祭神殿だ。
「今日の賽銭もぜろ……参拝客もなし、ちょこっとでも視線を寄せてくれた人もおらぬ」
我のような、なんの取り柄のない神を拾ってもらった恩がある。
少しでも賽銭を稼いで、参拝され、この神社の格を上げて、大家殿の厚意に報いたい。
そしていつかは自分の神社を持ち、多くの人々に施しを与えたい。
だが、神の世界は実力主義。結構シビア。そこそこハード。
賽銭や参拝客からのグッドが集まらなければ、神格も上がらぬ。
大きな神社を持つような御祭神の目に止まったりすれば、眷属神として扱ってもらい、そこから出世の道を歩むこともある。眷属から神の宿る依代にまでなった鮭や、神として祀られているマグロまでいるというのだから驚きだ。
もちろん名前のないような土着神であっても時と場合によっては、ローカル神として絶大な信仰を得ることもある。
祭りの日にだけ現れるナマハゲなんかも立派な神なのじゃ。
日本人は古来より身近に神を感じてきた。
太陽、その光、育まれる命と死。雲と風、雷鳴、雨の一粒、雨滴の音。月、夜の闇、底に広がる世界の全て。
頭のてっぺん爪の先まで、四肢の一つ一つ、めぐる血管の一本一本まで、美しい花も、醜い瓦礫や屑も。
全てに神が宿っていると信じ続けてきた。
だから我は今ここにいる。
今の時代に必要とされた。
だから我がすぐすぐ消えることはない。
そんな楽観的な見方をすることもまあできる。
しかし今時、熱烈な信仰心を持った人間というのも少ない。
とりわけ現代、あらゆる科学や技術というものが発展を続ける、この時代。
神なんて単語も存在もただのありがちな人間向けの形容詞にすぎなくなってしまった。
神という言葉をたびたび口にすることはあろうと、節句や七五三を宗教行事だと意識して生活する日本人はそうおらぬじゃろ?
ほんの100年ほど昔までは、人間は、「モノ」や「コト」に神や妖の姿を見て、名前をつけてきた。だが今は、わざわざ「モノ」や「コト」を神様の姿を見る人間は少ない。
だから我が新たな現代の神として、名前を持つことも難しいだろう。
改めて言おう現代社会で神として生きるのは、結構シビア、なかなかハード。
「もちっとはよう生まれておればのー……なんか、こう、我もいい感じの女神として、すぴりちゅあるなぱわーすぽっと的な特集を組まれて紹介されたりしてたのかのう。厚みがたりんのよねー。厚み」
この時代に新たなる神として生まれたしまった神生を呪い、先行きに暗澹たる気持ちを抱え。一人ぐちぐちとしておると、
「厚み……でございますか……?」
花の香りと共に、柔らかな声が聞こえた。
「そうですねぇ。厚揚げもふろふき大根も厚みがあるほど美味しゅうございますものねぇ」
声に香りなどあろうはずもない。ないのだが、我はいつもその声に、不思議と甘く淑やかな梅香を感じてしまう。
薄紅に色づいた髪はまるで一本一本が絹の糸か、梅の花を糸にほぐしたかのように陽の光を受けてキラキラと輝き、瞳は若枝の萌葱をたたえた瞳は瑞々しい。肌の色なんかはもう天女様のごとし。
声の主の見目は、その梅の香りを錯覚させるにふさわしく大層美しい
「梅子殿~。腹が減っておる時にもっと腹が減るようなことを呟くのはナシにしてほしいのじゃぁああ」
そしてお腹が減ってしまうのである。
「まあ、まあ、それはまことに申し訳ございません……。てっきりお腹が空いているのかと思い……」
「だから減っておると言うておる~! でもね、でもね、今日もご飯を買うお賽銭がぜろなのじゃよ~ひもじいのじゃよ~」
我は空の賽銭箱を再びぶんぶんと振ってみせた。
やっぱり虚無の音がした。
「まあ……それは。お気の毒に……」
そんな我の様子に心の底からの優しげに同情するように口に手を当てて、
「とはいえ、いつものことではございませんか?」
梅香の声の主、梅子殿はまったく同情的でないセリフを我に投げかけた。
「意外と悪辣!」
もう! まったく天然なのか、計算なのか、まったくわからぬ……。
ぐぬぬー、と怒り半分呆れ半分の我を見て、
「ふふふ、夕食の支度をいたしましょう」
花が綻ぶような笑顔を見せて梅子殿は台所へと姿を消した。
梅子殿は我が居候をしておるこの神社の境内に植えられた一本の、小さな、紅梅の木の精だ。神社の祭神を助ける神、つまり梅子殿は眷属神の一人だ。
元を辿れば大変謂れのある神社のそれほど謂れのない梅の一枝を貰い受けたものをさらにもらい受けたもの、らしい。
