鵺退治

月夜野すみれ

鵺退治

 時は平安時代、所は平安京。

 当時、源頼政は京で名声をひびかせていた――――――――歌人として。

 どれくらいすごかったかというと二度も和歌で官位をあげてもらったという逸話いつわが残っているくらいだが、それはまた別の話。


 ある時からうしの刻になると東三条とうさんじょうの森の方から黒い雲がやってきては御殿の上で鳴くようになった。

 その度に帝がうなされるため公卿くぎょう達が対策を話し合った。


「堀河帝の時にも同じ事がございましたな」

 老齢の公卿が言った。

「その時はどうなされたのですか?」

「時の将軍、義家殿が刻限に弓を鳴弦めいげんさせた後、大きな声で『さき陸奥守むつのかみ源義家みなもとのよしいえ』と名乗られたのです。すると魔物はいずこかへ飛び去っていきました」

「では先例にならい、武士にやらせましょう」

 誰かがそう言うと、源雅頼が、

「頼政殿が適任かと存じます(あいつんち化物担の家系なので)」

 と頼政を推挙すいきょしたため内裏からの使いがやってきた。


「は?」

「ですから頼政殿に魔物退治をお願いしたく」


 いやいや、化物退治とかねーわ。

 てか怒鳴っただけで怪異かいいがビビって逃げ出すとか義家の方が化物ばけもんみてぇじゃねぇか。


「武士の役目は反逆者や犯罪者を取り締まること。化物退治は武士の役目ではありませぬ」

 頼政はそう言って辞退したものの、帝の命令と言われては断るわけにもかない。

「ちなみに誰の推薦?」

左少弁さしょうべん殿です」

「そうですか……」

 頼政は顔を引きらせながら頷いた。

 左少弁とは源雅頼のことである。


 雅頼め……。


 相手が化物とは言え敵を仕損じたとなったら武士の面目を失うから自害するしかない。


 一発目の矢を外したら二発目は雅頼の首に叩き込んで道連れにしてやる。


 頼政は矢を持つと郎等ろうとう井早太いのはやたを連れて内裏に向かった。


 刻限になると東三条の森から黒い雲がやってきて内裏の上にたなびいた。

 雲に目をこらすと何かが見えた。

 頼政は矢をつがえると怪しい影に狙いを付ける。


南無八幡大菩薩なむはちまんだいぼさつ

 と心の中で呟きながら矢を放つ。

 手応えがあった。


 的中てきちゅうした!


「やった!」

 井早太いのはやたが落ちてくる影に駆け寄る。


 どさっ!


 地面に何かがぶつかる音がした。

 井早太が刀で斬り付けとどめを刺す。


「息の根を止めました」

 影が動かなくなると早太が言った。


 それを聞いた人々が松明を持って恐る恐る近付いてきて影を見た。

 頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎、鳴き声はぬえに似ていた。


 帝が側に控えていた者に囁いた。

 頼政に褒美として獅子王という太刀を下賜かしせよ、と言ったのだ。

 宇治の左大臣がそれを受け取り、御殿の庭で帝に伏している頼政に近付いた。

 左大臣が太刀を渡そうとした時、郭公かっこうの鳴き声が聞こえた。


「ほととぎす をも雲井くもいに あぐるかな(あのほととぎすと同じように名を揚げましたね)」


 左大臣がそううたい掛けてきた。

 頼政は膝をいたまま左のすそを広げると、視線を月に向け、


「弓はり月の いるにまかせて(月に向けて矢を放っただけです)」


 と答えた。

 女官達の溜息が聞こえてくる。


 決まった!


 美青年の貴族が見事化物を退治した上に、さらっと歌まで返したのである。

 これで明日からモテまくり決定だ。


 今度こそ、あの人からの返事がもらえるだろう。


 頼政はにやけた顔を見られないように俯いてたまわった太刀を受け取ると退出した。


 これが四月十日頃の話である――。


「はぁ?」

 頼政は思わず不躾ぶしつけな返事をしてしまってから相手が帝の使いだという事を思い出した。

 内裏で開かれている歌会の席だから周囲に大勢の人がいる。

「……い。もう一度お願いします」

 頼政は慌てて言い取りつくろった。

「鵺が出たので先例にならい頼政殿に退治をお願いしたいと」

 使いの者が再度げた。


 だから武士の仕事は化物退治じゃねぇんだよ!

 先例にって、その先例は雅頼の推薦で出来たものだろーが!


 頼政は内心で雅頼をののしった。


 こっちゃ、新婚だぞ!

 しくじって自害する羽目になったらどうしてくれる!


 そう、頼政は三年越しの想いが叶って妻をめとったばかりなのだ。

 今日!


