いつかの死と今日の言葉

作楽シン

いつかの死と今日の言葉


『本日午後三時頃、中央区記念病院に車が突っ込む事故がありました。この事故により、歩行者と看護師が重軽傷を……』

『目撃した男性の情報によると、運転手は総理への批判を叫んでいたとのことで、間もなく死亡しました』

『本日の死者は全国で1万6千人、18歳以下の死者は3千人。18歳以下の人口は512万人となりました』


 街灯ビジョンに大写しになっているアバターが、淡々とニュースを読み上げている。画面のふちに「AIが読み上げています」と書いてあった。

 人気女子アナの声を学習したAIだ。


『また事故だね』

 私は隣を歩く彼氏に話しかける。

『まだ暴動とかやってんだな』

『怖いね』


 私のスマートフォンがしゃべり、ヒロくんは「だな」という絵カードが表示された画面を見せた。私はつないだ手をギュッと握る。


 雑踏は物音であふれている。

 けれど人の話し声はしない。厳密には、とても少ない。アプリが時々しゃべってるから、全然ないわけじゃない。


 二年ほど前、謎の咽頭炎が世界中で蔓延した。

 空気感染してしまうこの病は、発声を重ねることで喉を消耗し、いずれは呼吸ができなくなり、死にいたる。


 最初は原因がわからず、謎の突然死が世界中で多発して、ものすごい大騒ぎになった。ウイルスだということが分かったときには、たくさんの人が感染して、たくさんの人が死んだ後だった。

 なるべく話さないように、という政府のお達しがあって、反対運動もたくさんあった。


 外国で「人類を沈黙に誘導し、好きなように国を動かすための陰謀だ」と騒ぎがあり、集会があり、みんなで叫んで歌って、集まった人みんな死んでしまった。

 そこから、疑っていたほとんどの人も、口を閉ざすようになった。


 生まれた子供も産声で感染してしまい、そのまま死んでしまったり、子供の数が極端に減ってしまった。生み控えで出生率がガクンと落ちた。


 今は少しだけ状況が落ち着いたように見える。みんなこの生活に慣れてしまったのと、疲れてしまったせいだと思う。

 AIが読み上げるニュースもうんざりするようなものばかりで、世界中がなんとなく後ろ向きの空気に満ちている。


 それでも私たちは日常を生きてる。

 古いドラマや映画の再放送ばっかりで、すっかりレトロブームだ。最近やっと新しいドラマも作られてはいるけど。

 ニュースはAIが読み上げて、新しい曲はボーカロイドが歌う。


 信号待ちの間、あたしは一生懸命スマホに言葉を入力した。スマートフォンがたどたどしく私の声で読み上げる。


『でね、昨日のドラマでアッキーがルーズソックス履いてたのかわいくてさ。私もルーズソックスがほしいってお母さんに行ったら、びっくりされちゃった。お母さんが高校生の時に履いてたやつ! って』


 もともと聴覚障害のある人向けに開発されていたアプリとかが、どんどん進化していった。音声読み上げだったり、絵カード表示アプリだったり。

 今時みんなそれなりに動画の音声データを持っているから、自分の声をAIに学習させて、自分の声で読み上げられるようにもなった。


『お母さんがホントに履いてたやつ出てきたらもっとびっくりするね』

『さすがにそんなおさがり出てきても履かないよ!』

『だな』


『アッキーかわいかったな〜。ドラマオリジナルの絵カード買っちゃった。アッキーも使ってたやつ』

『ナニサマですか!?てやつ?』

『そうそう、アッキーの声でしゃべるの〜』


 私たちみたいな一般人より、芸能人とかは音声データがたくさん残ってて、アプリでもけっこう滑らかにしゃべる。

 だから、本人が演技をして、あらかじめ入力していたデータでアプリがしゃべって、それをあわせる吹き替え方式で新しいドラマとかも作られるようになった。


 でもインタビューなんかで、『いくらAIがこっちのしゃべり方を学習してるとはいえ、やっぱ生の呼吸とはあわないんですよね。そういうズレが気持ち悪かったりイライラしたりします』みたいなことを答えてる人がいた。

