きれいなつめ

オキタクミ

きれいなつめ

 小さな撮影スタジオの床にぺたんと座り込む。手をついた床が少し冷たい。落とした視線の先に、ひらひらした布のたくさんついた白いスカートがふわりと広がっている。自分がこれを着ているのだという実感が、どうにも湧かない。

 「じゃあ左手床について、右手は顔の横」

 そう言いながら、フォトグラファーは片手をカメラから離して顔の横に持っていき、自分でポーズをとってみせる。手を軽く握って、人差し指だけ少し伸ばして、その指先で顎の輪郭をなぞるみたいに。見よう見まねで自分も同じようにしてみる。

 「あご引いて。そう。それで視線はカメラ」

 言われた通りにして、上目遣いでカメラの黒く光沢のあるレンズを見つめる。

 「そうそう」

 シャッターの音が何回か響く。フラッシュが焚かれる中、慣れない姿勢のまま強張った体のあちこちが、じんわり痛くなる。

 「かわいいー」

 何回か撮ったあとで、フォトグラファーはカメラをひっくり返し、背面のモニターを見せてくる。普段だったら着るはずのない服に身を包んだ自分が、そこに映っている。一枚、二枚、三枚と、写真がスクロールされていく。可愛いんだろうか。よくわからない。とりあえず、表情は硬い。あとポーズも。

 「次はどんなポーズで撮りたいですか」

 「えーと」

 横座りのまま思いめぐらしてみるが、思いつかない。ぎこちなく笑いながら聞き返す。

 「どういうのがありますかね」


——


 二週間くらい前のことだった。近くで飲み会があったとかで、妹がふらりとうちに立ち寄った。妹がソファに突っ伏してこぼす就活の愚痴に、家事をしながら適当に相槌を打っていると、ふと、妹の愚痴が途切れた。特に気にせず皿を洗っていたが、しばらくして妹が、「ねえ」と声をかけてきた。

 「このひと知ってる?」

 手を拭いて流しを離れ、妹がこちらへ向けるスマートフォンの画面を覗き込んだ。

 灰色がかった金髪にヘッドドレスを着け、フリルのついた白のブラウスに、お腹の辺りが編み上げられた同じく白のジャンパースカートというロリータファッションを身にまとったひとが、こちらへ向けてにっこりと笑いかけていた。

 「誰?」

 「演劇サークルの先輩で、衣裳やってたひと。ロリータは趣味みたい。普段はふつうに量産型みたいな格好してたけど」

 「ふーん」

 「知らない?」

 「知らないと思うけど……。ふつうの服着てる写真ないの」

 「インスタは趣味の写真しかあげてないんだよね。ちょっと待って」

 妹はしばらくスマートフォンをいじってから、また画面を見せてきた。そこには、さっき妹が言っていた通り、髪の色がやや明るい以外には特に特徴のない女子大生が映っていた。

 「やっぱ知らないと思うけどな」

 「ほんと? 中学の同級生じゃないかと思うんだけど」

 「え?」

 瞬間、頭が混乱して、画面を凝視した。やがて、あ、と気づいた。頭に浮かんだ名前を伝えると、妹は、

 「私がサークルで聞いてた名前とは違うけど、じゃあやっぱりそうなのかな」

 と言って、それから続けた。

 「けっこう仲良かったよね、お兄ちゃん」


——


 「もうメイク落としちゃうので。見納めですよ」

 さっき写真を撮ってくれたのと同じひとに言われ、鏡の中の自分と見つめ合う。厚いファンデーションに長いつけまつげの撮影用メイク。アッシュブロンドのウィッグ。チープなヘッドドレスと真っ白いドレス。あの日妹が見せてくれた画像の中のあいつの、出来の悪い物真似みたいだ。

 「落としちゃっていいですか」

 「はい」

 ウィッグがとられる。ネットをかぶせられて丸坊主みたいになった頭がのぞく。

 「じゃ、目閉じてください」

 言われるがままに両目を閉じる。目の前は真っ暗になり、鏡の中の自分は消える。左のまぶだに、冷たく湿ったコットンが押し当てられる。押し当てたられたまま、僕はたずねる。

 「撮影するひとがメイクも落とすんですね」

 「最近はそうですね。もう次のお客さんがきてて、メイクさんはそっちいかなきゃいけなかったりするんで」

 相手の顔が見えないまま、返ってくる声に耳を傾ける。

 「すごい。人気なんですね」

 「まああんまりないですからね、こういうとこって。あとは、この前メディアに出たりしたから」

 「へえ。じゃあ、けっこういろんなひと来そうですね」

 「うん。いろいろですよ、ほんとに。そういう趣味で月一くらいくるひともいるし、何回か来てメイク勉強して自分でするようになるひともいるし、好奇心で一回だけ来て終わりのひともいるし」

