僕らのポチ太

見鳥望/greed green

「あれぇ?」




 初めてのデジカメに興味津々の健太が、リビングに座る自分達に向けたデジカメを見ながら何故だか首を傾げた。




「どうした?」




 聞くと健太は妙な言葉を口にした。




「顔のない所に顔があるよ」




 それを聞いた妻は思わず「え?」っと顔を顰めてこちらを見た。




「見せてごらん」




 そう言って立ち上がると、




「あ、動いた」




 とデジカメから目を離さずに言う。




「どれ?」




 私は健太の横から画面を覗いた。




「ほら」




 健太がデジカメの画面を指差す。


 


 ーーあぁ、そういう事か。




 健太が何を言っているかが分かった。


 デジカメの顔認証機能が今、妻の顔以外に妻のくるぶし辺りに反応していた。




「なんでかなぁ?」


「ちょっとデジカメ君の気分が悪いのかな」




 言いながら私は息子からデジカメを取り上げる。




「デジカメ君も疲れてるのかもしれないから、休ませてあげような」




 健太はむぅっと少し不機嫌そうな顔をしたが、わがままを言う事はなかった。




「ポチ太かなぁ」




 小首を傾げながら向こうに歩いていく健太の足元に、顔認証のカーソルが寄り添うように追いかけていった。



















 くらい。くらい。




 おうち。どこ?


 


 おうち、かえる。かえりたい。




 ぱぱ、まま、けんた、あいたい。




 おうち、おうち、わからない。




 かなしい、つらい。 


 


 だから、たのしかったこと、おもいだそう。












「ポチ太、ほらご飯だ。食え」




 おいしい、おいしい、お腹すいた。


 ご飯くれる。やさしい。




「行儀が悪いなあ、ほんとに」




 パパが笑う。




「汚いなぁ、もう」




 ママも笑った。




「僕もお腹減ってきたー」




 けんたも笑ってる。嬉しい。








「散歩は気持ちいいなー」


「さんぽ、さんぽ♪」




 おそと、あるける。まいにち、さんぽ、つれてってくれる。


 うれしい、うれしい。たいよう、の光、気持ちいい。




「あら、川原さん。今日もポチ太君のお散歩ですか」


「はい、こうやって毎日やっぱり外を歩いてやらないとね」


「えぇえぇ、そうそう。それが絶対いいわ。こうやってね、そうしないと私達も会えないものね」


「はい、是非可愛いがってあげてください」




 ちかくに住んでる、この人は、エバラ、さん。


 いつも外にでると、かわいがってくれる人のひとり、だ。




「はいはい、ちゃんと挨拶しようねーポチ太君」


「ははは、江原さん本当にお好きですねー」


「お好きだなんてそんな。あなたと一緒なだけよ」


「まいったなぁ」




 外にでると、エバラさんみたいに色んな人がかわいがってくれる。


 家族いがいとの、ふれあい。


 たのしい、たのしい?


 と、おもう。


 でも、けっきょく家がいちばん。






 夜。くらい。


 家のなか、みんなの笑い声。たのしそう。聞いてるだけで、きもちいい。


 おちつく。じめん、冷たい。


 おやすみ、みんな。


















 ……。


 


 楽しかった……?


 


 違う。違うぞ。


 


 全部、違うぞ。


 


 俺は、俺はあの家でーー。


 


 













「パパ、この人なぁに?」




 健太がいつこの言葉を口にするかと思いながら過ごしてきた。しかし焦りはなかった。


私は妻と決めていた答えを健太に教えた。




「これはな、人じゃないんだ。そうだな、こいつは”ポチ太”って言うんだ」






 時代が変わるから人が変わるのか。


 人が変わるから時代が変わるのか。


 この世に不変なんてものはない。法という堅固で融通の利かない絶対的な裁きの基準ですら時代と共に変遷する。


 


 私刑選択法。死刑の形もただ資格を持った執行人が行うものではなく、よりフレキシブルなものとなった。


 当時五歳だった娘真奈美を、汚らわしい欲で殺した冴木実という男は当然のように死刑が確定した。しかし、それで終わりではないのだ。




「冴木をどうされますか?」




 この問いに関しても私と妻は淀みなく答えた。




「飼います」


「飼う?」




 国の死刑管理職員は少しだけ首を傾げた。




「ただ首を吊っておしまいだなんてあり得ない。尊厳など奪い尽くし、日々この男に苦痛を与え続けます。娘の痛みを、苦しみを、絶対に忘れないために」




 そして冴木は私達の希望に沿って肘下、膝下を切断され、舌を抜かれ、歯を全て砕かれ、容易に抵抗の出来ない状態で私達の家に迎え入れられた。




「あごおおおお、おがあがあああ」




 冴木が我が家で発した第一声はあまりに滑稽で見るに堪えない、まさしく人間の尊厳など欠片もないものだった。




「おいおい、そんなに喜ばなくていいじゃないか。これから長い付き合いになる。よろしくな」




 横に並んだ妻の顔にも笑顔が浮かんでいた。


 美しく、しかしこれからこの男に永続的に苦しみを与える事の悦びが惜しげもなく滲んだ、ぞっとする程恐ろしい笑顔だった。








 私達は殴る蹴るは当たり前、時に刃物で薄く肉を削ぎ、火で炙り、シンプルながらストレートな苦痛を毎日与え続けた。ただ死なれては困るので大きな傷はつけないし、病院にも連れて行くし、食事も与える。この辺りの経済的負担等のサポートに関しては、娘を殺された家族の私刑法に基づいて国からの支援があるので何ら心配はなかった。




