職質

遠藤

第1話

お店の閉店作業を終え、疲れた体を車に放り込むと、車内の時計は午前1時を指していた。

お店に泊まるという選択肢もあるが、できる限り自宅の布団で日々の疲れを取りたかった。

溶けてしまいそうな体に鞭を打ち、自宅に帰るためにもうひと踏ん張りとアクセルを踏み込んだ。


しばらく走ると、赤色灯を焚いたパトカーが後ろから呼び止めてきた。

「運転手さん、左に寄って止まってください」

いきなりでドキッとしたが、シートベルトもしているし、スマホで通話をしていたわけではない。

やましいことは何一つなかったが、やはり警察に止められるのはどうも気持ちが良いものではなかった。

ウィンカーを出して左に止めると、警官がパトカーから降りてきて、運転席側の窓をコンコンと叩いた。

それに答えて窓を開ける。


「お忙しい所すいません。只今交通安全運動期間でして、お声がけさせていただいております。お手数ですがご協力お願いいたします」


これは飲酒の取り締まりだなとわかり、正直面倒だなと思ったが、抵抗すればますます長くなると思い、快く承諾する体を装った。

「どうぞ」

警官は顔を近づけつつ言う。

「お出かけですか?」

私は面倒な顔を隠しつつ、早く終わるよう協力的に答える。

「仕事終わりで、家に帰ることころです」


「ご自宅は近いのですか?」


「まあ、車で10分位ですね」


「それでは、私に向かって息を吐き出してもらえますか?」

「はーーーー」

警官に向かい勢いよく息を吐き掛けた。

すると、吐き掛けられた警官はもう一人の警官に向かって何か合図を送る。


まあ、時間も時間なので、飲酒を疑われるのはしかたがないだろうとは思う。

しかし、私はお酒が飲めない体質なので何もやましいことは無く、変な言い方だが、ある意味期待外れで申し訳ないという気持ちになった。


「ちょっと危ない物無いか、車内見させていただいていいですか?」


「はい?」

正直今すぐ帰って眠りたくて、もう我慢して相手するのも疲れてきていた。


「見せないと駄目ですか?」

少々語気が強くなる。


「ご協力お願いします」


もう一人の警官が助手席側の窓から、ライトを照らして見ている。


「ふー、どうぞ」

ため息を一つすると助手席側の鍵を開けた。


「お手数ですが降りてきていただけますか?」


何でもいいから早く終わってくれという気持ちで素直に動く。


隅々まで車内を見られ、これで終わりだろうと思っていた。


「旦那さん?ちょっといいですか?」


車内を物色していた警官が呼んできた。


一瞬ドキッとしたが、絶対にやましいものなどあるわけがない。


警官に近寄ると後部座席にあったお菓子の袋を持っていた。


「これは旦那さんのものですか?」


「えっ?まあ、そうですが。お菓子ですよ、それ。普通の」

どうしても耐えられず、ちょっと小馬鹿にしたような笑みが漏れる。


警官は厳しい顔つきになっていた。


「すいませんが、パトカーの後ろに乗ってもらえますか?」


「はあ?」

あまりの驚きに、思わず素頓狂な声をあげる。


「何も悪いことしていないのに、こんなに協力だってしているのに、なんで、なんで俺がパトカーに乗らなきゃいけないの?もう勘弁してよ」


「旦那さん落ち着いて。もう出ちゃってるんだから」


「へ?出てるって?何が?何もあるわけないじゃん。嘘つくなよ!何があるんだよ」



「今から全部説明するんで、ここじゃ落ち着かないからパトカーの後ろに乗って聞いてもらえます?それとも何かやましいことでもあるのですか?」


「はあー、もう面倒臭いな」


怒りと呆れの中、荒々しくパトカーの後部座席にドカッと座った。

続けて、横に警官も座る。

まるで逮捕でもされたような感じに最悪な今日という日を呪った。

運転席に座った警官が振り向くと聞いてきた。


「旦那さん今日、歯、磨きしました?」


「はい?まあ、朝磨いたはずですが。それが何か?」


警官は冷静に問いただす。

「一日何回歯磨きしています?」


「いや、2回位は磨いてるはず」


「夜、ちゃんと磨いてますか?」


「まあ、極力磨くようにはしてます」


「最近歯医者行ったのいつです?」


「え?いつだろう・・・てか、何か関係あるの?」

さっきから何を質問しているんだとの思いが爆発しそうになる。

もしかしたら、この警官たち偽物なんじゃないかとの思いも募ってくる。


「旦那さん。正直に言おうよ。歯が痛いとか、沁みるとかあるでしょ?」

それでも警官は冷静沈着に質問を投げかけた。


「・・・」

正直もう素直に答えるのに疲れていた。

これは誰かの嫌がらせなのか、はたまたテレビのドッキリとかなのか知らないが、何にしても、ただ疲れた体を休めるため、無理してでも家に帰ろうとしただけなのに、なんでこんな酷い仕打ちにあっているのだろうとの思いが沸き上がり、だんだんと泣きたい気持ちになってきた。


警官は優しく問いかける。

「旦那さん。こんな時間までお仕事でだいぶお疲れでしょ?我々も早く終わらせて旦那さんには一刻も早く休んで欲しいと思っているんですよ。素直に答えてもらえればすぐに終わりますから」


考える力を失い、何を質問されたのか、何を答えればいいのかわからなくなり何もできず黙っていた。


「歯ぐきから血が出たりしてるでしょ?」


ああ、意味のわからない歯のことを聞かれていたんだとやっと思考が追い付く。


「・・・そんなことも、あったかも」


「でしょ?旦那さん自分の口で言ってもらえる?お巡りさん、匂いですぐわかったから」


すっかり弱った状態で考える力を失っていたが、何とか質問の意図を探る。


(匂いってなんだ・・・匂うもの食べたかな。歯ぐきの血、歯医者、歯磨き・・・もしかして虫歯?)


だんだんと思考が戻ってくる。

「え?もしかして、虫歯ってこと?」


警官は最後の詰めにかかる。

「間違いないよね?」


「いやー、歯医者行ってないからわからないけど、歯磨きした時にたまーに血が出たりとか」


警官は急いで無線で連絡をする。

「至急、至急。現在口腔事犯疑いによる職質中。一部認めあり。至急応援願います」


数分後、数台のパトカーと覆面パトカーが到着。


覆面パトカーから降りてきた私服の刑事が試験薬の説明を始めた。


「この試験薬を歯に塗っていくんで、ピンクの色が残ったら歯垢が着いているということですから」


完全に思考停止の中、あれよあれよ流れ作業で何かが進んでいく。


紙コップの水で軽くゆすぐと指定の容器に吐き出した。


「口を開けてもらえますか?はい、あーん」


口を開けた私を見て、刑事はすぐに手鏡を差し出した。


「見て旦那さん。付いてるね。ピンクびっしり。間違いないね?」


何だかよくわからないが、段々マジでやばい状況になってるんじゃないかと怖くなってきた。


「いやいやいや、よくわからないですよ。何?虫歯だとまずいの?逮捕されるの?そんな馬鹿な。もう帰りますよ」


「だめだめだめ、もう出てるから。このあと署に行って詳しく検査するから」


「なんで?なんも悪いことしてないでしょ!こんなの違法でしょ!」


刑事は落ち着いて語りかけた。


「旦那さん。虫歯放置しておいてそんな言い草ないでしょ?旦那さんだって家族居るんでしょ?虫歯がどれだけ家族を悲しませるかわかってるでしょ。自分の子供に虫歯ぐらい放っておけって言えるの?ダメでしょ。模範となるべき大人がそんなんじゃ、子供に悪い影響与えちゃうから」


何のことなのか、本当に意味がわからなかった。

というか、自分が知らないうちに世の中はこんなルールになっていたのかとも思った。

朝から晩まで仕事漬けで世の中に関心を持たなかった自分を悔いた。

もう抵抗する気力も無くなった。

大人しくパトカーの後部座席で小さくなり署まで連行されることとなった。


道中、隣の警官が話しかけてきた。

「あのチョコのお菓子、甘くて美味しいもんね。ついつい仕事終わりに食べてたんでしょ?私も大好きですよ。私は甘党なので甘い物に目が無いのですが、仕事上がりの疲れた時に、あの甘さが、もう堪らないですよ」


疲労と眠気とよくわからない出来事に、警官の話をぼんやりと聞いていた。

(ああ、あのお菓子か。あれ俺が食べたものだったかな・・・。まあ、どうでもいいか)


その後署に着いて詳しく歯の検査を行ったところ、奥歯2本の虫歯が確認され逮捕となった。

その後検察に送られたが、やっぱり不起訴処分となった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

職質 遠藤 @endoTomorrow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