第5話 綺麗なバラの茨さん

 今回は、一体いつから私は女の子が好きだったのだろうか、という話をしようと思います。女の子という生き物が好きだと認識したのは果たしていつだったのか。


 小学生にとっては、保育園が一緒だったというのはかなりとても重大な意味を持つもので、私には保育園が一緒で小学生になっても仲良くしていた友達が二人いたのだが、低学年から中学年まで、なにかというと三人で遊んでいた記憶がある。


 当時は今よりもっと、女の子とか男の子、とかいう偏見がましましで、お人形遊びをしない女子は異端だったし、チャンバラをしない男子はちょっと心配されるような時代であったように思う。


 私は幼いころから模倣の遊びが非常に苦手で、人形で遊ぶことのなにが楽しいのかまったくわからず、ままごとで気持ちの悪い高い声で母親を演じている子供が嫌いだった。というより、女という生き物が苦手だったので、女の子らしいとされる遊びは一切御免被りたかった。私は男の子になるのだから、そういう遊びとは一生無縁だろうとも考えていた。


 半袖短パンで外を走り回ったり、木に登って雄叫びをあげたり、探検といって見つけた素晴らしい隠れ家に秘密基地を作ったり(あとから知ったがその場所は新築マンションのゴミ捨て場だった)していた。


 当然、仲良くしていた三人組もこぞってそういったタイプだった。女の子なのに男の子みたいな遊びをして変! という女の子はその時もうすでに存在していたが、本当に意味がわからない生き物だな、と思いながらただ眺めていたように思う。


 三人組の内訳を発表しよう。


 そのうちの一人は、ちょうド級の金持ちの家の子で、城に住んでいた。城というのは西洋の城ではなく日本の城である。小さい頃は行くたびに「城じゃねえか!」と思っていたが、大人になって通りかかっても「城じゃねえか!」と思う。それくらい本当に大人サイズにでかい。


 仮に名前をマミとしよう。マミの家の庭は私の家が二つは入ろうかというくらいの大きさで、マミはそこでよくバク転をしていた。私の記憶する限り、バク転ができる友達はマミだけである。マミの家はまじで広く、すべてのゲーム機、すべての漫画が揃っていて、家の中でかくれんぼをしたり、ダンボールハウスを廊下に作ってそこであさりちゃんを読んだり、地下でローラーブレード鬼ごっこなどして遊んでいた。マミの家の楽しさについては、これもまたなんらかのエッセイで語ろうと思う。


 マミの肌は日に焼けてこんがり黒く、運動神経の塊で、どんな場所でも飛び移っていけるので、私達の切り込み隊長はいつもマミであった。あまりに運動神経が飛び抜けていて、そんな場所に行けるか! というようなことも度々あった。陽気で闊達なマミは中学になってちょっと会わないでいる間にメガネを掛けてヲタクになっていた。


 もうひとりは黒船のごとき新たな文化を取り入れて我々に紹介してくれる、アズサである。そういえば、私は人を下の名前で呼び捨てることが苦手であるので、◯◯ちゃんとかあだ名とかで人を呼ぶのであるが、人生で下の名前で呼び捨てにしているのはこの二人くらいのものである。だからなんだという話でもないのですが。


 アズサが私にもたらした文化は、今でも特別なものとして私の体の中できらめている。カラオケにもんじゃ焼き、パターゴルフにバイト。特にカラオケなどという超文化は、私の世代の私の地域の子たちには大人のやることなので、高学年でないとカラオケに行く、などというものは許されていなかったが、なんとアズサの家の人がやっている飲食店にはカラオケがあり、昼休みの時間によく勝手に入って、ロビンソンなどを歌っていた。


 私の家では紅茶と麦茶以外の甘い飲み物はほとんどでてくることがなく、ある夏の日、外遊びからアズサの家に乗り込み、アズサがなんとなしに流しのまだ洗ってないと思われるコップを軽く水で流し、冷蔵庫からサイダーを取り出してとぷとぷと注いだとき、私は得も言われぬ大人の世界を感じたものだった。


 マミは運動神経、アズサはひらめき、そうして私はというと、体が大きい、そういう担当をしていた。それ以外に私に特徴があったのかは、自分ではわからない。


 毎日が冒険であった。冒険というのは、なんだかよくわからない空き地の、こんもりと山になった木なのか、家なのか、わからない場所を突き進もうとして、へりのところに腐っている葉つきの枝をぺろりとめくって怖くなって退散するような、そんな子どものサイズの冒険ではあったけれど、やはり毎日が発見の連続であった。


 自転車の登場は、私たちの冒険を手広くさせた。そうしてあの日、いつもの公園から知らない公園へと私たちは航海を決めたのだった。いつもの公園は私達の天下で、もう未知がなかったのだ。


 今、当時の道筋をたどってみるとなんてことはないのだが、私たちは自転車で坂を降りて電車のレールが走る向こう側へ言ったのだ。その坂はくらくて深く、上を列車が走っているので恐ろしい場所だった。


 その向こう側は学区が違うので、私たちにとっては異界でもあったのだ。


 坂を下りて登っていくと、そのもっと先に小学校があることを私たちはしっていた。それは私たちの通う小学校ではなく、それはほとんど敵地といってもいいものだった。おそらくアズサが小学校へ行ってみようといったのだ。


 けれど、私たちはそこにはたどり着けなかった。その道の途中に、普段私たちが通っている公園の50倍くらい大きな(当時はそれがどれくらい大きいかもわからなかったけれど、50倍だと思った)公園があったのだ。


