第2話 伯父襲来






 俺は仏頂面でテーブルの前に腰を下ろしている。

 理由は、先日盛大に捻った足のせい。

 

 屋敷に戻ってからぼっこりと腫れあがって「いてーよー、医者医者!」と泣き叫ぶ俺に、「貴族はこの程度で泣き言はいいません!」とテレレの塩対応。

 そのまましょっぱそうな、もとい苦そうな薬草を磨り潰したものを俺の足首に塗りたくって包帯を巻いてくれたけど。

 ツンデレかな?


 ともあれ、翌日になっても足が痛くて、散策もままならない。

 はっきりいってつまらん。

 暇だ。


 仕方なくバルコニーから空を見れば、キラキラと輝く物体が舞い踊っている。 


 この世界には金色の雪が降る。

 それこそ季節問わずに降る雪は、決して積もることはない。

 燃え尽きるように地面に落ちる前に消えるからだ。


「ああ、また一人、英雄が身罷られたのですね…」


 眺める俺の隣で、テレレが呟く。

 大きな瞳を潤ませる彼女が言うには、この世界の神様が英雄の死を嘆き、その魂を黄金の光に変えて世界に振り撒くのだそう。

 俗に『神の涙』とも呼ばれるそうだが、なんともセンチメンタルな話だねえ。

 

 …でもこれって、おそらく飛竜とか大鷲とかの排泄物じゃねえの?

 この世界にはそんな怪物もいるらしいし、やつらが超々高度で空を飛んでて垂れ流した何かが、地面に落ちる雨粒のように黄金の輝きを放つのだと勝手に推測している。

 もしこの推測が正しければ、そんなものを喜んでいるこっちの世界の住人のレベルが高過ぎるわ。



 そうそう、レベルと言えば。



 俺はテーブルの上の手鏡を覗き込む。

 前世の俺と違って、なかなかに端正な顔立ちの少年が映っていた。

 ただし、酒のせいか肌艶は最悪。目までどんよりと濁っている。 

 

 こっちの世界の俺こと、アクセル・ド・バルドリ。

 お貴族さまらしい仕立ての良い服の襟元から視線を上げれば、頭上に浮かぶ『2』という文字。

 

 …先日の、ガキにも狩れるクソ雑魚ナメクジがレベル3だったから、俺ってアレより弱いってこと?

 むしろ、あのナメクジを倒してレベルアップして、もとはレベル1だった可能性がありありだ。

 根拠は…。


 視線を横に滑らす。

 そこには数字よろしく空中に文字が浮かんでいた。

 いわゆる透過ディスプレイみたいな感じ?




 獲得スキル


 リジェネレイト(弱)





 ……なんだよこれ。

 なんだよこれ!

 リジェネレイトを和訳すれば再生だろ? とっとと足の捻挫も再生してみろよオラァン!




 と一人呟いてみても、いっかな足の痛みは引いてくれない。

 隣で若干引き気味のテレレを横目に、俺はますます憂鬱になっていく。

 

 前世の世界も俺に優しくなかった。

 こっちの世界も俺にはひたすら厳しい。

 

 何も悪いことをした記憶はないんだけどなあ。

 ただひたすらに他人に迷惑をかけないよう生きて来たつもりだ。

 

 ――人の嫌がることは進んで引き受けなさい。

 そう教え諭してくれた両親も、俺が就職する頃に亡くなっていた。

 他に身内もいないので、あっちの世界で死んだ俺を悲しんでくれる人は誰もいないだろう。

 まあ、親より先に死ななかったことだけが唯一の親孝行だったのかも知れないな。

 

 と、いかんいかん。

 今の俺はアクセル・ド・バルドリだ。

 貴族の王子様だ。

 

 だから、もう絶対に嫌なことは引き受けたりしないぞ!

 むしろ盛大に周囲にばら撒きまくってくれるわ、グコキハハハ!!


 そんな風に決意を新たに宣言していると、ドン引きした表情のテレレから声をかけられる。


「殿下。伯爵様がいらっしゃっています」




 



「伯父上。ご機嫌麗しゅう」


 俺が足を痛めて動けないので、サブリビングルームみたいなとこで伯父を出迎えた。

 ご足労を願った伯父ことブレイズ・ド・バルドリ伯爵は、相変わらずのデコの広さ。

 いや、アクセルくんの記憶より後退している、後退していない?


