哪吒伝.下

「———皆よ、下がれ」


 石階五段の上、敖廣は玉座から立ち上がると、そばに控えしもろもろの大臣を退出させる。

 ただ、李靖の娘・妃と皇子敖丙だけは、御座みくらとなりの垂簾の座にて静かに膝を正し、凛として夫の勇姿を見守っていた。


 さて、まずは敖廣、冕冠べんかんをはずし、玄衣纁裳げんいくんも大袖おおそでを脱ぎ捨てる。そして、玉座脇に立て掛けておいた大剣を手に取り、すみやかに抜刀した。

 次のこと、石段上から飛び降りるや、光一閃の速度でアナンタに一発刺突をかます。のみならず、続けて十連ほど斬撃をたたみかける。その技巧たるや熟練の腕前、足腰のさばきにも隙がない。


 アナンタははじめ、敖廣の攻撃を防御するに精一杯であった。わずかに敵人の動作を見抜けば大管槍を一突きさえするものの、敖廣の高速な演技には通用せぬのだ。

 アナンタが真っ向へ大管槍を伸ばせば、敖廣はやすやすと右前方へ逃げ、おまけに少年の片腹を殴った。一撃くらったアナンタがやや体勢を崩せば、その右肩を敖廣の刃が噛み付く。それは少々かの筋膜をかすめる程度であったので、敖廣はこれではままならぬとばかりにもう一度アナンタの腹を殴った。


 だが、今度こそは耐えるアナンタ、大管槍を突いて敖廣の右頬を細長く裂く。

 己の身に血を流されたのがよほど悔しかったと見える敖廣、アナンタの左頬に同じ傷を与えた。


「いたっ……!」


 寸刻、アナンタが顔をそむけたところ、今ぞと心得てその首を狙った敖廣が、大剣を一振り薙いだ。

 ところがアナンタ、この一撃を大管槍の逆輪さかわで防ぎ止めたのだった。


 しばし二神して、矛を打ちつけたまま互いに睨み合う。

 果たして、先に動いたのは敖廣であった。敖廣は、アナンタの逆輪を力任せに払いのけると、彼のみぞおちに渾身の前蹴りを入れ込んだ。


 さすればアナンタは、転びに転がって石床を滑り飛ぶ。最後には、大柱に後頭部を強打して目がくらみ、そのまま気を失ってしまった。

 意識の遠のくアナンタ、へたり込んでうなだれる。音の無い白い世界へ、自我が舞い上がる。


 舞い上がった白い世界で、少年はふと、かすかな夢を見た———。

 



 ———はるか昔。

 哪吒は今日も、菩提樹の根元に座り込んで、一人寂しく涙する。


 最勝・獨犍・哪吒の三兄弟は三つ子にして、しかしそれぞれ成長に差があった。

 長男最勝は人間でいうところの齢十八にして、昨日晴れて初陣を果たしたばかりである。次男獨犍は齢十五ほど、まだまだ剣術の修行中である。


 一方三男哪吒は、齢十にも満たず、三兄弟の中ではもっとも発育が好ましくなかった。力とてはたはだ弱々しく、未だ弓一本も片手で持ち上げられない。

 それゆえに哪吒は毎度、城下町の子夜叉たちの笑い者であった。今日も今日とて、石を投げつけられて帰ってきたのである。毘沙門家の恥晒しがおもてに顔を出すなとさえ言われ、さんざんに蔑まれた。


