第4話 VSドラゴン



 俺はドラゴンを見たことがある。


 それは、まだ幼い頃のアクセルの記憶。

 伯父の城で暮らしていた時分に、軍隊が凱旋してきた。

 討伐の証明に、斬り落としたドラゴンの首を担いで。


 この一匹を殺すために、百人単位の兵士の犠牲が出たという。

  

 バルコニーから見下ろす広場で誰もが巨竜の首を賞賛する中、アクセル少年は物陰でひたすら震えていた。

 こんな出鱈目な生き物がこの世に存在するのか、と。




 束の間の呆然自失。

 どうやらあまりの展開に、軽く走馬灯でも見ていたらしい。

 

 現実は走馬灯アゲインしたいくらい出鱈目だ。


 ドラゴンの咆哮。

 それだけでビリビリと大氣が震え、腰は抜け、膝は砕ける。


 

 ドラゴンが禍々しく首を巡らす。

 その迫力は前世で見た怪獣映画の比じゃない。

 

 SFXでは再現できない存在そのものの生々しさ。

 

 そんなものが動いているという生物的なド迫力。

 


 誰もが絶望したようにドラゴンを眺め、より深く絶望していたのは間違いなく俺だ。


 『259』


 ドラゴンの頭上に表示される数字。

 

 …アホか! こんなの、文字通りレベルが違いすぎるわっ!


「…逃げろ」 


 テレレとオリヴィエに向けた声は震えていたかも知れない。


「ガキどもを連れて逃げろ。街まで逃げて、兵士たちにこのことを伝えろ!」

  

 

 え? と武器を構えて訊き返してくる兎族の兄妹を怒鳴りつける。


「俺は命じたぞ! さっさと行け!」

「ア、アクセル様はどうされるんですか!?」

「俺は―――」


 目線を、ドラゴンの出てきた森の奥へ飛ばす。

 そこには、木の実を取りにいったガキがまだいるはずだ。


 …俺は死んでも構わないが、ガキを見捨てたりしたら目覚めが悪すぎるからな。


 そう口にしようとして、凄まじい熱波をモロに顔に浴びた。


「ぐはッ」


 ……喉が焼ける! 息が、息が出来ない……!


 涙目で咳込めば、視界は真赤に染まっている。

 周囲の木々が燃えていた。さっきまで俺たちが眺めていた森は地獄へと変わっていた。

 

 大きく鎌首をもたげているドラゴン。

 やつの口角から、プスプスと火炎が棚引く。


 ドラゴン――いわゆる竜種が危険なモンスターと認識される一因として、連中は炎を吐くことにある。


 …知識では知っていたけれど、この惨状は火炎放射ってレベルじゃない。まるでナパーム弾だ。

 そんな破壊兵器を吐き散らす怪物なんて、存在そのものが理不尽に過ぎるだろ!


 煙と火の粉を手で払っていると、視界の隅で俺の乗ってきていた馬車が勢いよく遠ざかっていく。

 窓には鈴なりになったガキんちょの姿が見えた。

 テレレとオリヴィエは俺の命令を遵守してくれたようだ。

 よし、そのまま街まで一気に逃げろ!


 それから森を振り返れば、燃え盛る木々の間に小さな人影が。

 腰を抜かしたガキが号泣している。 


「こっちへ来い! そんなとこにいると死ぬぞ!」


 叫んでもガキは動こうとしないため、森に飛び込む。燃える枝を振り払ってどうにか近づくと、俺の姿に気づいたガキが飛びついてきた。

 がっちりと俺をホールドしてまたもやピーピーと泣き始めたけれど、泣きたいのはこっちだ。煙は目に染みるわ、息苦しいわ、飛んできた火の粉が熱っちいわ。


 ガキを抱えて森を飛び出せば、


「アクセル様!」

「…テレレか! 逃げろといったろうが!」

「殿下を置いていけません!」


 長い兎耳を煤だらけにしたテレレが咳込んでいる。


 ったく、こんなぐうたら王子なんて見捨てた方が利口だってのに。

 

 軽く皮肉ってやりたかったが、そんな余裕も何もかも一瞬で消し飛んだ。


 ぐるる、とまるで巨大な鉄玉を転がすような音。

 おそるおそる顔を上げれば、ドラゴンがこちらを見下ろしている。

 巨大な爬虫類のような目から何ら感情は読み取れないのが逆に恐ろしい。

 