「ふん。青二才めが今さら阿諛を覚えおったか」


 おおっと、禿伯父、初手からテレレ真っ青の塩対応ですか。

 痩身の骨ばった体格に気難しそうな険しい顔。

 歳の頃は50前後かな? 背筋もピンと伸びていて、小柄なクセに異様なほどの迫力を感じる。

 なるほど、こりゃ14歳のアクセルくんは苦手だわ。

 

 だからといって、俺も得意かと言えば全然そんなことはない。

 元の世界の上司もこんな迫力で怒鳴りつけてきて、ビビり散らした記憶が蘇る。

 あの頃は自分の生活とか責任とか、精神的に追い詰められて自縄自縛で思考を放棄していた。半ばノイローゼってやつだな。


 しかし!

 今の何のしがらみもない俺にとって、ただの厳つくて怖いおっちゃんでしかないわ! 


「いいえ、決して阿っているわけではありませんよ。伯父上がご壮健でなによりと思っております」

「……しばらく見ぬうちにずいぶんと舌が回るようになったものよ」

「額の領土拡張も着々と成されておられるようですし」


 次の瞬間、俺は鼻先に切っ先を突き付けられていた。

 …嘘でしょ? 剣を抜き払う動作も、足の動きも全然見えませんでしたけど?


 控えていたテレレとオリヴィエが慌てていることからも、俺が呆けて時間を失念していたとかってこともなさそうだ。


 ひょっとして、俺の伯父上って…。


 切っ先越しに、伯父さんの額、もとい額の上を当たりを見る。

 『93』 

 …やべえよ、この伯父。オリヴィエより強いでやんの。

 


 いや、この数字は年齢を加味してレベルを現すものだとしても、強さに直結するわけじゃないはずだ。

 けれども、ひょっとして俺、虎の尾の上でタップダンスしちゃいました?


「いかな血族と言えど、諧謔の使いどころを知らぬ間抜けは容赦せんぞ?」

「俺、いや、僕は客観的な事実を口にしただけですよ。伯父上の気に障ったなら謝罪します」

 

 あくまで伯父の目から視線を逸らさず、俺は答える。

 内心ではガクブルだったが、今更怯えて許しを懇願するなら、いっそ剣でずっぶりと喉を突かれたほうがマシだ。

 人、それをヤケクソと言う。


 すると伯父は「…ふん」と鼻息を鳴らして剣を納めてからボソリ。


「無礼千万でも真っすぐ物を言えるようになっただけマシか」


 それでもアクセルくんをサゲるのは忘れない。 

 伯父さんの苦手なとこ、そういうとこやぞ。


 もちろんそんな俺の心の声が聞こえるはずもなく、伯父が切り出してきたのはある意味耳の痛い内容だった。


「貴重な塩を用いて、ジャイアントスラッグを殺したそうだな?」


 チッ、うるせーな。反省してまーす。

 目を細め見下すようにしてくる伯父に、俺にだって言い分はある。

 そりゃ塩が内陸に位置するここら一帯では貴重なことは失念していたよ?

 それでも、メイドが塩を拝借してきた家には、ちゃんと金貨一枚渡したんだぜ?

 うちの館の厨房にあった塩も持っていって補填したしさあ!


「そういう問題ではない!」


 伯父の怒号はまるで落雷のように。

 俺は思わず肩を竦めてしまったのは当然として、兎族の兄妹までビビっている。


「貴様の身に纏う服! この館! 日々の食事! 全て民草の税によって賄われているのだぞ!」


 俺は目を見張る。

 貴族が領民を家畜かなにかと見做すこの世界で、伯父上は開明派だったとは。

  

「――承知してますよ」 

「いいや、おまえは分かっておらぬ! 民草の血を無駄に流すことは己の身体を傷つけるのと同義! それをいたずらに塩をバラ撒くなど…!!」

「……」


 黙って説教を拝聴する。

 そもそも伯父上の意見は間違っていないしな。

 

 それに前世ではもっと理不尽な罵倒や説教が二時間、三時間コースはザラだった。

 この程度、神妙な顔つきでスルーするなど苦でもない。


 内心で「ああ晩飯何喰おうかなー」とあれこれ考えつつ聞き流していると、伯父の説教は益々ヒートアップ。


「貴族の責務をなんと心得ている! そもそもおまえの母親も! 国母たる身でありながら陛下の寵愛を裏切り…!!」


 そんなこと言われても知りませんがな。

 嘘偽りない俺の本音だ。

 アクセルくんの記憶によれば、それこそ彼が幼い砌に、『真実の愛に目覚めました』などと不倫女のテンプレを口にして騎士団長と出奔。

 国王陛下の子供を産んでおいて、そりゃあ凄まじいスキャンダルですよ。

 

 リーゼン王国も面子に掛けて追討命令を発動。 

 その尖兵を、母の実兄であるブレイズ・ド・バルドリ伯爵(つまりは伯父だ)が務めたのは、国王陛下の温情か盛大な皮肉か。

 愛の逃避行とウキウキの二人が国境を越える寸前で捕縛。その場で断首。

 電光石火で王都へ取って返し、国王の前に跪いてバルドリ家の不明を侘びたそうな。


 俺としては「ほーん」としか言いようのない出来事とその顛末だ。

 前世では、莫大な慰謝料を背負わされた挙句その返済のために底辺極まりない生活を送る羽目になって自業自得ざまあ、ってオチが大半だったけれど、こっちの不倫はマジのガチで命がけかあ。

 

 しょせん他人事さ。

 そんな感想を抱いている俺の口が勝手に動いていた。

 そこから飛び出した台詞は、自分でも思いがけないほど激しいもの。


「……僕は! そんな母上のしたことなんて知ったこっちゃない!!」


 あれ?