 まぶたを上から下に拭われる感触のあと、コットンの冷たさが遠ざかる。目を閉じたままにしていると、今度は右のまぶたが、新しいコットンの冷たさで覆われる。

 「けど、いわゆる LGBT 系のひとはあんまり来ないですねー」

 「そうなんですか」

 「たぶんそういうひとは、普段から自分でするんですよ。うちはまあ、コスプレに近いんで」

 やっぱり僕は、ひどく的外れなことをしているのだろう。

 「お客さまはどうしてうち来ようと思ったんですか」

 「いや、まあ、好奇心ですね」

 「へー。こういうのって経験あります?」

 「中学のとき、文化祭でメイド服着たりとかはありましたね。男子校だったんで、なんか毎年やる流れがあって」

 そういえば、あいつは着るのを嫌がっていた気がする。なんだかノリが悪いなと思っていたけれど。

 右のまぶたも拭われて、コットンが離れる。目を開ける。鏡の中には、ヘアネットを着けて、ファンデーションを塗って、けれどアイメイクが落ちて目もとは普段通りの、僕がいる。


——


 「仲良かったよ」

 たぶん、中学では一番というくらいに。当時は家でもよく名前を出していたし、写真も見せていた。だから、妹も顔を憶えていたのだろう。それなのに、中学を出るとなんとなく疎遠になり、ふと思い出して連絡をとろうと思ったときにはもう向こうの連絡先が変わっていて、SNSのアカウントも動いていなかった。妹と同じ大学に通っているということすら知らなかった。

 「今なにしてんの」

 そう尋ねると、妹の目線は少し泳いでから、またスマートフォンに落ちた。「んーなんか」とだけ言って妹はまた口を閉じた。言い淀むような間が少しあってから、

 「ちょっと前に亡くなったんだって」

 「え」

 「たぶん自殺らしくて」

 ショックとか悲しいとかでなく、ただただぴんとこなかった。妹のほうが、ずっとつらそうな顔をしていた。

 「詳しい話はわかんないんだけどさ、職場でアウティングされたんじゃないかって」


——


 出口のところで靴を履く。スタジオは広いマンションの一室で、玄関はふつうの家と変わらない。靴紐を結びながら横を見ると、三和土に履き潰された男物のスニーカーが一足置かれている。次の客がもう来ているらしい。靴紐を結び終わって立ち上がり、振り返る。

 「写真の URL はメールで送っておいたので、届いてるかどうかあとで確認してください」

 「あ、はい。わかりました」

 「では、ありがとうございました」

 「はい、ありがとうございます」

 玄関を出て扉を閉める。スタジオにいた二時間ほどのあいだに日が落ちて、外はもう暗くなっている。

 帰り道の電車の中、ドアに寄りかかり背中に揺れを感じながら、スマートフォンでメールボックスを開く。届いていたメールのリンクをタップすると、さっき撮ったばかりの写真の一覧が表示される。一枚目から順番にスクロールしていく。鏡で見たときには気になった化粧の厚さや衣裳の安っぽさは、写真では気にならない。最初から、写真に撮ったとき自然になるように意図されていたのだろう。けれど、さっきは気になっていなかったところでふと視線がとまる。口もとに寄せた右手の人差し指の先。自分の爪。深爪で、がたついていて、つけねのところにささくれがある。

 そのとき不意に、中学のころの、十秒にも満たない記憶が蘇る。休み時間の教室。消しゴムかシャープペンシルかそれ以外のなにかか、はっきりしないけれど、僕が落としたそれを、あいつが拾い上げてこちらへ渡す。受け取るとき、それをつかむあいつの手の、人差し指の先が目に入る。卵形に整えられつやのあるピンク色をした、綺麗な爪。それを見て僕は言った。

 「うわ」

 あいつと僕の手が消しゴムだかシャープペンシルだかを挟んでつながったまま、僕は目を見開いて顔を上げた。あいつと真正面から目が合った。それから僕は、

 「なんか女みたいな爪してんね」

 大きな声で。おもしろがって揶揄からかうような調子で。ほんのちょっとの間のあと、あいつは笑いながら「うるせーな」と言い、わざと大げさな身振りで僕の手を振り払って、自分の手をズボンのポケットにつっこんだ。そのときの表情は憶えている。けれどその前。僕のセリフとあいつのセリフのあいだにあった、一瞬の。そのときのあいつの表情が、思い出せない。

 僕は右手を返し、スマートフォンの背面に添えられた自分の人差し指の爪を見る。写真の中と同じ、不恰好な爪。反射的に窓の外へ首をひねりかけ、窓ガラスに映る自分の顔を見たくなくて、俯く。

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