第4話―――虎


 監督はホワイトボードから離れると、四人の前に近づいて来て道破どうはした。

 

「今の君らは、レースに選ばさせられとんねん。。いわば。動画配信でようやっとるやろ。とか。あの能面みたく微塵も表情を動かさないスカしたやからどもと同じや。色眼鏡かけて茶髪で細顔でシュッとせんかい」


「茶髪で……細顔?」


 主将であるさとるがついていけないようにしばたたく。

 監督の話は続く。


3200が、君達の所に来てんねん。『どうか金貸して下さい』てな具合にな。それを君らは両肘ついてや、威嚇気味に凝視してこう言うんや。『で? 出走馬のこの距離の経験は? え? ないの? そんなので金貸してくれって舐めてんの? 帰れや。次』てな感じによ」


 にわかに始まった予想外の例えに、四人は置き去りにされそうになり目を丸くした。


3200。最低でも8.5割切るぐらいでのぞめ」


「……はっ……8.5割?」


 一驚いっきょう隅夫すみおの眼鏡がズレる。

 押田は微塵も表情を動かさずに相槌を打った。


「8.5割切っても、480。プロ野球の約3.5倍や」


 すると、押田はジャンパーの内ポケットから電卓を取り出すと、計算を始めた。


「480を12カ月で割ったら、140。1週間で10レース。土日だけ開催やから、15。それでも結構な数やろが。言っておくが、これでも。もっと切ってもええくらい。あれもこれも拾ってるとの方が一瞬で破産に追い込まれるで。家族崩壊の危機も間近や」


 その生々しい言い回しに全員が固唾を呑む。


「その中でも、より。プロ野球でもそうや。来る球全部振ってるような奴はプロでは一切通用せん。


 すると、主将である悟が教えを乞うように手に持っていた競馬新聞を監督に見せながら言った。


「じゃあ、監督。例えばこの阪〇11レース、ダート1400mなんかはどうですか? 一番人気が、1.8


 差し出された紙面を手に取りながら、監督を細めた。考えながら舌で頬を膨らませると口を開いた。


「よう見てみい。人気は高いけど、。しかも3


 すると負けじと、眼鏡をかけた隅夫が詰め寄るようにスマホの競馬アプリを監督に向けた。


「じゃあ、その次の阪〇12レースは? この1番人気も2.3倍とそこそこ。成績も連勝続きで安定してます」


 それに対しても監督は首を縦には振らない。


「よう見てみい。確かに連勝しとるけど、。よってや」


 今度は充が専門紙を見せながらたずねた。


「じゃあ、中〇最終12レースは―――?」


や。メインのレースで負けた奴が。オッズをいろいろと掻き乱しまくって、人気馬の信頼度が下がるわけや」


 すると、主将である悟が何かに気づいたように、恐る恐る質問した。


「ところで監督……。中〇メインレースであるは、流石に賭けます……よね?」


や」


 にべもなく放たれた回答に、四人全員の顔が鼻水を吹き出しそうなくらい唖然となる。

 監督は尚も表情を変えないまま断言した。


「よう見てみい。7。つまりは7頭のどれが来てもおかしくないわけや。7


 それを傍で聞いていたふとしが焦点の合わない目つきでぼそっと呟いた。


「……有〇を賭けないなんて、あり得ない……」


「……ふ、太……?」


 様子が一変した彼に対し、悟が怪訝そうに声をかけた。

 すると、


「一年の総締めくくりだろ! 楽しみを取り上げられて堪るか―――!」


 そう叫喚すると突然、太はポケットから携帯を取り出して、何か操作を始めようとした。

 それを見た押田監督が他の部員達にうながした。


「携帯を取り上げろ」


「……へ?」


 悟の目が一瞬点になる。


「今すぐ早く!」


 その大喝に、思わず太の隣にいた隅夫がその手に持たれたスマホを引っ手繰った。


「取り押さえろ!」


 再び発せられた監督の差配に、太の両側から隅夫と充がその体を抑えつけた。


「離せ―――! 有〇をやらせろ―――!」


 もがく度に太のブヨブヨの体が激しく揺れる。


「有〇やらせろ有〇やらせろ有〇やらせろ有〇やらせろ有〇やらせろ―――! うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――!」」


