第7話 「ガクチカ」じゃなかったのかも

 ぜえぜえと肩で息をしながら、自転車を橋のたもとで乗り捨てた。奇妙なほど車通りがない。しん……とした橋の反対側の歩道に青さんが目隠しをして正座している。

 恐ろしく巨大な黒い影が、球体になって青さんを包み込んでいる。


「……めない、読めない、多すぎる、読めない、多すぎる、読めない」


 霧島の掠れた声が聞こえた。霧島の白い目隠しの帯は、てん、てん、と墨汁を落としていったように、黒へとにじみ始めている。

 これは、無理だ。


 黒い影に目をつけられないように、息を殺して、口を両手で覆って、橋桁に隠れる。通話に部員が集まり始めている。


「潮田? 現場にいるのか?」

「います、ヤバいです、青さんが呑み込まれちゃいます、誰か早く……!!」

「お前は動くなよ。クソッ……誰か大学にいないのか?」

「3級以上はいないようです」

「おれも向かってるが20分はかかる。大貫! 付近の除霊師全員に当たれ!」

「もうやってる」

「助かる! クソ〜霧島の馬鹿野郎〜!」


 震える拳に、ぱたぱたと涙が落ちる。何がガクチカだ。何が「兄に勝ちたい」だ。おれは、世話になった人が霊に取り込まれようとしてるときに、隠れて震えてるだけの弱虫じゃないか。何も覚悟できてない、薄ら寒い負け犬じゃないか!

 冷たい風に唇が切れる。血がじわりとにじむ感覚で、霧島の黒に染まりかけた目隠しを思い出した。


 ——滅霊刀は、霊しか切り裂かない。


 今が最後のチャンスなんじゃないか?

 青さんが霊に取り込まれてしまう前に切り離すのは、今ここにいるおれにしかできないんじゃないか?


 ホルスターから、鋼の刀身を抜いた。


「青さーん!!」


 全力で名前を呼ぶ。「名前の方が戻ってこられる」って言ってたから。

 霧島はもう正座から引き剥がされて、黒い影に背中から呑み込まれようとしていた。


 黒い影が拓海に気づいた。ぶわっと全身の毛が逆立った。でももう戻れない。


「青さん!!」


 祈りを込めて眉間の目隠しを滅霊刀で切り裂く。こつん、と額に当たった軽い音がした。深い黒に染まった目隠しだけが、真っ二つに切れてはらりと落ちた。


 霧島はぱっと目を見開いた。涙で潤んだ目だった。ぽうっと呆けて、自分の状況が分からない顔をしている。


「青さん!!」


 沼の底に手を伸ばすように霧島の右手を掴んで、もう一度呼ぶと、霧島の目に力が戻った。


「拓海」


 拓海はぐっと霧島の腕を引き上げて、霧島の背中に手を回して後方へぶん投げた。


 黒い影は今、拓海に狙いをつけた。全身ががちがちと震え、滅霊刀を取り落としそうだった。

 すうっと影は小さくなり、人間の形を取った。ランドセルを背負っていた。人間の部分は黒い影で、ただ、ランドセルと頬に「バカ」「アホ」の赤文字がちろちろと踊った。

 いじめられた子の霊だったのか……。


「嘘だ! そんな話は読まなかった!」


 後方から霧島のダッシュが聞こえ、拓海が突き飛ばされて欄干にぶつかった瞬間、霧島は黒い影の首をねた。


「……お眠りください」


 霧島は薄れゆく影に深く一礼した。


「青さん、」


 呼んだけれど、何を言いたかったのか忘れてしまった。とにかく名前を呼びたかった。


「拓海」


 拓海は欄干に背を預けてぺたりと座っていて、霧島は覆い被さるように抱きついた。泣いていた。


「悲しい話をたくさん読んだ」


 そう言ってしゃくり上げる霧島は子どものようだった。拓海は片手を背中に回して、片手で頭を撫でた。


「青さん、優しいですね」

「うう……おれは、全部読んでやれなかった」


 大柄な男の背中をゆったりと撫でてやる。しばらくそうしていると、霧島は泣き止んだ。「ありがとう」と小さく呟いて、拓海の隣に座った。


「青さん。おれ、今から除霊師になれますか?」

「え? ああ、お前の実力なら……でも『ガクチカ』はどうした」

「青さんが危なっかしいから、ついていきます」

「……優しいのはお前だよ。優しくて、バカだ」

「お互い様で。バディってことで」


 とん、と拳を合わせた。ぽうっと拓海の心にともった。その炎はふわりと膨らんで、拓海の心のすみずみを照らした。

 おれがずっと欲しかったのは、ガクチカじゃなくて、これだったのかもしれない。

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第一志望に二回落ちたけど、最強ガクチカ「除霊」で大逆転就活無双を目指してみる 街田あんぐる @angle_mc9

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