第17話:「水面に波紋」

「静井さん、とても言いにくいことなんですが……」

 ヒズメさんは目を伏せて切り出した。

「今後、僕のことは『ヒズメ』ではなく『Touya』と呼んでいただけますか?」


 一瞬、理解できず、私はさぞかし間抜けな顔をしていただろう。


「どうしてですか?」

 純粋に理由を知りたくて聞いたのだが、ヒズメさんはずっと下を見ていた。

「『ヒズメ』は僕の本名です。ですが、僕は今『Touya』という名義で活動しています。決して静井さんを貶めるといった意味ではないのですが、皆が『Touya』や『とっち』と呼んでくれる中で、静井さんだけが本名を言うと、ワケありのファンと誤解されてしまう可能性があります。加えて最近、僕のファンのひとりがネット上で問題を起こしているんです。静井さんが僕を『ヒズメ』と呼ぶと、静井さんにも危険が迫るかもしれないので」


 ワケありのファン? よく分からなかった。


「それから、僕も今後、静井さんの名前を口にすることはやめます。今言ったように、問題を起こしているファンがそれを聞いて、静井さんに何か危害を加えるようなことだけは避けたくて……」


「私は」


 うわずった声で、私は発した。


「私はヒズメさんの音楽のファンでもありますが、ここで出会った時は読書仲間という認識でした。今でもその意識は不変です。それの、何が問題なんでしょうか」

 ヒズメさんが一瞬だけ私の眼を見た。

「入り口がどうあれ、静井さんは僕の、『Touya』のファンになってくれました。そのことは本当に感謝しています。ですが、僕はファンひとりひとりに対して平等に、対等に接していきたい。メジャーデビューした時に、そう決めたんです。なので、繰り返しになりますが、僕のことは『Touya』と呼んでいただきたいんです。他のファンの方と同じように」


——他ノふぁんノ方ト同ジヨウニ。


 それは、それは私が毎日駆除してるあんなゴミみたいな連中と、同じ所まで堕ちろという意味だろうか。


 呆然としている私に深く一礼してからヒズメさんはイベント会場内に戻り、手荷物を持って出てきた。そして微動だにせず立ち尽くしている私には見向きもせず、階段に向かい、静かに降りていった。

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