 押さえていた隅夫の両目が思わず剥かれた。


「しっ……脂肪だらけのふとしの体が、世紀末救世主のごとくムキムキに!」


「はああああああああ―――――――――!」


 次の瞬間、太の着衣が上下下着したぎとともに隆起する筋肉によって残らずビリビリに引き裂かれた。


「どこにこんな力が眠ってやがったんだ、こいつ! 恐るべし有〇欲!」


 目が合った瞬間だった。


 抑えていた隅夫と充は、両腕が広げられたとともに、あっけなく遠くへ吹き飛ばされた。


「ふ――――――」


 深く吐きだした息とともに、背中の筋肉がゆっくりと下降する。


 は、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。


 主将である悟が両手を広げながら、その前に立ちはだかった。


「この先は通す訳にはいかない。主将のプライドに賭けて! こう見えても、俺は中学の時、柔道部に入ってて一応茶帯まで―――べし!」


 セリフを言い終える前に太の拳が悟の頬に直撃し、主将は易々と床に沈んだ。


 生まれたままの姿になった太はおもむろに足を進め、ホワイトボードの前で足を止めた。

 両目が白くなった彼は監督に向かって言った。


「携帯を渡せ」


 何故か、声のトーンまでもが重低音に一変している。


「欲しければ、その手で取り返してみい」


「ほああああああ――――――」


 目から光を放った自身の顔の三倍くらい太い腕が大きく振りかざされ、そのまま一直線に振り下ろされた。


 監督は、鼻先すんでのところで身を屈め、太の拳は背後のホワイトボードにそのまま突き刺さった。

 身動きが取れなくなった太の眼前で、押田はゆっくりと腰を上げた。


「観念せえや」


 そう言い放つと同時に、監督は強烈な右フックを太の頬に直撃させた。


「……!」


 しかし、モロにパンチを食らったはずの太は倒れずに顔を背けたままだ。


 ゆっくりと顏をこちらに向け直すと、彼は怠そうに首をゆっくりと回した。


「コキ、コキ」


 骨を鳴らすや否や、突き刺さった腕を引き抜くと、その隆々とした両腕で押田の体を軽々と持ち上げた。


 まるで弄ぶように自身の体ごと回転させる。


「監督!」


 床に倒れていた悟が顔を上げた。


 空中の旋回により押田の手から太のスマホがすり抜けて地面に落ちた。


 それに気づいたムキムキの太は、監督を右肩に抱えたまま屈み込んだ。

 携帯を拾い、再び腰を上げた。


「俺から有〇を奪うなんて千年早いわ」


 そう呟きながら片手で再びスマホを操作しようとしたその時だった。


「……!」


 右肩に抱えられていた押田監督の体がまるで蛇のごとく回転し、瞬く間にその両腿りょうももが太の首に巻き付いた。


地面に倒れていた悟が思わずそれを見て目を見開いた。


「あ……あれは……まさか」


 両腿と脹脛ふくらはぎだけで形どられたそのピラミッドの中に太の顔が寸分なく収まっている。

 その完全なの当たりにして、離れた場所に倒れていた充と隅夫も思わず声を揃えた。


「幻の、!?」


 宙に吊られた状態のまま、監督は開口した。


「最近、通信教育ウィーキャンでMMA(総合格闘技)を習っとってな。まさか、こんなとこで披露することになるとはな」


「つ……通信教育で、MMA?」


 その言葉に悟の表情が唖然となる。


「……やっぱり才能エグすぎるって……」


 他の沈んでいた二人もそのあまりの迫力に瞠目したまま動けない。


「ふん! ふん! ふん! んんん……! う……う―――ん」


 太は必死に抵抗するが、アナコンダのように強固なトライアングルは全く崩れる事はない。

 顔色がやがて真っ赤に変わると、ついに筋肉隆々の太はその両膝をゆっくりと床につけ、勢いそのままにうつぶせで倒れた。


 またたく間に、まるで空気が萎むように太の体がメタボ体型へと元通りになった。


『タータ、タータ、ターター♪』


 そのファンファーレに思わず全員が部室のテレビに目を向けた。


「有〇記念が無事スタートしたな……」


 一同がそのままレースの全容を見送った。


「あー。やっぱりだ。1番人気、2番人気、3番人気で三連単が540円って。どんだけ配当低いんだよ。賭けなくてよかった……」


 充がホっと胸を撫で下ろした。


 ふと、悟が離れた場所で倒れたままのはずだった太が両膝をついて起き上っていることに気づきビクついた。


「……太、おい? 大丈夫か?」


 傍にいた隅夫が落ちていたスマホを拾い上げた。

 それに視線を落とすや否や、目を丸くする。


「……まさか」


 悟が慌てて、横から携帯を引っ手繰った。


「三連単……各……10……」



 背後から聞こえた押田の声に悟は振り返った。

 監督は、抜け殻のごとく両肩を落としたままうなだれている太を見ながらしみじみと呟いた。


「これが



 帯封ゲットまでの道のりは、まだまだ果てしなく遠い。



                                   完

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馬券監督 須木田衆 @uraban2020

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