第3話―――掛かる魂
「次は君らの番や、見せてみい」
抜き打ちに発せられた
「俺は
「いやいやいや。あり得へんわ」
遮るような監督の一声によって、隅夫は豆鉄砲を食らったように目をパチクリさせた。その隣にいた中途半端な茶髪の
「そうだよ。あり得ないって。総流しなんてかなりの確率でガミるだろ。(※3) 二人とも両極端なんだよ。0か100か。
そう言うと、イキり立つように手に持っていたフリップを得意気に回転させた。
「俺は中穴狙いで!(※4) 5番人気のヨメニコナイカを軸に、相手は1番人気から4番人気までのワイド(※4)を厚めに各1000円ずつで!」
「いやいやいや。せやから違うねんて」
立て続けに発せられた監督の制止によって、意気揚々とした充の自負はあっけなく崩壊した。
監督は言った。
「そもそもや。君らは、なんでこのレースを選んでん?」
一瞬、時が止まったかのごとく部室内が静まり返る。
「……え? ……なんで……って言われても……」
充が思わず口ごもり隣の隅夫を見ると、彼もそのままスルーパスをするかのごとくさらに隣にいた大柄な太の方に視線を送った。
急に目を向けられた太はキョドるように視線を泳がせながら言葉を零した。
「いや……ただ……、
「アホさらせ! 直近のレースやったら全部賭けんのかい!」
唐突に被せられた怒号に、思わず太は肩をビクつかせた。
我慢できないように監督の叱咤は続いた。
「直近って、1レースにつき平均13頭もおんねんで。それらの馬の情報を全部直前で見るって、どんだけ君らはスーパー聖徳太子な頭脳を持ち合わせとんねん」
矢継ぎ早にまくしたてられる関西弁に完全に呑まれるように、部員達は誰も言葉を返せない。
すると、監督は三人が持っているフリップを鋭い目つきで順番に凝視しながら少し語勢を落として言った。
「君ら三人が選んだのは、阪〇芝2200m、阪〇芝2600m、中〇芝3600mと、まぁ……」
「よりによってこんなけったいなレースばかり選んでくれて、ほんまコテコテやないかい? どない思とんねん? おん?」
「け……けったいとは? これらのレースに、何かマズイな点が?」
細身の隅夫が得心いかない様子で反問した。
「マズイも糞もヘチマもあるかい。そもそも、君らはこの三つのレースが年に何回行われているか知っとんのか?」
「え? 何回って……」
咄嗟に充の声が詰まる。
「……そんなの考えたこともない」
太が当惑の声を漏らすと、監督は言明した。
「阪〇2200は年9回、阪〇2600年3回、そして、中〇3600mに至っては、たったの一回や」
「一回……」
主将の悟までもがその場に呆然と立ち尽くす。
「つまりは、データが少なすぎんねん。中〇3600mを選んだとしてや。出走馬の中で、この距離のキャリアがある方が珍しいくらいや。せいぜい、3000mとか2600mの戦績を元に予想していかなあかん。でも普通に考えたらわかるやろ? 3000と3600mやで。全く違う競技やん。人間で言うたら100m走と400m以上の違いがあるわけや。あの伝説のスプリンターである陸上選手、ウ○インボ〇トに400mリレーの距離を一人で走れって言うとるのと同じやで。普通に筋肉引きちぎれるって」
自身のふくらはぎを抑えて痛そうなジャスチャーをすると、監督はさらに続けた。
「で、結局最後は何で選ぶかって言うたら、あてずっぽうや。『なんか、この馬来るような気がする?』って。何やねん? その『気がする』って? 誰か遠隔操作でこっちに気でも送っとんのかい? おん?」
部室内がシーンと静まり返り、四人とも虚脱状態に陥ったままだ。
監督は一人一人の目を見据えながら訓告した。
「もうちょいレースを選ぶことに慎重になれよ。必死にバイトで汗水流して稼いだ給料やろが。それを『直近やから』とか、『気がする』とかいう鼻糞みたいな根拠だけで賭けるなんて、
次から次へと畳み掛けられる正論すぎる見解に対し、四人とも完全に返す言葉を失ったままだ。
「みんな競馬を高校野球の甲子園やと勘違いしとる」
