第18話:「供物」

 結論が出るのは早かった。


 どうすれば、私が他のファンと違う存在か、ヒズメさんに知ってもらう方法。


 二日後の夜九時三分前、私は自室でスマホをスタンドに設置し、とある動画配信アプリを立ち上げた。

 事前に大手SNSや沼地で告知しておいたので、すでに千人に近い人間が、私の配信開始を待っていた。

 私は最後のカメラチェックを終え、少し前髪を弄り、自撮り棒の電源を入れて、配信を開始した。


「皆さん、こんばんは。静井洸と申します」


 それだけ言って、深々と頭を下げた。なるべくコメント欄は見ないようにしていたが、アプリの仕様上、目に付くものはある。


(何なのこの女)

(とっちの知り合い?)

(眼が笑ってなくて恐い)


「今夜は、私が『Touya』さんのファンの皆さんと違う存在だということを皆さんに、そしてヒズメさんご本人にお知らせするために、集まっていただきました」


(ハァ?)

(自己顕示欲強すぎかよ)

(ヒズメ、とは)


「私は日極灯哉さんと、音楽とは全く無関係な縁で出会いました。その際、ヒズメさんの方から、曲を聞いて欲しいとお声掛けいただき、これを受け取りました」


 私は受け取ったあの日からずっとパスケースに入れていたヒズメさんの名刺を取りだし、カメラに写した。


(えー! とっちこんな名刺使ってるんだ!)

(マウント取りに来てるな)

(正直私もそれ欲しいw)


「私には音楽の知識や、良し悪しを判断する能力がありませんでした。正直、流行りの歌も知らなければ、関心すら皆無でした。しかし、この名刺をいただいたので、生まれて初めて、音楽と向き合う運びとなり、『深更、最果て』の動画を見て完全にヒズメさんの音楽のファンになりました」


(なに、自慢?)

(完全に自分語りやん、Touya関係なくね?)


「色々なことがありました。ヒズメさんに顔と名前を覚えられていることから嫉妬や殺意にも匹敵する視線を受けたり、とても心地よいとは言えない言葉を吐かれたり。だから私はこう思ったんです。『こういうファンと同じように見られたくない』、つまり、皆さんと私は違う存在だ、と証明します」


(なんか嫌な悪寒がするのは俺だけか?)

(つか普通にキモいよこいつ)


「皆さんはヒズメさん、Touyaさんのために、何ができますか? 良かったらコメントで教えてください」


(まあちゃんと金払うわな、ファンとして)

(とっちになら抱かれてもいい)

(ライブ全部行ってグッズも買って、とにかく貢ぐw)

(おまえみてぇな勘違いファンを消す)


「なるほど、予想以上に皆さん弱いんですね、呆れました。その程度のことしかできない皆さんと同類項に思われるのは私としても不本意なので、私は今から、証明します」


 私は手許に用意していた剃刀を手に取り、それをカメラ近づけた。


(え、ちょっと待って)

(リスカでもすんのか? つか死ねよw)

(ヤンデレもここまで来るといっそ痛快)


「皆さんが、ヒズメさんのためにできることといえばせいぜいお金を落とすことであったり性的な意味で身体を押しつける程度のことですね。しかし私は違います。私は、ヒズメさんのためならこの命すら、捧げることができます」


 私の心はかつてないほど穏やかだった。コメント欄に様々な言葉が飛び込んできていて、それは私が剃刀を持ちもう片方の手で頸動脈を見つけようと首筋を触っている間、とめどなく流れ続けた。


「あ、ここですね。すみません、手首では即死できないと思ったので、ここにします」


(誰か通報したか? 早く止めろ!)

(この女ガチだよ! 警察とか呼べよ!)

(待って! そんなことしないで!)


「ヒズメさん」


 私は一瞬目を閉じて、最初にヒズメさんと出会ったクリスマス・イブに考えていたことを思い出した。


——本気で人を好きになるってどんな感じなんだろう。


 今の私にはそれがはっきりと、確信を持って答えることができる。


「それでは皆さん、証明します。しかし私はおそらく結果を見届けることができません。日極灯哉さんに、静井洸は存在したとお伝えください」


 右手に剃刀を挟んだまま、ぷくっと浮き出た血管を中指と薬指で撫で、私は自然と込み上げる笑みと多幸感に包まれたまま、剃刀を走らせた。踊るように。

 痛みは感じなかった。深さが足りないのだと、私はもう一度、裂けた皮膚の間に剃刀を射し込んだ。


 噴出する血液で視界が濁って、最期に私の眼が捉えたのは、ギュスターヴ・マルのあの本、『勝手に救われる人々』だった。


                              (了)

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勝手に救われる人々 秋坂ゆえ @killjoywriter

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