 頼政は鳥羽院に仕えていた菖蒲あやめの前に一目惚れして恋文を送ること三年。

 とうとう――――――――鳥羽院の耳に入ってしまった。


 鳥羽院に呼び出された時、何の用かと思ったら、

「菖蒲に懸想けそうしているというのはまことか」

 と訊ねられて頼政は色を失った。

 上皇に仕えている女性に恋文を送っていたことがバレたのだ。


 マズい……。


 頼政は崖っぷちに立たされた。


「頼政が本気で菖蒲を想っているのか確かめたい」

 鳥羽院がそう言うと三人の女性が出てきた。

「この中から本物の菖蒲を選んでみよ」

 三人とも顔がよく似ていてそのうえ全く同じ装束しょうぞくを着ている。

 頼政は三年も前にチラッと見ただけなのだ。

 万が一間違えたら末代までの恥である。

 と言いたいところだが末代などない。

 間違えて赤っ恥を掻いたら自害するしかないが頼政にはまだ子供がいないから今死んだら子孫は残らないからだ。


 頼政が青くなっていると、

「この中に間違いなく菖蒲はいる。はやくせよ」

 と険しい声で迫ってくる。

 焦った頼政は、


五月雨さみだれに 沼の石垣いわがき 水こえて


 いづれか菖蒲あやめ 引きぞわづらふ(どの女性を選べばいいのか分からず困っています)」


 と歌を詠んだ。

 すると鳥羽院は咄嗟とっさに歌を詠んだ頼政の歌才に感心したのか立ち上がると三人の中の一人の手を取った。


「これが菖蒲だ。連れていくがいい」

 そう言って頼政に菖蒲を渡した。


 すぐに菖蒲と一緒に帰りたかったが頼政は歌会のために内裏に来ていた。

 歌会をすっぽかすわけにはいかなかったので先に菖蒲だけ邸に帰したのだ。


 これからウッキウキの新婚生活が始まると思った矢先に――。


 前回、鵺の姿が見えたのは運が良かっただけだ。

 四月上旬で上弦の月の光も差していた。

 しかし今は五月下旬。

 今日は曇っているから月明かりは期待出来ない。

 松明の光はそう遠くまでは届かないから月が出ていなければ屋根の上は漆黒しっこくの闇の中である。


 暗闇の中で見えない敵を射抜けるわけがない。

 大量の矢を放って仕留めるなら頼政一人より数を頼みに大群の兵達に射かけさせた方が確実である。

 頼政にやらせるのは一撃必中を期待してのことだ。


 だが――。


 武士にそんな芸当出来ねーんだよ!


 頼政は雅頼を恨んだが勅命ちょくめい――帝の命令では拒否することは出来ない。


「さすが兵庫頭ひょうごのかみ

 雅頼の言葉に頼政は、


 仕損じたらテメーを殺してやるからな……。


 と心の中で毒突どくづきながら宿所で着替えて戻ってきた。

 の矢をたずさえて。


 もしかしたら雲が晴れて月が出るかもしれない。

 という頼政の淡い期待は降り出した雨に打ち砕かれた。

 夜空は真っ暗で何も見えない。

 絶望的だ。


 菖蒲とは結ばれない運命だったのか?

 いや、冗談じゃない。

 絶対に菖蒲の元に帰ってやる!


 頼政が決意を固めた時、鵺の鳴き声が聞こえて顔を上げた。

 闇と雨粒に隠されて鵺の姿は見えない。


「いかがなさいますか?」

 早太が訊ねた。

「……鏑矢かぶらやを」

 頼政は少し考えてから言った。


 早太が鏑矢を差し出す。

 それを受け取ると弓を構えた。

 再び鳴き声が聞こえるとそちらに向けて鏑矢を放つ。

 鏑矢が大きな音を立てて鵺の方に飛んで行く。


 頼政は即座に次の矢をつがえた。

 鏑矢の音に驚いた鵺が鳴き声を上げる。

 その声の方に向けて二の矢を放った。


 次の瞬間、鳴き声が途中で途絶え、雨に濡れた地に何かが落ちる音がした。


 早太がすぐに音がした方に向かい、やがて死骸を持ってきて地面に置いた。

 見物していた宮中の人々の感嘆かんたんする声が聞こえた。


 頼政は帝の前に呼ばれた。

 前庭に頼政が伏すと帝が側の者に何か囁く。


 やがて右大臣公能が帝が下賜した衣を持ってやってきて頼政の肩に掛けながら、

「昔の養由ようゆうは雲の向こうのかりを射貫き、今の頼政は雨の中で鵺を射貫いた」

 と言い、


五月闇さつきやみ をあらはせる こよひかな(今宵こよい、闇の中で名を揚げましたね)」


 と歌をんだ。


 頼政は、


「たそかれ時も 過ぎぬと思ふに(がれどき(夕方)が過ぎたので(名前を名乗りました)」


 と返歌すると衣を肩に掛けたまま退出した。


 その後、頼政と菖蒲は周囲に揶揄からかわれるほど仲睦まじく暮らし、伊豆国いずのくにたまわると菖蒲が産んだ息子仲綱なかつな国司こくしとした。


※養由というのは古代中国・楚の国の弓の名手。

 菖蒲の前が仲綱の母というのは『源平盛衰記』の記述で実際は仲綱の母は別の女性だそうです。

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