第5話 スキルオーバー


 ぼんやりと目を開ける。

 身体が石のように重い。


 全身にじんわりとした痛みを感じつつ、何気なく身体を動かそうとして、脳天から激痛が駆け抜けた。


「…てぇ…ッ」


 カラカラに乾いた喉からガサついた声が漏れる。

 涙で滲む視界に、女性がこちらを覗き込んで来る。

 その兎耳をした彼女を、俺はよく知っていた。


「……テレレ?」


 そう呼びかけたはずだけど返事が聞こえない。

 俺の視界で、テレレの顔に驚きが浮かび、それから嬉しそうにと、複雑に表情を変えている。

 そのまま彼女が震える手を差し伸べて触れてきたのは俺の頬。

 冷たい指先でしっとりと俺の両頬を覆うようにして、テレレが大粒の涙をこぼしている。


「…アクセル様が…アクセル様が……目を覚まされた……!!」


 ガヤガヤと人の気配を感じる。

 ここでようやく本格的に機能し始めた俺の聴覚は、沢山の人の声を聞いていた。


「アクセル様! よくぞ…! よくぞ…!!」


 テレレの横でオリヴィエ。その反対にはメイドのモニカもいて、こちらは口元を抑えて嗚咽を堪えている。他にも泣きながら俺を覗き込んでくるのは別のメイドや館の使用人たちといった面々だ。


 …はて? 俺の記憶では連中にロクでもないことをした覚えしかないのだが。

 なのに、なんでみんなして感無量って風に泣いているの?

 ひょっとしてドッキリ?


「こ……」


 これはどういうことだ? と尋ねようとして、喉が掠れて声が出てこない。

 気づいたテレレが、すかさず口元に濡れた布のようなものを押し付けてくれる。

 布に染み込ませているのは、たぶん果汁と蜂蜜みたいだ。

 ガサガサに乾いた唇でちゅーちゅーと布を吸う。何度か繰り返せば、ようやく唇と口の中が潤ってくる。

 それでも声を出すのが覚束ないでいると、テレレがしゃべり始めた。


「アクセル様はどうして単独でドラゴンに立ち向かおうとしたのですか!!」

  

 涙目で睨んでくる迫力に、俺は必死で記憶を手繰る。


 そうそう、確かにドラゴンを「ぶっ殺してやる!」って立ち向かったのは間違いないな。

 そんで見事に返り討ちに合ったけれど、どうにかこうやって生き残ったと。

 

 そう結論付けざるを得ない。

 ようやく自分の姿を見回す余裕が出てきたわけだが、ベッドに寝せられた俺は、冗談抜きで包帯だらけだ。

 両手両足は添え木で固定されいて、無理に動かそうとすると激痛が走るのは先ほども試したばかり。

 

「医師の話では、全身の骨で凡そ折れたり亀裂が生じてなかった箇所はなかったくらいだそうです。生きておられるのは奇蹟だとも」


 オリヴィエが俺の現状を説明してくれる。

 

「…ほうか」


 声を出したつもりだが、ボソッと空気が抜けたような音が出た。どうやら歯もベキベキに折れたみたいだ。きっと鏡を見ればさぞかし間抜けな顔に違いない。

 まあどうせいつ死んでも構わないと思っていた身だ。カッコいい死に方なんて無理だったにせよ、こんな間抜けに生き残ってしまうのはちょっとした想定外だわ。


 死ねばそこで終わり。何も思い煩うことなんてなくなる。

 でも生きているなら、色々と聞かなくちゃならないよな。


「…ほれで? ホラゴンはどうらったのら…?」


 文字通りの歯抜け言葉だったけれど、込められたニュアンスは伝わったと思う。


 俺を返り討ちにしたドラゴンはどうなったのか。

 バルドリ領の兵隊か、王都から軍隊が出張って討伐したのか?

 それと、ドラゴンに襲われた村や、ガキどもの消息は?


 そんな諸々の意味を込めた問い掛けだったが、テレレとオリヴィエは揃って顔を見合わせる。


「…きっとまだ記憶が混乱しておられるのだ」

「ええ、それは無理もないことで…」


 なんかボソボソ喋っているけど、はっきりと言えやはっきりと!


「ひゃから! ホラゴンは……!」


 俺がもう一度尋ねると、兎族の双子は困惑した表情になる。

 それからテレレが恐る恐るこう言ってきた。


「ドラゴンはアクセル様が斃したはずですが……覚えておられませんか?」


 

 ……は?

 俺が、ドラゴンを、斃した……ってマジで!?



「アクセル様の鬼神の如き戦いに、我ら兄妹心より感服致しました!」


 恍惚とした表情でオリヴィエ。



 いやいやいや、ちょっと待って!

 それおかしい、おかしいから!

 実際にマジでこれっぽちっも覚えてねえぞ!?



「あの巨大なドラゴンに何度も立ち向かわれて、ついには頭頂部に剣を突き立て…! それから気を失って倒れて一か月も目を覚まされなかったんですよ!」


 だから知らんって! テレレも何かわからんけどそんな悲しそうな顔で睨むなや!


「アクセル様は単独でバルドリ領を未曾有の危機からお救いになったのです。既に王都でもこの功績を把握しており、体調が回復され次第登城されるようにとの通達が…」


 畏まった風にオリヴィエは言ってくれるが、全く実感が沸いてこない。

 あんな化け物を、俺が一人でどうやって斃したってんだ。

 まあ、思い当たる節がないでもない。

 あの時に覚醒したスキル。多分あれが……。


 そこまで思いを馳せて、もう限界だった。

 全身の痛みに頭の中も熱くて思考が覚束なくなる。

 痛みとも眠気ともつかぬ感覚に、意識が薄れていく。


 テレレたちがまだ口々に何かを言っていたが、耳が聞こえてくれない。

 俺は気絶するように瞼を閉じて、深い眠りへと落ちていった。

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