20.それで、俺に用っていうのは?

 夕焼けに染まる空の下、エクトルは粗末な木の椅子に腰掛け、前に座る村長をじっと見据えた。村長は土埃にまみれた古びたコートをまとい、深い皺を刻んだ顔をさらに険しくして口を開いた。


「トルビン一家の件は、本当に助かったよ。ありがとう」

「いや、軽はずみな行動だったと反省している。村に無駄な被害が及ばなくてよかったよ」


 エクトルは苦笑いを浮かべた。


「それで、俺に用っていうのは?」

「うむ……じつはな、隣村に行ってほしいんだ。荷馬車の護衛を頼みたい」


 エクトルは少し驚いた表情を浮かべ、眉を寄せながら問いかけた。


「隣村に? どうして俺なんだ?」


 村長は小さく息をつき、頷きながら続けた。


「残念だが、兵士たちには頼れん……。あんたが腕が立つことは、昨日のトルビンの一件で村中に知れ渡った。あんた以上に頼りになる者は、この村にはおらんよ」


 その言葉に、エクトルは鋭い視線を村長に向けた。

 村長はその視線をしっかりと受け止め、落ち着いた口調でさらに説明を続ける。


「明朝、ハンスが隣村まで荷馬車を出す予定だ。向こうの村と物々交換がある。普段なら問題ない道中だが、最近少し物騒でな」

「賊や魔物が出るのか?」

「賊は出たことはないが、魔物はたまに出る。——とはいえ、若い者でも倒せる程度のものだ。しかし……」


 村長はうんざりした様子で少し顔をしかめ、言いにくそうに続けた。


「最近、妙な噂が流れている。ナイトシェードがこの近辺に潜んでいるかもしれない、とな」


 その名を耳にしたエクトルの眉がわずかに動いたが、動揺を表に出さず、静かに村長の話を聞いていた。

 村長はエクトルの反応を伺いながら、さらに言葉を重ねる。


「もちろん、ナイトシェードが実際に出たという確証はない。だが、備えあって損はないだろう。どうだ、引き受けてくれるか?」


 村長の重い問いが消えると、エクトルは黙り込み、思案を巡らせた。

 護衛という響きが、自分の過去とその影を思い起こさせる。もし引き受ければ、村人としての立場を保つことはますます難しくなるかもしれない。


 だが、断る理由もない。ここは賢明に受けておくべきだろう。

 やがて、エクトルは少し肩の力を抜き、軽くうなずいた。


「……ロイドさんが一日、畑仕事を休んでいいと言ってくれるなら」


 その静かな言葉に、村長は安堵の色を浮かべ、力強く頷いた。


「ありがとう、エクトル。ハンスもあんたと一緒なら安心するだろう。——では、荷馬車は明日の早朝に出発するから、村の南口に来てくれ」


 村長が立ち上がり、去ろうとしたとき、エクトルはふと思い立って口を開いた。


「……一つ、訊ねていいか?」


 エクトルは村長の話にじっと耳を傾け、思わず静かな疑念を抱いたまま目を細めた。


 ミリーナの周りで起きた不思議な風、そして村長が精霊を信じるかと訊ねたこと——。


 それらがひとつの糸で繋がっているのかもしれないという予感が、彼の胸の奥で静かに膨らんでいく。


「ミリーナと、精霊の関係だ」


 村長は一度視線を逸らし、しばし黙り込んだが、やがて重い溜息をつき、なにか決意を固めたように再びエクトルの方を見据えた。


「……ルニエ村には、かつて精霊信仰が根付いていた。祖父の代までのことだがな……北の森の奥、大樹の前で村人が集い、平和や豊作を願って精霊に感謝を捧げる祭りを毎年開いていたそうだ」


 村長の言葉には、どこか懐かしさと哀しさが滲んでいた。

 エクトルは神妙な面持ちでその言葉を受け止め、さらに続きを促すように黙って頷いた。


「だが、ある日、王国の兵士がやってきて、この村を王国の領土に組み込んだ。精霊信仰を『邪教』とみなしてな、大樹を切り倒し、村人たちの信仰を禁じた。村人たちは抵抗したが……無力だった。それ以来、精霊の祭りも消え、大樹も忘れ去られた」


 村長は遠い目をしながら話を続けたが、そこには深い悲しみが宿っていた。

 しばらく沈黙が流れたのち、エクトルはふと疑念を抱き、さらに問いかけた。


「それで……ミリーナと、その精霊信仰がどう関係する?」


 村長は一瞬ためらい、言いにくそうに口を開いた。


「……確かなことは誰も知らん。だが、ある日、北の山へ山菜を取りに行ったマーゴが、大樹の切り株のそばで泣いている赤子を見つけたという。薄い銀髪に透き通るような肌の子供だったそうだ」


 その言葉に、エクトルの表情が一瞬固まった。そして静かに問いを重ねる。


「それが……ミリーナか?」


 村長は複雑な表情で頷いた。


「そうだ。——それから、マーゴは叔母と偽ってミリーナを育てた。両親は流行り病で亡くなったと伝えているが、本当の両親がどこにいるか、生きているのかさえわからん。精霊信仰とどう結びつくのかもわからんが……」


 そう言い終えると、村長は背を向け、なにかを悟らせるように淡々と続けた。


「……ミリーナは幼い頃から、他の者には見えぬものを見たり、感じ取ったりしていた。精霊の気配に触れているかのような、そんな力があったんだ。——わしが知っているのは、それだけだ」


 それ以上話すことはないとでも言うように、村長は軽く頷き、家の戸口へと歩み去っていった。


 エクトルはその背中を見送り、ふと北の森の奥深くに思いを馳せた。

 村長の話が本当ならば、ミリーナの存在そのものがこの村のかつての信仰と深く結びついているのかもしれない。


(精霊とミリーナ……もしそれが本当なら、あのおかしな風は、精霊の力ってわけか?)


 エクトルはふとその考えを振り払うようにして、再び椅子にもたれかかり、遠くの夕空に視線を投げかけた。

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2024年12月19日 20:00
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あるいは厄災という名の魔女 白井ムク @shirai_muku

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