「ポチ太、散歩にいくぞ」




 ポチ太が殺意に満ちた目でこちらを睨んだ。


 私達は冴木から名前も奪った。そんなものは必要ない。こいつは人間ではない、犬畜生以下なのだから。




「あら、これが例の?」




 ご近所さんの一人、江原さんがいつもの調子で声をかけてくる。




「ええ、そうです。大丈夫ですよ。御覧の通り、何も出来ない身体なので」


「いやほんとに見事なものねぇ」




 我々が選んだ”飼育型私刑”はメジャーではないがマイナーという程ではない。私達がこの方法を選択した理由は先人達の知恵に倣った所もあった。


 市中引き回しの刑。惨めな姿を皆様の前に晒し続ける。これもまたシンプルながら尊厳を奪うのにうってつけな刑罰だ。




「どうです? 江原さんも一つ」


「あら、いいの?」


「もちろんですよ、その為にこの方法を選んだんですから」


「じゃあ、遠慮なく」


「ははは、殺さないようにだけしてくださいね」




 私は持っていたカッターナイフを江原さんに渡す。




「それじゃ、えい!」




 江原さんは楽しげにポチ太の頬にカッター刃を突き刺した。




「おがっ、がごあああああ!」


「江原さんもなかなかやりますねー」




 ポチ太が痛みに悶える。四肢をもいだとはいえ元は28歳の男性だ。体力をつけられては困るので食料は最低限しか与えていない。その為十分な筋力が発揮できないような薬も飼育を行うにあたって国の支援として受けていた。これで万が一にもこちらが返り討ちにあう事はなかった。




 こうして散歩に出かけると、江原さん以外のご近所さん、また知らない人もポチ太を見かけ、




「私もいいですか?」


「俺も、一発いっすか?」


「私達もやらせてもらっていいですか?」




 まるで有名人にサインをねだるかの如く通りすがりにポチ太に苦痛を与えていく。


 最高だ。素晴らしい。罪人には皆で石を投げる。そうでなくてはならない。


 こんな程度では真奈美の恐怖や苦痛には遠く及ばないが、こいつが死ぬ頃にはそれに見合うものが与えられるだろう。




 そうした生活の中で、妻は健太を身籠った。








 健太が言葉を話せるようになった頃には、もうポチ太は完全にポチ太だった。冴木実なんて立派な人間様の名前など全く似合わない生き物となり、ただ舌がないから喋れないのではなく、脳味噌が腐ってしまったかのように緩い表情を浮かべながら、変わらず日々私達から苦痛を与えられて過ごしていた。




「パパ、どうしてポチ太をイジメるの?」




 ポチ太の腿をいつものように針で刺していると、健太が純粋な疑問を持った顔で尋ねてきた。私は健太の前に屈み、真っすぐに目を見て対等な人間として息子に全てを伝えた。




「健太、これはイジメとは全く違う。あれはな、健太のお姉ちゃんになるはずだった人に、ひどい事をしたやつなんだ。そしてお姉ちゃんはもうこの世にいない。死んでしまったんだ。健太にも分かるよな。まだまだ生きて、楽しい事が出来るはずだった子供の人生を、あいつは奪ったんだ。全てを奪ったんだ。だから健太、これはイジメじゃない。奪われたから、奪っているだけなんだ」




 健太はうんと小さく頷いたが、おそらく全ては理解出来ていないだろう。




「ポチ太は悪いやつなんだ。だからパパとママは、お前がやった事は悪い事なんだって教えてあげてるんだ。だから健太も、パパ達と同じようにしていいんだよ」




 健太は再び小さく頷いた。私は満足してまたポチ太を細かく何度も刺した。




 しかし、健太がポチ太に罰を与える事はなかった。


 私達がしている事に嫌悪を露わにするでもなく、止めるでもなく、日常として認めながらも参加はしなかった。それはまるで野球は好きだがサッカーは好きじゃないといった、単なる趣味嗜好の違い程度の感触に近かったが、強制する事ではないと思い私も妻も何も言わなかった。




 そんな生活の中、苦痛を苦痛とももはや感じていないようなポチ太の姿に、もはや意味もないかと思った所で急に気持ちが冷めてしまい、妻との合意のもと私はあっさりとポチ太を殺し、死体は国に引き取ってもらった。



















「ポチ太かなぁ」




 健太の足元を追いかけるように張り付く顔認証を見て血の気が引く。


 死んだあいつが、ここにいるというのか。


 手足が半分ない身体で這いずりながらこの家に帰ってくる姿を想像してゾッとした。


 


 私はそこで急に全てを間違えてしまったような、取り返しのつかないミスを犯してしまったような絶望感が足元から一気に這い上がってきた。




 私達がした事は、間違っていたんじゃないか。


 娘の為の復讐。その気持ちに偽りはない。


 だがどこからか、奴に苦痛を与え続けるという行為自体を楽しんでいなかったか。




 頭を激しく振る。


 違う。違う。


 真奈美。真奈美。


 違う、そんなわけない。そんなわけがない。




 おかしな事に否定すればするほど肯定を強めているようで吐き気がした。


 息子についてまわる顔認証を見ながら私は耐えきれずトイレに駆け込んだ。


 


 私達が招いてしまった。招かなければ、ここに帰ってくる事もなかった。


 変な事を考えず、死刑なんて任せれば良かったのだ。


 そして娘を忘れず弔いながら、健太達と一緒にまた幸せを築けば良かったのだ。




 ーーまた、壊される。




 帰ってきてしまったモノに再び家族を壊される画が、頭の中で暴れ周り続けていた。





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