「こ……甲子園?」
急な話の転換についていけないように、隅夫が戸惑った様子で目を細めた。
監督は小さく相槌を打った。
「甲子園は、一度でも負けたら三年生は全員引退や。だからこそ、全身全霊を注いで全力投球をする」
まだ話の意味が読めないように充が
監督は言い添えた。
「それを競馬に当てはめてみい。末恐ろしいわ」
ようやくその意図に気づいたかのように、主将である悟が顔を震わせながら言葉を零した。
「……一度切りのチャンスだからと……全財産をぶっこむ」
いたたまれないような表情で首をゆっくりと横に振ると、押田は吐息混じりに呟いた。
「なんでそんな愚かな事すんの? 教えてほしいわ。さっきも言うたけど、競馬に勝ってる人間の割合は、たったの五パーセントやで」
突然、監督はゆっくりと歩み始めた。
部室の隅の方で手つかずに放置されたままのホワイトボードの前で立ち止まると、
それを見た隅夫が不可解そうに読み上げる。
「……3200?」
すると、監督は全員に向かって声を張った。
「まず聞きたい。なぜ、この
何度か
「そ……そりゃ、ピッチャーでしょ! あの制球力抜群の新人王投手。その後を繋ぐ若手のリリーフ陣。そして、最後を締めくくる不動の守護神の
「それもそうやが、他にある」
監督がにべもなく返すと、隅夫に触発されたように充も答えた。
「いやいや! 何といってもあの切れ目のない打線でしょ! 下位打線の安定感が半端ない」
「それもそうよ。でも一番の理由やない」
そう言うと、監督は低い声で言い放った。
「それは、ファーボールの数や」
あまりに予想外の答えだったのか、四人共が呆けた表情になる。
監督は新たにボードに、三桁の数字を二つ書き、それをペンで軽く叩きながら詳説した。
「去年は305。今年は455。150も違う」
さらに監督はさっき書いた『3200』の隣に、新たに三桁の数字を書いた。
それを見た主将の悟が眉を顰める。
「……143?」
監督がマーカーのキャップを両手ではめ直し、それをホワイトボードの溝に軽く放り投げると、カチャっという音が鳴り響いた。
押田はその並べられた二つの数字を指で交互に差した。
「143はプロ野球ペナントレースの年間の総試合数や。それに比べて、競馬は3200もある」
「……そ、そんなにあるの?」
太が思わず唾を呑み込む。
今度は深く頷くと、監督は断言した。
「つまり、チャンスはいくらでもあるわけや」
部員達は四人共、狐に包まれたように茫然としたままだ。
監督はボード前の机に両手を突きながら諭すように言った。
「君らが、もし一回きりの
そのシニカルな表現に、主将である悟の表情が引き
監督は鋭い目つきを再び部員達に向けた。
「そうじゃなしに、年間通して定期的に勝負を続けていくのであれば、『選手』になれよ。プロ野球であれば、相手の弱点や長所を頭に叩き込んでバッターボックスやマウンドに立つのは最低限の常識やで」
突然、押田監督はボードに
「バン!」という音とともに、部員達は目を覚ましたように肩を竦める。
押田は言った。
「ファーボールの達人になれ。捨てレースはとことん見切って、逆に甘い球が来たら逃さず思い切って振り抜くんや。チャンスが来るまで、じっと構えろ。儲け儲けと前のめりになりそうな自分を必死に宥めながらな」
監督はさらに付言した。
「一番掛かってるのは、馬ではなく君ら自身や」
続く
※1 馬連……1着、2着の組み合わせを当てる馬券。順位不問。
※2 総流し……ある馬を軸にして、他馬全てとの組み合わせを買うこと。
※3 ガミる……トリガミのこと。トリガミとは、的中したにも関わらず結果マイナス収支になること。
※4 中穴……大穴と比べ配当金が少ない穴のこと。馬連で2000円くらいの配当。(
100円賭けて2000くらい戻ってくる)
※5 ワイド……3着以内の馬を二頭当てる馬券。順位不問。
※
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます