竜子、鏡中に映すは

武江成緒

竜子、鏡中に映すは




 その鏡を開けてはいけない、見てはいけない、のぞきこんではいけないと、祖父からさんざん言われてきたし。


 古い家のその奥の、暗くて湿気てほこりだらけの部屋のその奥にうずくまってた、さらに古くて物々しい鏡台なんて、近寄りたくもなかったのに。


 冒険気分で走りまわる弟のその背中を、姉の義務感におされて追っかけてるうちに、あの暗い部屋に踏みこんでて。

 ためらいもせず弟がとびついたその鏡台は、ぎぃ、とだけ鳴いて大きく開き。

姉弟の目に、その鏡面をさらけ出してた。


 鏡のなかには、ドラゴンみたいで、鳥みたいで、どっちともつかないやつが、目をきらきらさせてへばりついてて。

 その後ろには、いかにも鈍くてとろそうな、へしゃげた亀みたいなやつがマヌケ面して立っていた。




――― あれは『リュウソウキョウ』ちゅうてな。


 ともったいぶって語りだした長ったらしい祖父の話は、腹のたつことに、頭のなかに有無を言わさず刻みこまれた。

 それだけショックだったんだ。あの鏡、というよりも、鏡にうつった、あの、ペシャンコの亀みたいな化け物は。


 まあつまり、映ったものの性質を映しだす鏡。

 おとぎ話にでてきそうな、そんなアイテムが、祖父の家にはしまいこまれていたらしい。


 その性質は、龍の形で鏡に映しだされるらしい。

 とはいっても、龍、と言われてまず思い浮かぶ、あんな立派なすがたで映る人はよっぽど天才というか大物らしくて。

 ほとんどの人は、龍というより、その親戚筋みたいな怪物のすがたになって映るらしい。


――― じゃからな、佳奈、翔太。

    おめえらが龍のすがたで映らんでも、そないに落ちこむこたぁねぇ。


 べつに龍のすがたで映りたくなんかないんだよ。

 でも、あれは、あんな姿はあんまりじゃない。


――― 『リュウセイキュウ』ちゅうてなぁ、龍が生んだ霊獣たちが、大陸のふるい書物にかかれとるそうな。


 それは、お城やお寺なんかによくある、魔除けや飾りの動物たち。

 あれは実は龍の子たちで、それぞれ名前がついてたらしい。




――― 翔太、おめえのあの姿はな、チョウフウ じゃ。


――― うおぉぉぉ、かっこいぃー!


 その名前のどこにかっこいい要素があるのかわからないけど、とにかくあの子はそう叫んだ。

 とにかくそいつは、普通の龍より鳥に似てて、屋根のひさしの先っぽに魔除けとして飾られるらしい。

 なんでそんなとこに飾られるのかっていうと、『風をあざわらう』という名前を読んで字のごとし。危険が好き、けわしいところが好きだかららしい。


――― バカは高いところが好きって言葉、あったよね。


 うれしそうに大騒ぎする弟の声におされて、そんなことは言えなかったけど。

 とにかくまあ、ベランダの隔板こえておとなりのベランダにまで侵入したり、横断歩道は青でとまって赤になったら渡ろうとして、毎回さんざん𠮟り飛ばされるこの子にたしかにぴったりだって、納得させられてしまった。




――― そんでな、佳奈。おめえ贔屓ヒキじゃ。


 ヒキガエル。

 そんなものを連想させる名前とあの姿とに、私はもう打ちのめされてた。


 ヒキガエルじゃなくカメだってこと、『贔屓ひいきの引き倒し』って学校でも習ったことわざの元になった生き物だって、祖父はやたらていねいに教えてくれた。

 あれ、なぐさめてるつもりだったのか、そうだとしたら祖父の本性はよっぽど莫迦ばかで無神経な霊獣だったんだと思うよ。


――― このまえお寺にいったとき、石の亀が柱をささえとったじゃろ。

    あの亀さんが贔屓ヒキさんじゃ。


 重いものを背負うのが好きだっていうヘンタイみたいな生き物で、柱とかの土台に彫られるものらしい。


 こんど中学にはいっても、もっと大きくなってからも、私はずっと重いものを背負う日々になるのかな。

 下をむく私の耳に、興奮のあまり窓から飛び降りようとする弟と、それをあわてて止めようとする祖父のさわぎ声がわんわん響いてた。






 あの予感が当たったのか、あんな予感を、鏡像イメージつきで持っちゃったのが悪かったのか。


 中学から大人になるまで、学校、仕事も、友達づきあい、そして恋愛も。私のえらんだことは大体、問題だとかトラブルだとかがのしかかってきた。

 いちばんの親友は高校のとき、犯罪まがいに巻き込まれかけた。大学は就職シーズンになっていきなり不祥事が相次いで、私の進路にのしかかってきた。そしてなんとか入った会社は世界的大不況の直撃うけて沈みかけた。


――― でも佳奈は、何があったって逃げないよな。

――― 目ざましく働くわけじゃないんだけど、黙々、まじめに取り組んで、トラブルが根負けするまでがんばり続ける。

――― だから佳奈はみんなから柱みたいに頼られてるんだ。


――― なにが頼りよ。他人ひとごとみたいに言ってるけど、あんたがお人よし過ぎるせいで、どんだけ苦労させられたか。


 そうは言っても、苦しかったと言い捨ててしまうことができないような、そんな思いがいつもどこかに湧いていて。

 今となっては夢かうつつかわからない、あの鏡のなかのペシャンコの亀も、そこまでイヤな恰好でもなかったな、と思うときもある。




 弟は、屋根のひさしに登りつめて、そこから乗り出て、消えた。


 失敗したがってるんじゃないか、そう思うくらい無謀なチャレンジを続けて、ほんとうに失敗しても、あのときみたいに目をきらきらさせていて。

 世界でも知られた大学へ飛びこみ、航空機のベンチャー企業の創立メンバーになった弟は、開発中の機体の実験飛行に参加して。

 風をわらって舞いあがって、そのまま地上へもどらなかった。


――― バカは高いところが好きって言葉、あったよね。


 そう思うと、目と鼻の奥がまだじんとして来てしまう。それでもあのバカな子を、忘れようとも思えないし、どこまでも怒ることもできない。




 風が吹く。ちりんちりんと風鈴がなり、ベビーベッドからは、きゃっきゃ、と笑い声がする。

 あの鏡に映ったら、この子はどんな姿になるのか。

 見たいような、怖いような、そんな思いを呑みこんで、私はそっと窓をとじる。


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竜子、鏡中に映すは 武江成緒 @kamorun2018

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