第8の扉・選択の時間

「クロちゃん疲れちゃった?」

「少しね、でも大丈夫だよ。ありがとう」

猫の表情はわからない。しかし挙動に疲労を感じる。

「クロちゃん、ちょっと休もうか?」

「ううん、行こう。でも僕が扉を選んでもいいかい?」

「もちろん、どれにするの?」

「君の真後ろににある。ずっとそこにあったんだ」

後ろを向くと金色のドアノブだけが宙に浮いている。


「由美ちゃん。ずっと疑問に思っていたね、なぜここにいるのか? その答えはその扉の向こうにある」

「なんとなくわかる気がする」

「そうなの? ずいぶんと落ち着いてるように見えるけど」

「私も不思議なの。じゃあ行こうか、クロちゃんお願いね」

クロちゃんは重い動きでゆっくりとドアノブを回した。


遊具一つないこじんまりとした公園。先程まで雨が降っていたのか地面には大きな水たまりが貼っている。

「どうだい? 由美ちゃん。見覚えはある?」

「あるよ、私はここでよく遊んでた」

ここは家の近くの公園。昔はジャングルジムやブランコがあったが小学校に上がる直前に撤去されてしまった。

「すごい悲しかった。いっぱいいっぱい遊んでたから」

クロちゃんと水たまりの前に並ぶと真っ青な空を反射している。その中でクロちゃんのいる所だけがぼんやり黒く映している。


「由美ちゃん、こっちだよ」

公園を出て歩道まで歩く。その時ちょうどトラックが車道を通り過ぎて行った。

「クロちゃん、怖いよ」

心臓が締め付けられるような恐怖を感じる。

「そうだよね、でも大丈夫だよ」


車道を渡り反対側の歩道まで行くとアスファルトの上に何か落ちているのが見える。

ゆっくりと近づく。記憶、思い出の欠片が1つまた1つと蘇ってくる。

お母さんお父さんの顔、大好きだったアニメ、入学式、クリスマス、おじいちゃんのお葬式。

地面に落ちている物は花束だった。


「そっか、私死んじゃったんだ」

気が付くともと居た部屋に戻っていた。

「昨日、トラックに轢かれちゃってね」

クロちゃんはぐったりとして床に横たわっている。クロちゃんを誰かがゆっくりを抱え上げた。

「お疲れ様。かなり無理したのね」

クロちゃんを抱いているのは真っ黒な服を着た女性。

「初めまして。私は君たちの言うところの死神よ」

「本とかで見るのと全然違うね」

手袋も黒、靴も黒。晒している肌は顔だけ。顔だけが白く美しい。

「骸骨で鎌を持ってるイメージ?」

クスクスと死神は上品に笑っている。


「死神はね、別に生物の命を奪ったりしないのよ。その生を終えた魂が迷わない様に案内するのが仕事。名前がよくないのかしらね、ひどい話だわ」

「私の案内も?」

「それはこの子が勤めてくれたわ。『どうしても僕がする』って、猫ちゃんにも義理堅い子がいるのね」

死神は優しくクロちゃんを撫でる。

「さぁ、そろそろ私の務めを果たすわね。由美さん、あなたは自分の1つの扉を選ばなくてはなりません。そしてひとたび扉を選べば決してここは戻ってはこれません」


今まで扉の世界を思い出す。どこの世界での生活もイメージされるのは孤独だった。

「行きたくない、もとの世界に戻りたい」と胸の内に思うと死神に「戻りたいのであれば後ろの色のない扉を選びなさい。しかし誰にも触れられない、見られない、死ぬことも無い長い長い世界になる」と言われた。


ぽたぽたと膝に涙がこぼれる。

「お母さんとお父さんに会いたい、一人は嫌」

でも簡単に想像できる。元の世界に戻れば両親がすぐそばにいる。でもそれこそこれ以上ない孤独だということが。


死神の腕から落ちるようにクロちゃんが飛び降り私の膝まで歩いてきた。

「ゆっくりでいいよ由美ちゃん。僕も一緒に行くから」

「そこまでするの? あなたはもう十分に責務を果たしましたよ」

「彼女は僕を救ってくれたんだ。今度は僕が彼女を助ける、最後まで」

クロちゃんを抱きしめる。最初は太った黒猫だったが今では痩せているように思う。

クロちゃんの心臓の鼓動を感じると少しずつ恐怖が薄れていく。


どれほど時間が経っただろうか、ゆっくりと立ち上がる。

「決めたのですね」

「はい」

「それではあなた自身で扉を開けるのです、これでお別れです」

死神は悲しそうな顔をしている。

「クロちゃん、辛いなら残ってもいいんだよ」

「大丈夫さ。すぐに元気になるよ」

クロちゃんは自らの足で立っている。

「それじゃ、さよなら死神さん」

「ありがとうございました我儘を聞いてくださって」

「いいのよ、元気でね……はおかしいわね」

一瞬で目の前から死神が消えた。


「じゃあクロちゃん行こうか」

「うん、死神も言っていたけど君が扉を開けるんだ」

「私死んじゃったんだね、全然覚えてないや」

「……そっか、でももう泣かないんでね。君みたいな子は初めてだよ」

「クロちゃんが一緒にいてくれるからだよ」

クロちゃんを見ると確かに笑っていた。猫も笑うんだ。

私はドアノブをゆっくりとまわした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異界を覗く猫 杠明 @akira-yuzuriha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