この神社にはもう一人、ある伝説の伝わる白梅の木の精がいるのだが、そちらは御祭神の秘書として忙しく働いている。対する梅子殿はもっぱら神社の管理や炊事洗濯といった下働きが主な仕事のようだ。いわば神社の家政婦とでもいったところかのぅ。
もっとも最近は大家殿や神社のことよりも、我のお世話ばかりをしてもらっているような気がするが……。
「よう! 来たな梅ちゃん! 今日も俺は全開マックス! グレイトフルファイアー! 最大火力の準備は万全だ! どんな料理でもこい! 全ての水分を消し飛ばしてやる!」
梅子殿が台所に入るや否や、たちまち聞こえてきた威勢のいいが社の中に轟く。
というかテンションがそのまま神格になったような存在と言いたくなる。
しかし声の主はどこにも見えない。
「いえいえ、今日は煮物の予定ですから、じっくりことこと、燻銀の火力でお願い致します」
「なんでい! つまんねえなあ!」
と、残念そうに答えながら、竈門の中の炎がわずかに萎む。
そう、梅子殿の掛け合いをしているのはこの台所そのもの、すなわち竈門神だ。
竈門神はこの小さな社の台所のすべての設備に宿って、我らはその神力を借りて調理を行うのである。言うなればオール神化キッチンじゃ。
「とでも言うと思ったかい!? 竈神にできねえことはねえ! 俺は竈門の中では最強!!!! 強い! とても強い! どんなことでもできる! だったら弱火だって強いに決まってる! そうだな! 本気の弱火! 本物の弱火ってやつを今日は梅ちゃんに教えてやんよ! 外はしっとり中はほろほろ! 夢を現実にするんだ! 燃えるぜえええええええッ!!!!!!」
「頼もしいことですわ~。それではよろしくおねがいいたしますね」
なにかと暑苦しい竈門神のテンションを、慣れた対応でいなし、梅子どのは料理を始める。トントンと包丁がまな板を叩く音。ことことぐつぐつと食材の煮える香り、美味しさの巻き物が開かれて行く様子が見えなくてもわかる。するとお腹がどんどん減っていく。神も腹が減っては戦ができないのだ。こればかりはどうしようもない。
そして今日も梅子殿お手製の美味しい晩ごはんができあがった。
梅子殿はとっても料理上手じゃ……本人は平安時代生まれで、最近のことはよくわからない、というのじゃが、和風だけでなく洋食も中華もエスニック料理も得意で、しかも全部ほっぺがとろけてしまうほどに美味しい。
今日のメニューは秋刀魚の塩焼きとカボチャの煮物、なめこ汁に水菜のおひたし。
ご飯がいくらでも進むタイプの組み合わせじゃった……。
ああ〜食べる前から目が美味しいと言っているのじゃ〜。
「今日も賽銭はぜろ。参拝客はなし、稼ぎはゼロ。これでは居候の穀潰し。そんなの身の上で食う飯が本当に美味いのか? それはわかっておる、わかっておるが……美味いものは美味いのじゃ~!」
申し訳なさで胸がいっぱいになるものの、胸よりももっといっぱいになりたいと胃袋が駄々をこねる。梅子殿はやっぱ料理上手なのだ。ただいつもいつもちょっとだけしょっぱい味がする。
向かい合わせにいた梅子殿が箸を止めて、袖から小さな手拭いを取り出した。
「旦那様より、むーちゃんが一人前になるまでは衣食住の世話をせよと仰せつかっておりますので」
そして、我のほっぺについた、ご飯粒、揚げのかす、葱をそっと吹いてくれた。その指先をほんのちょっと両の目元に滑らせて。
「だから……そう畏まらないでくださいまし」
「梅子殿おぉぉぉおおお……」
鼻がツーンとするのは、
「それに、わたくしは料理が大好きですし、美味しく食べてもらうのはもっと大好きなんですよ」
きっと梅干しがちょっと酸っぱいからじゃと思う。
我は神である。名前はまだない。
神通力もご利益もなく、謂れなんかまったくない。
それでもいつかほんの少しでも、梅子殿や大家殿、神主殿に恩を返せたらいいなと思う。
これは「無能の神様」である我が、無能なりに、この時代を神として生きていく。
多分、そんな物語だ。
「俺は! また! 明日も! 燃え上がる! 燃えて! 燃えて! いつか俺自身を燃やし尽くすまで! 燃える! だからどうかみんな! その種火を絶やさないでくれ! 竈門神とのお願いだ!」
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