 ズレは見てるほうも気になったけど、もうすっかり慣れちゃった。


 ただ、そういう音声データって誰でも手に入れられるから、他人の声で言ってもないことを言わせるいたずらなんかも増えて問題になっている。


『今度一緒にアッキーの前の映画見ようよ』

『いいけど、俺、昔の香港映画にハマっててさ』

『えっそうなの!?』

 ヒロくんは私にスマートフォンの画面を見せる。画面ではアクション俳優がポーズを決めてて、スマホが「アチョー!」と声を出す。


『アチョーって思いっきり言いてえ』

『そんなんで寿命縮めないでよ!』

『言いてええーーー!』

 彼の手元では、また『アチョー!』と鳴っている。


 私たちは必死で笑いをこらえた。

 信号が青に変わって、一緒に歩き出す。

 話せない分、つながりが欲しくて、私たちはずっと手をつないでた。



『ただいま!』

 玄関に置いてある人感センサーの人形に手をかざすと、私のかわりに大きな声をあげる。


 玄関には、いつもはない靴が並んでた。スニーカーと、手のひらくらいの大きさの小さな靴。


『おかえり~』

 いつもはない声がリビングから聞こえる。

 急いで部屋に入ると、姉が小さな子供と遊んでいた。


『お姉ちゃん! はやかったね』

『今日は仕事休んだからね。この子と遊んでお昼寝起きたらすぐ来たよ』

 そうなんだ。


 一歳の甥っ子は、ブーブーと言いながら、お気に入りの車で遊んでいる。姉が私のほうを見るようにうながすと、ニコニコ笑いながら手を振ってくれた。

 私はスマホを操作するのももどかしく、小さい甥っ子をギュッと抱きしめる。やわらかい髪の毛を撫でて、優しいにおいを吸うと癒される。


「ブーブー!」

 甥っ子ちゃんは私にハグされながらも、手に持ったお気に入りの車おもちゃを振り回している。

「コウ、お姉ちゃんに当たるよ」

 お姉ちゃんはそう言いながら、私から甥っ子ちゃんを受け取る。


 私は満面の笑みを浮かべながら、バッグからさっき買ってきた車のおもちゃをとりだした。甥っ子の目が輝いて、手に持っていた車を放り出す。お姉ちゃんは、すぐ甥っ子ちゃんを制止した。


『投げていいのはボールだけよ』

 スマートフォンを手に甥っ子ちゃんの目を見ながら首を振った。スマートフォンに登録してある言葉のようだった。

「ぼーう」

『そうボールだけ』

『ごめん、私がおもちゃ出したから』

『ううん、おもちゃありがとね。ほんとこの子車に目がないから』


 甥っ子ちゃんは、さっき放り投げた車と、私があげた消防車を並べて、何かをしゃべりながら遊びだした。


 お姉ちゃんは、それを見ながらつらそうに喉と口元を抑える。

 私は慌ててキッチンに駆け込んだ。冷たいお茶をグラスになみなみそそいで、お姉ちゃんの目の前に突き出す。

 お姉ちゃんは笑って、手刀で軽く空を切るような「ありがとう」の手話をしてから、グラスを受け取った。


『ねえ、お姉ちゃん、そんなにしゃべって大丈夫なの?』

『そうなんだけどね。いちいちアプリで入力していられないよ。危ないことしてる時とか、つい声出ちゃうし。スマホ触ってると、寂しくさせちゃうし』


 そうかもしれないけど。

 さっきみたいなのは、ジェスチャーとかでなんとかなるんじゃないのかな、と私は考えてしまう。

 話したほうがいいんだろうけど、でも。命懸けで語り掛けるようなことなのかな、と考えてしまう。


『ほんとは、しゃべらないほうがこの子のためにもいいんだけどね。私がしゃべるとこの子もしゃべっちゃうから』

『コウちゃんはまだ感染してないって?』

『そうらしいんだけど。いつかかるかわからないから、やっぱ無防備におしゃべりするの怖いよね』


 一時期は、生まれたばかりの子供がたくさん亡くなって、世界中を絶望感が包んでいた。でも今生まれてくる子は、免疫持ってる子もいるらしい。

 これも見えないところでの、人類とウイルスの生存競争なのかもしれない。


『ウイルスって変異するし。子供って距離近いから、やっぱり心配』

 そうだね、とわたしはしょんぼりうなづいた。今大丈夫だからって、ずっと大丈夫とは限らない。成長したら、感染してしまうのかもしれないし。わかってないことが多すぎる。


『明明後日には、政府が迎えに来るんだよね』

『うん。お父さんとお母さんにも会えるのも今日が最後』


 感染していない子供は、離島とか山奥とかの施設につれていって、薬が開発されて完全に大丈夫だと判断されるまで、隔離されることになった。防護服を着た大人たちや育児ロボットと過ごすことになるらしい。甥っ子ちゃんも対象だった。