「……テレレ、こいつを頼む!」


 抱き着いていたガキをテレレに向けて放り投げた。

 驚きつつも受け止めたテレレに対し、ドラゴンは興味を引かれたのか鼻先が向ける。

 その鼻っ柱に俺は全力で近くに落ちていた枝をぶん投げる。


「おら、こっちだこの野郎!」

  

 叫んだ途端、目の前が爆発した。

 俺に向かってドラゴンが尾を振り下ろしたのだ。

  

 おそらく、ヤツにとってはうるさい蝿を追い払う程度の動作に過ぎなかったのだろう。

 実際に俺に直撃せず、数メートル手前が着弾点。


 しかし、たったそれだけで生じた衝撃波に、ダース単位の石礫を浴びながら俺は盛大に宙に吹き飛んでいる。

  


 ああ、こりゃ死んだわ。

 


 とたんに流れ始める前世の記憶。

 これは正真正銘の走馬灯か。

 




 ――無茶なノルマ。

 ――繰り返される罵倒。

 ――強要させられる謝罪。




 

 その全てが俺の心を殺しに来ていた。

 誰も褒めてくれず、誰も労ってくれず、誰も評価してくれず。




 同時に、俺の中から噴き出してくる感情がある。

 だけどこの感情、俺のものであって俺のものじゃあない。 


 それは過日、伯父さんから詰められた時に迸ったアクセルと同じもの。

 

 俺の中のアクセルが叫んでいる。

 それでいいのかと。 


 あの時と同じく俺は冷笑で応える。

 おまえだって生きていることを諦めたクチだろう?

 

 俺だって前世でなんとかしたかったさ。

 いっそクソ上司を殺してやろうかと思ったことも一切ではなかった。

 けれど、出来なかった。

 

 仮に殺せばそれは殺人で、俺は警察に逮捕されて社会的に死んでしまうだろ?

 それに、どんなクソ野郎でも死ねば悲しむ家族がいるんだ。俺なんかと違ってな!






 ――ああ、言い訳さ。そんなの言い訳だよ。


 俺には生きたいという強い欲求がなかったんだ。

 他者を押しのけてまで生きる覚悟なんてなかった。

 他人を傷つけて責められることに怯え、恐れていた。




 そうだよ、俺は単なる臆病者だ!

 傷を受け止める勇気も、相手を傷つけてでも守るべき誇りすら持たない、玉無しのへなちょこ野郎だ!

 



 

 

 ――この世界でもそうなのか?

 

 

 その問いは誰(俺)の声だったのだろう。

 

 気づけば、地べたに転がっていた。

 全身が痺れたように痛い。痛いってことは俺はまだ生きているのか…?


 薄らと目を開ければ、燃え盛る炎の向うにドラゴンが見えた。

 俺に背を向けているからに、どうやら村と街の方へと向かっているよう。


 ゆっくりとボロボロの身体を持ち上げる。すぐ目前に焦げたサイコロが転がっていた。

 


 …殺してやりたい。

 ポツリ、と食いしばった歯の隙間から、そんな言葉がこぼれる。




 ――なら殺してやれよ。




 俺の中の俺が囁く。





 ――いいか。アイツはクソ上司じゃない。




 ……!!





 ――アイツは、化け物だ。おまえがアイツを殺さなければ、アイツは村人たちを殺す。




 悪魔のような俺の声に、記憶にあったものが全てが反転していく。

 同時に臆病な俺がわめき出す。


 あんな怪物を殺す術なんてあるのか、と。


 



 ふと、視界の端に透明なウインドが浮かんでいることに気づいた。

 そこに記される初めて見る記述。








 格上殺しジャイアント・キル






「く、くくく」


 笑いがこみ上げてくるのを止められない。


 ……絶体絶命のピンチにスキル覚醒か。王道じゃねえか。


 ゆらりと立ち上がり、腰に佩いていた剣を抜く。


 ドラゴンの背中を睨みつける。


 どういうことか分からないが、気分はきれいさっぱり晴れ渡っていた。信じられないくらいハイってやつ? 何なら歌でも唄い出したいほどに。


 そうさ。

 いまさら俺の命なんてどうなったって構やしないんだ。

 

 だから――。

 







「殺してやるよ、この野郎!」


 次の瞬間、俺の視界は真っ黒に染まり、意識も何もかも―――。




 


 


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