 その公園にはブランコとすべり台だけでなく、背の高い鉄棒や、シーソーや、動物の形をしたみょんみょん動くやつなど、潤沢な遊具がそこかしこにあり、その向こうにはなにか球技をおこなえるような、広場まであった。


 私たちは少し迷いながら、先住民が置いている場所に同じように自転車を置いて、おそるおそる遊具で遊びはじめた。そうして遊んでいるとすぐに、ここを私たちの新しい公園にしようという気持ちになった。遊具がふれると、格段に遊びの幅が広がる。ここにいれば、しばらくは飽きるということがないだろうと考えたのだ。


 その公園を集中にするために、私たちは手始めに端から端までの遊具で遊び、そのあと、他の子供たちがしていないような遊びをしようと考えた。他と同じようなことをやっていては、天下は取れないのだ。


 いくつの遊びの種があって、すぐ飽きて、また新しい種を見つけて、また飽きて、を短い間にいくつも繰り返した。そうしてそのときは、たしか公園のヘリに植わっているいくつかの木の間を、どれだけ早く八の字で走り回れるか、ということをしていたのだった。


 ふと、私たちのものではない足跡が続いていることに気がついた。みると、私たちより年少に見える女の子が、一生懸命後をついて走ってきている。


 その子は長い柔らかそうな髪を二つに結んで、スカートを履いていた。見るからに種類の違う人間に見えたが、私たちは子分ができたことを喜んだ。八の字にはすぐ飽きて、また次の遊びをするときも、なにも言いはしなかったが、その子も一緒に遊んだ。


 また何度か短い遊びのはじまりとおわりがあって、そのあと、私たちは水飲み場に行って水を飲んだ。疲れたな、あー、疲れた、と大人のように言いながら、たしかアズサが「これがジュースだったらいいのに」と水を飲みながら言ったのだ。


 マミが「なにジュースがいい?」というようなことをいう。私は「ファンタグレープがいい」と答えた。すると、その女の子が「うちにあるよ」と答えた。


 もうその時には私たちは、彼女のことを仲間のうちの一人として数えていた。そうして仲間うちでは、いつも唐突に誰かの家にいくというイベントがあった。マミが「じゃあ行こうよ」と言った。女の子は恥ずかしがりながら「あっち」と言った。


 女の子の家は、マンションだった。


 私たちはまずそのことに驚いた。こいつは毛色が違うぞ、というように思ったかも知れない。少なくとも、私は思った。仲間うちだけでなく、マンションなどという高層住宅に住んでいる友達はいなかった。団地というのもあまりなかったし、我々の知っている集合住宅はみんなアパートといっていいものだった。


 女の子の家は4階だか5階だかにあって、その階の端の方にあった。長い広い廊下を女の子を先頭にして歩くあいだ、私たちは大いなる期待をしていた。新しい友達の新しい家ほど、興味深いものはない。


 その子の家について、その子は玄関をあけた、それから「ママ―」と中に向かって言った。私たちの中で、母親のことを「ママ」と呼ぶ人間は一人もいなかった。女の子がばたばたと中に入らないで、玄関で母親を呼んだのも異文化だった。あのころの私たちには友達の家は自分の家も同然で、どこどこと一緒に入っていくものだったのだ。


 そうして、中から「なに」という声がしたとき、私たちはほとんどすべてを悟ったのだった。


 我々の知るお母さんの声は「なあに~?」とか「はいはい」とか、まぁそんなようなものだ。けれど、その中からの声は、不機嫌を隠すことなく、なにか悪いことをしたときに浴びなければいけないたぐいの声色だった。


 女の子のママが玄関にやってきた。女の子が説明をする。ジュースを一緒に飲みたいのだと説明する。女の子はママの声が明らかに不機嫌なのに、あまり気にしていないようだった。そうしてママは私たちを見下ろした。


 髪の長い人だった。茶色でまっすぐの髪が無造作に垂れていて、目が大きくてお化粧をしていた。気だるそうな顔で、私たちを見ろしてから、その人は女の子に「むりに決まってるでしょ」と言った。


 女の子はそこではじめて、自分の目論見がまったく失敗だったということに気がついたらしかった。非常に気まずそうに、私たちの方をみて、それからまたママを見たママは、玄関のドアに手をかけていた。私たちは、そのドアの向こう側にいて、馬鹿みたいにママを見上げていた。


「帰って、さよなら」


 ゴミを見るような目でそれだけ言って、ママはドアを閉めた。すぐに鍵を閉める音がした。すこしのあいだ、私たちはしまったドアを眺めていた。


 それからすぐアズサが「こわ~」と言った。マミが「行こ行こ」と言った。私はふたりに着いていった。ふたりはせっかく遊んであげたのにとか、なんか変だと思ったんだよね、だとかいう話をしていた。


 それから最後の階段を下りて、植木の前を通ったときにアズサが言った。


「きれいなバラにはとげがあるってね」

 

 私はその言葉をはじめて聞いた。そうして、深く、なるほど、と思った。さっき見たママのことを思い出した。たしかに、今まで私が出会った母親という生き物の中で、さっきのママはいちばん綺麗だった。綺麗だからトゲがあるのか、と深く感銘を受けた。


 思うに、これが私が女の子を好きだと思った最初の記憶であるような気がする。

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わたしの好きな女の子 犬怪寅日子 @mememorimori

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