 「乳幼児を親から引き離すなんて!」とか「防護服の大人に囲まれるなんて養育環境がひどすぎる」と大きな問題になったけど、命には代えられない、国の未来には代えられない、と強行されることになったらしい。


『明日は旦那さんとこ?』

『その予定。明後日は、三人で最後にゆっくり過ごすつもり』

 お姉ちゃんは、神妙な顔で黙ってしまった。

 コウちゃんが、「るーるー」と何か歌のようなものを歌ってるかわいい声が聞こえる。

 お姉ちゃんはため息をついて小さく笑い、スマートフォンに文字を打ち込んだ。


『こんな世界に産んでしまって、申し訳ないと思ってる』

 思わず大きな声を出しそうになった。私は慌ててスマートフォンに入力する。

『そんなことないよ。大変かもしれないけど、救世主だよ! 癒しだよ!』


 お姉ちゃんは、スマホで「そうかな?」のイラストカードを表示して私に向けた。おどけた顔の猫のまわりで「???」が躍ったイラストだ。

 あたしは「そうだよ!」のイラストカードを見せる。これは、推し俳優のアッキーがプンプンかわいく怒ってる似顔絵イラストで、「そうだよ!」と音声も出る。


『お姉ちゃんもこの子のために長生きしないと!』

『あとで取り戻すよ。年取ったらずっと黙ってる』

『その前に、治療薬に期待だね』

 お姉ちゃんは笑いながら頷いた。


 その日は、みんなでお鍋を食べた。コウちゃんの分だけ先に取り分けて冷ましてから、お姉ちゃんはせっせとコウちゃんに食べさせている。

 ベーと吐き出したり、自分で食べようとしてこぼしたり、お姉ちゃんはやっぱりふいに「あらら」とか声が出てしまうみたいだった。


 お母さんたちは何か言いたそうにしながらも、ただただかわいい姿を見てた。私もこの一秒一秒をかみしめるように、ご飯を食べた。




 次の日は土曜日で学校も休みだから、私はお姉ちゃんを見送りに、近くのバス停まで一緒に歩いた。

 お父さんもお母さんも玄関先で大泣きしてしまって、とても一緒に来られる感じじゃなかったから、置いてきた。


 甥っ子ちゃんはお利口にベビーカーに座って、道行く車を指さして、ブーブー! と声を上げている。

 歩きながらのスマートフォンの操作は危ないので、会話ができない。でもコウちゃんの様子を見てるだけで楽しい。


 信号を渡れば、すぐバス停だ。信号待ちの間、昨日の彼氏との会話を思い出した。


『最近、事故多いよね』

『ほんと、怖いよね』

『だから、なるべく交差点でも端っこには立たないようにしてて』

『大事だね』


 青信号を渡る。甥っ子ちゃんとももう少しでお別れだ。

 つきたくないな、お姉ちゃんはもっともっとつらいんだろうな。そうしんみり思っていた。


 ――ガンガンガンガンガン!