 あれれ?


 俺の意思と裏腹に、目尻から涙がこぼれる。

 吐き出す言葉も止められない。


「僕は確かにリーゼン王国の王子だ! 第七王位継承者だ! だけど! 僕はこれっぽちもそんなことを望んじゃいなかった!!」


 ……そうか。そういうことか。

 これが、アクセルくんの本心か。


 彼の心の中の底。

 もっとも深く暗く、思い出したくない記憶。


 人は出自は選べない。

 だからこそ、生まれ来てから子供にそれを伝え育てるのは親や周囲の仕事だ。

 

 しかし、アクセルにはそれはされなかった。

 親の愛情を伝えられず、親の勝手に翻弄された。

 親の所業で蔑まれ、罵倒の言葉を吐かれ、訳も分からぬままに連座で処刑されてもおかしくなかった。

 

 いかに伯父が助命し、貴族はかくあるべしと仕込んだところで、根本的なところが満たされてなかったのだ、アクセル・ド・バルドリという少年は。


 俺は理解した。

 しかし、同情までは出来なかった。


 出自を選べないってんなら、それこそ生まれてすぐに捨てられた子の方がよほど不幸だろうよ。

 少なくともこの齢まで乳母日傘で生きてこられたのだから、比較すればよほど幸運な人生だ。


 まあ、かくいう前世の俺も出自には恵まれていたと思う。両親の記憶も全て優しい。

 長じて生き方に失敗した。

 その果てに死んだ。


 そういう意味では未成年のアクセルくんは、まだ生きてすらいないんじゃないか?

 しかし、甘ったれるなと言ったところで、今は俺=アクセルくんである。

 前世で半ば自死を選んだ俺にして見れば、耳が痛いどころの話じゃあないな。


 涙ながらに「ふッ」と笑うと、目前の伯父さんは鼻白んでいた。

 ひょっとして、この人に対してアクセルくんがこんな風に本心を吐露したのは初めてだったのかもしれない。


「…顔を拭え。貴族が見せて良い顔ではない」


 伯父の声に、いつの間にか隣に来たテレレがそっとハンカチを差し出している。

 遠慮なく顔を拭いて盛大に鼻を噛む。

 

「伯父上の訓戒、心に留めおきます」

 

 神妙に言う。

 本音として意訳すれば『成人して王位継承権を剥奪されるまで大人しく好き勝手させて貰います』だけどな!


「ならば、良い」


 どこか毒気を抜かれた感じで踵を返す伯父の背中に、俺は呼びかけていた。


「その上で、伯父上にお頼みしたいことがあります」

「なんだ」

「僕が成人を迎えて――」


 ――廃嫡されたら、と訴えるのも色々と早すぎるよな。

 ちらりと、隣のテレレを見てから続けた。


「――僕の身上に何かあった場合、彼女たちや使用人の面倒よろしくお願いします」


 アクセルくんの記憶では散々迷惑をかけまくった彼、彼女たち。

 だからといって彼らに罪はない。

 不名誉も、無茶したツケも何もかも、俺が全部独り占めしてやる。

 


 伯父はじっと俺を見た。

 それからそっけないほどの口調でこう言う。


「それこそが貴族の嗜みだ」 


 …うん? それって引き受けてくれたってこと?


 確認しようにも、なんかもう一度声をかけられる雰囲気じゃない。

 黙って部屋を出ていく伯父の右耳に、何やら涙滴型の宝石のピアスが揺れていることに今更ながら気づく。


 これって…。


 俺は胸元から引っ張り出す。

 やっぱりこのペンダントと同じやつやん! いやーん、ペアルック?


 ……自分で言っておいてなんか薄ら寒くなってきたわ。

 急いで外そうとすると、テレレに手ごと抑えられた。


「それは片時も御身から離してはなりません。アクセル様と伯爵さまの絆なのです!」

「お、おう?」


 涙目で訴えて来る彼女に、俺は口ごもるしかなかった。





 ――この時、彼女に対してもっと追及しなかったことを、俺は後悔することが出来たのである。   





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