ただひとつの

幸まる

髪飾り

※ 架空の世界での物語ですので、年中行事や宗教観は現世界と異なります。


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ハイスは、領主館の厨房で働く、製菓担当の料理人だ。

普段は深夜に一人、静かな厨房で仕込みをするのを好む。

いや、下働きのサシャが手伝うこともあるので、二人のことが多いだろうか。


しかし、最近の厨房は、深夜でも何人もの人が働いている。

特に、新年まで後三日という今夜は、まだオーブンの火も落としていなかった。



新年には、貴族が来客に祝菓子を振る舞う慣習がある。

二口、三口で食べ切れる程度の小さな焼き菓子だが、バターに卵、そしてアーモンドの粉をふんだんに使った、とても贅沢な菓子だ。

時折、飴がけされた丸ごと一粒のアーモンドが入っているものがあって、それに当たると今年の運気は良いものとされる。


数百という量を準備するのに、ハイス一人では勿論間に合わない。

そこでこの数日、ベーカリー担当料理人のオルガをはじめ、見習い料理人も含めて、多くの手を借りて菓子を仕込んでいるのだった。




「それにしても、クラウディアお嬢様はお美しくなられたもんだな」

「ああ、もうすっかり大人っぽくなられて、奥方様と並ぶと眩しい程だ」


料理人達が話しているのは、領主の娘のことだ。


領主には五人の子供がいるが、上の三人は寄宿学校に入っており、今年の教育課程を終えて先日帰郷した。

クラウディアは第一子の長女で、15歳。

その顔立ちは、美女と称される領主奥方によく似ていて、気立ても良い。

来年成人を迎えれば、彼女を妻にと望み、多くの縁談が舞い込むことだろう。


「髪を下ろして着飾るお姿を見られるのも、今回限りかぁ。次にお帰りの時は、大人の装いだな」


料理人の一人が、粉を払いながら名残惜しそうに言った。


貴族の娘は、成人を迎えれば、人前では髪を結い上げるのがしきたりだ。

少女らしく髪を下ろして、新年の宴に彼女が姿を見せるのは、これが最後になるはずだ。



「ハイスはいいよなぁ。聖夜の晩餐で、直接デザートを褒められたんだろ?」


話を向けられて、ハイスは手元に向けていた視線を上げ、苦笑いする。

神が世界に生と愛をもたらした夜を聖夜と呼び、その日の晩餐は特別だ。

今年はそのデザートを、ハイスが仕上げた。


「呼ばれたのは俺だけじゃない。それに、褒めて下さったのは領主様と奥方様だよ」

「でも、お嬢様を間近で見られただろう」

「まあ、見たけど……。あ、サシャ、今日はもうそこまででいいよ」


少し離れた作業台で粉を計量していたサシャは、ハイスに言われて手を止めた。

この場にいる下女はサシャ一人で、今は計量を任されていた。

職人でないサシャは、菓子を作る作業は出来ない。

材料や道具の準備、計量、洗い物や片付けなど、雑用の為にここにいる。


「……他にすることはありますか?」

「後は俺達で大丈夫だから、もう休んで。今夜も助かったよ。ありがとう」


他に人がいる手前、敬語で問うたサシャに微笑んで、ハイスは礼を言った。

サシャは黙って俯くと、ペコリと皆に挨拶をして厨房を後にした。




オーブンの熱で温まっていた厨房を裏口から出ると、雪が薄く積もっている外の冷気に、サシャは身を縮める。

一度振り返って、深夜の厨房の扉を見つめた。


……ハイスと二人だけの、大事な時間なのに……。

そう考えてしまって、ぷると頭を振った。


ハイスは、サシャの恋人だ。

今年の秋に想いを伝え合った。

生まれて初めて、側にいたい、いて欲しいと思った男性ひと


両思いになれてからの深夜の手伝いは、以前よりもずっと楽しいものだ。

特に今までと変わったことはしていない。

ただ、手伝いながらふと目が合う瞬間。

何気ない会話で楽しそうに笑ってくれる時。

「内緒だよ」と味見をさせてくれる時のウインク。

何もかもが、胸を温めてくれる特別なものになった。



寒風がサシャの髪を揺らす。

無造作に後ろで一つに括られた、栗色の髪。


平民の女性は、成人しても髪を結い上げなければならないという決まりはない。

だからサシャは、ずっとこうして一括りにしている。


サシャは揺れる髪先を、恨めし気に睨んだ。

たいしてきれいな色でもなく、真っ直ぐな、特徴のない髪。

緩やかに結い上げて、美しい髪飾りを飾るようなことは、一生縁のない髪だ。


正直に言えば、物語のお姫様のように、美しく髪を結い上げてみたいという憧れはある。

しかし、髪を結い上げても、着飾るようなドレスもなければ、化粧だってしたことがないのだ。

それに、そんなものは、どうせ自分には似合わないと分かっている。

ただ、ハイスはどう思っているのだろうと、それが気になった。


彼もやはり、クラウディアお嬢様をきれいだと思っているのだろうか。

美しく着飾った女性を見て、甘く溜め息をつくのだろうか…。





次の日の夜も、そして今年最後の今夜も、やはり厨房は日付が変わるギリギリまで忙しく、サシャはハイスと二人きりになる時間を持てないまま、深夜に新年を迎えた。




コン、と扉を小さくノックする音が聞こえて、冷たいベッドに横になろうとしていたサシャは立ち上がる。

同室の下女エルナは、隣のベッドでよく眠っているようで、動かない。


そっと扉を開ければ、女料理人のオルガが立っていた。

さっきまで厨房で一緒に働いていた彼女は、申し訳無さそうに笑んで、小声で言う。


「眠るところだったのに、ごめんね。どうしても、ハイスが今夜中にあなたに会いたいんですって」


悪いけど行ってあげて、とオルガが外を指した。




サシャが肩掛けを巻き付けて外へ出ると、雪が降っていた。

宿舎に戻ってから降り始めたのだろう。

その雪の中、女性用宿舎から随分離れた場所で、ハイスは小さな箱を持って立っていた。

彼はサシャを見て、嬉しそうに微笑む。


サシャは駆け寄って、ハイスの肩に積もり始めている雪を払った。


「風邪引いちゃうわ。どうしたの?」

「ごめん、朝になったら、二人きりで話す時間はないから……」


年始も忙しい日が続く。

二人で話すには、この時間しかない。


差し出された小さな箱を、サシャは受け取ってハイスを見上げた。

開けてみてと小さく囁かれ、言われた通りにそっと開ける。



中には、新年の焼き菓子がひとつ。

その上には飴細工が置かれてある。

黄銅色の艷やかな髪飾りティアラだった。



飴細工これ、聖夜のデザートに乗せたんだ。どうしても、サシャにもあげたくて……。あ、ちゃんと料理長に許可は貰って作ったから、安心して食べて」

「……違うわ」

「え?」

「デザートに乗せていたのは王冠クラウンだったでしょう?」


サシャは、聖夜にハイスが仕上げたものを見た。

あの夜デザートの上に乗っていたのは、光弾く王冠クラウンの飴細工だった。


ハイスは少し照れたように笑う。


「だって、サシャは俺にとってお姫様だから」




両手に持った菓子を見つめ、涙を溜めたサシャに気付き、ハイスは慌てた。


「サシャ、どうしたの」


サシャは顔を上げて、微笑んだ。


「嬉しくて……」


途端に、ハイスに抱きしめられた。


「……いつかちゃんと、本物の髪飾りを贈るから」

「ううん、これがいい。これがいいの」



きれいな髪飾りなんて、ずっと縁のない生活だった。

これからもそうなのだと思っていた。

でも、私には、こんなにもきれいな物を贈ってくれる人がいる。

毎日忙しくて、目の下に隈を作っているのに、私の為だけに作ってくれた、心のこもった贈り物。


世界にただひとつだけの、特別なものを。


「ありがとうハイス、大好きよ」

「サシャ…」


雪が舞う中、二人はそっと顔を近けた。




新しい年を、大切な人と迎える喜びを。

その掛け替えのない喜びが、どうか当たり前に世界中に広がりますように。


サシャの手の中で、髪飾りティアラはキラキラと輝いている。




《 終 》





        

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