 突然、どこかで爆音が鳴り響いた。


 どんどん近づいてくる。クラクションの音が響く。


 足を止めて音の方を見ると、白い車が、車線の上を突き進んできていた。赤信号で停止している弾きながら。


 血の気が引いた。暴走車だ。こっちにくる。しかも――

 少し前を歩いているお姉ちゃんを見る。


「危ない!!」

 思わず叫んだ。

 喉がカッと痛んだ。火を噴いたみたいに熱い。


 お姉ちゃんが、慌てて足を強く踏み出したのが見えた。それから、ベビーカーを強く前に押し出す。


 直後、目の前を白い塊が猛スピードで通り過ぎた。お姉ちゃんと私の間を突き抜けていった。

 そしてすぐまた轟音が響く。歩道のガードレールにぶつかって、車の前半分はひしゃげて潰れてた。


 私は震えて立ち尽くしていた。

 何が起こったのか、よく分からなかった。


 暴動なのか、ただの運転ミスなのか。どっちかわからないし、今はどっちでも関係ない。

 お姉ちゃんが、地面に倒れている。どんどん血が流れて、地面に広がっていく。


「お姉ちゃん」

 思わず声が出た。再び喉が焼け付くように痛む。息苦しさに恐怖がよぎるけど、すぐにどこかに行った。そんなことよりも、赤い色が目に焼き付く。

 駆け寄ると、お姉ちゃんは、虚ろな目で空を見上げていた。瞼が震えている。――生きてる。


「救急車! 誰か!」

 力いっぱい叫ぶ。発語するたびに、どんどん傷みが増す。これがあまりにも続くと、やがて喉がはれあがり、呼吸ができなくなるらしい。

 息が苦しいのは、喉の腫れのせいなのか、動揺のせいなのか分からない。


 遠巻きにしてる人たちはうろたえながら、スマートフォンを操作しだした。メッセージを打ってる風な人、撮影してる様子の人。


 女の人がひとり駆け寄ってきて、スマホの画面を見せてくれた。

 パトカーと救急車の絵が表示されて「事故です」にチェックが入っている。位置情報送信済、の文字も見えた。


 他の人が、大泣きしている甥っ子ちゃんに駆け寄って、抱き起こしてくれた。見た感じ、血が出たりはしていない。ベビーカーは車に当たらなかったんだ。倒れた時にどこかぶつけたりしてないといいけど。


「……あの子は」

 お姉ちゃんは、力なくつぶやく。

「コウちゃん大丈夫だよ」

 言った瞬間、涙があふれ出した。


 私は甥っ子ちゃんを助けてくれた女の人から受け取って、 抱きかかえてつれてくる。甥っ子ちゃんは泣きながら身をよじり、「ママ、ママ、ママ」と泣きながら私の腕から逃げようとした。

 涙と一緒に嗚咽が漏れそうになって、懸命にこらえる。


 ――チャンスは残り三回です。

 頭のどこかで、楽しげに声は告げた。笑っちゃう。ほんと、笑うしかない。

 実際にはどれくらい残ってるかもわからないけど、いつもあと三回くらいかも、それどころか一回かもしれないって思ってる。恐怖を抱えて生きてる。この嗚咽で、終わりかもしれない。


 たったあと数回で、何を言えばいいっていうんだろう。何が言い尽くせるっていうんだろう。

 でも、それは私だけじゃない。私の周りの人たち、みんながそうだろう。

 そしてお姉ちゃんが一番、リミットに近い。甥っ子ちゃんにあんなに話しかけていたし。それなのに今も。


「光輝(こうき)」

 お姉ちゃんは、泣いている甥っ子ちゃんに手を伸ばした。真っ赤な血に濡れた手を、小さな手が強く握りしめる。


 しゃべらないで。お願いだから、しゃべらないで。

 私はスマートフォンをタップした。


『黙って!』

 怒ったイラストカードと一緒に、登録してた私の声が叫ぶ。

 お姉ちゃんは、力なく微笑んだ。


「大丈夫よ」

 息子の頬にふれて、姉は微笑む。


 どうせもうすぐさようならだから、と思ってるのかもしれない。でも、それって一時的なものじゃん。ずっとじゃないじゃん。ウイルスがどうにかなったら会えるじゃん。

 今すべてをかける必要ないじゃん。


 ――でも、お姉ちゃんの血が止まらない。

 お姉ちゃんは、吐息のように囁いた。


「大好きだよ」

 言葉を発すれば死ぬかもしれない。

 でも何も言わなくても、もしかしたら死ぬかもしれない。

 それなら、声と言葉を残したいと思うのだろうか。


 救急車のサイレンが聞こえてくる。甥っ子ちゃんの泣き声が響く。

 世界は閉塞感に満ちていて、病気でなくたって、こうやって不意のことが起きる。


『黙って』

 私はお姉ちゃんの手を握って、もう一度イラストカードを見せる。それから震える手でスマートフォンを操作した。


『将来に期待なんでしょ、黙って』

 お姉ちゃんは微笑んで、うなづく。

 唇だけ動かして、「ありがと」と、つぶやいた。

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