 幼く小さな哪吒は、本日も静かに泣く。

 だが、そんな哪吒を、いつもなぐさめてくれる人物がいた。兄の獨犍である。


「———やっぱり、またそこに居たのか。哪吒、街のガキのほざくことなんざ、気にするもんじゃないぞ」


 右手に木刀を握る獨犍は、稽古の合間をぬってわざわざ、しょげる哪吒の景気付けにやってきたのだ。

 兄は弟のとなりに寄り添って座り、哪吒の肩を軽く叩く。


「泣くな泣くな、大丈夫さ。体が小さいのは、そのうち立派な神さまになる証拠なんだよ」


 獨犍が一所懸命に背中をさすってくれるので、哪吒は兄の期待に応えて涙をぬぐった。一度深呼吸をしつつ、たかぶった心を落ち着かせる。

 ややして気分が和らぐと、自らも言葉をつらね始めた。


「……お兄さまはみんなと違ってが赤いけれど、それもなにかの証なの?」


 獨犍は、青眼を持つ神族の中、めずらしく赤眼であった。それは、父毘沙門も同様である。兄もまた、例外なる身だったのだ。

 獨犍が、答える。


「これはね、特別ななんだって。お父さまから教わったのだけれど、僕の体は火を吹くらしい」


 赤眼たるは、炎化者えんげしゃ特有の人体部位である。

 哪吒は、青い瞳を丸くした。


「へぇ!じゃあ、今も火を吹くことができるの?」

「ううん。今はできないけれど、いつかきっと、お父さまみたく大きな火焔を出して見せる!」


 兄は、笑った。

 笑って哪吒に、声高らかに告げた。


「そうしたら、おまえをいじめるやつらみーんな、火炙りにしてやるんだ!」


 アナンタをなぶりしいたげる悪玉はおしなべて、兄の火焔が焼き尽くす———。



 ———ここで夢が途切れ、アナンタは、はたと目を覚ます。

 されば、ちょうど目前にて敖廣が立ちふさがり、今まさにアナンタの首を斬り落とさんと大剣を振り上げているところであった。


 ————死ぬ………。


 そう思ったアナンタは、脳内白濁となって、かたく目をつむる。

 

 すると瞬間、握っていた大管槍が、噴火のごときすさまじい破裂音を放った。同時に、その刃から猛烈な火を吹いたのだ。

 大管槍に赤々として火焔ともりし、名付けて火尖槍かせんそうである。


「なんだっ……!?」


 これには敖廣も一驚し、大剣を振りかざす手が止まる。

 アナンタもアナンタで、突然の出来事に仰天し、一瞬ほど火尖槍を見つめる。


 ————火炙りにしてやるんだ!


 けたたましく燃え上がる火尖槍を眺めるに、今にも兄のあの一言が聞こえてくるようであった。

 獨犍に何度も背中を押された日々を走馬灯のように思い出すアナンタ、再び闘志がみなぎる。火尖槍の炎とともに、アナンタの両眼にも火がともる。


 アナンタは、すばやく立ち上がると、一寸硬直している敖廣の脇腹を突いた。


 しかしてさすがは敖廣、この攻撃に瞬時に反応してすんでのところでかわすのだった。そのついで、己の脇腹を刺さむとした火尖槍と遠距離を保ちたがったために、大剣でこの刃をはねのけた。

 ゆえに、敖廣の右腕は大きく前見頃を横切ることとなる。


 それがあだとなったか、この刹那をアナンタがとらえた。アナンタは今一度火尖槍を薙ぎ、敖廣の右腕を切断したのである。

 敖廣の右腕が、大剣を握りしままに空中を飛んでいく。果てに、遠方の大柱に刺さって着地した。


 今こそ丸腰となった敖廣、激痛と悔恨に顔をゆがませながら歯軋りをする。

 だが、もはやこれで決着はついたも同然だった。


「おのれ、アナンタ。おのれ、李靖……!」


 なすすべのなくなった敖廣は、石床に両膝を屈して憎まれ口を叩くばかりである。

 アナンタは、さような敖廣を憎悪たぎる青眼で見下ろした。


「貴様なんぞに、陳塘関は渡さない!」


 怨恨の限りを、火尖槍へそそぎ込む。それに応えるかのように、火尖槍の炎はますます強力となった。

 火の唐紅を超越し青紫となった目下、アナンタはいよいよ敖廣の首を討ち落とす。するに、敖廣の頭は火尖槍の炎が舐めてあっけなく焼失した。また、首無しの身体も、炎が飛び火したかのように激しく燃焼し、やがては灰すら残らず焼き尽くされた。敖廣は獨犍の有言通り、火炙りにされて死んだのである。

 かくしてついに、真の勝敗は決したのだった。


 残るるは敖廣の妃とその子供敖丙だが、こちらは問題に値しなかった。

 敖廣が崩御するとともに、妃は小さき敖丙を抱きしめながら、もとよりふところに仕込んでいたらしき手榴弾の引き金を抜いて自爆したのである。母子もろとも、玉座に爆ぜた。

 佳人薄命と言うなりて、されども見事な死にざまであった。


 アナンタはしばらく、戦闘後の余韻にひたる。殺気立つ神経が静まる頃、同じて火尖槍の炎も消えた。

 さすれば一気に脱力して、アナンタはその場に倒れ込んでしまう。のちには医師の介抱があったと思われるが、本人は以降の事情を覚えていない。



 それからというもの、陳塘関はアナンタの治めし霊山となった。アナンタは、十分な政権を取り計らい、草木自由に育つがごとく桃源郷を築き上げる立派な王となる。

 されども、父から受け継いだ宝塔の契約こそ決してわすれず、陳塘関もアナンタ信仰の聖地でありながら仏法を擁護する重要な要塞として営まれるのだった。

 宝塔は李靖の御廟に奉納し、火尖槍は自像の片手に安置する。これら二つの道具は、やがてそれぞれ二神を象徴する持物となった。


 こうしてアナンタは、中華に名を馳せるおおいなる主神として華々しき生涯を生きるのであった。

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毗沙門戦記・外伝—もろもろ小噺— ぽんつく地蔵 @Nirva-na3

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